第16話「執着ゼロ装甲、軋む」
あの日から。
ロザリンドの胸の奥は、ずっと、ざわついていた。
一命を懸けて、罪人の娘の無実を、証した男。
何度、突き放しても——当然のように、隣に、座る男。
(……危険だわ)
彼女は、思う。
(あの人は、危険。わたくしの、決めた道に。要らない、迷いを、生む)
ロザリンドには、譲れぬものが、あった。
焼かれた、生家。奪われた、名。——必ず、報いを、受けさせる。
その一念だけを、支えに。彼女は、ここまで、生きてきたのだ。
だから——けじめを、つけねば、ならない。
彼女は、アルフォンスを。
人気のない場所へと、呼び出した。
◇
夜の、図書館。
月明かりだけが、しんと、書架を、照らしていた。
『……で、なんで、呼び出されたんだろね。武士さん』
ひかりは、いつもの癖で、ぽつりと——"あれ"を、確認する。
『——っと。【執着ゼロ装甲】、耐久、100パーセント。うん。今日も、カンスト。十五年、ただの一度も、削れたことのない、鉄壁メンタル。……まあ、この人に限って。何があろうと、揺らぐわけ、ないんだけどね』
やがて。
月光の中に、ロザリンドが、現れた。
「……単刀直入に、言うわ」
琥珀の瞳が、まっすぐに、アルフォンスを、射る。
「もう、わたくしに、関わらないで」
「ほう。それは、また」
「あなたは、勘違いしているの。わたくしは——あなたが庇うような、立派な人間じゃ、ない」
彼女の声が、低く、震えた。
「わたくしはね。……復讐のために、生きているの」
「……」
「わたくしの生家は。何の罪もないのに、謀反の濡れ衣を着せられて、焼かれた。父も、母も、幼い弟も……みんな。わたくし、ひとりを、残して」
握りしめた、その拳が。白く、なる。
「それを仕組んだ者たちに。必ず、報いを、受けさせる。——そのためなら、わたくしは。この身が、どうなろうと、構わない。手を汚すことも、厭わない」
そして、彼女は。
吐き捨てるように、言った。
「こんな女の隣にいたら、あなたまで、巻き添えになる。……だから。その、馬鹿げた誠は。どうか、もっと、ふさわしい誰かに、向けてちょうだい」
◇
アルフォンスは。
しばし、黙して、その言葉を、受け止めていた。
そして、静かに、口を、開く。
「——そなたの、その焔。確かに、受け取った」
「……っ」
「奪われた者のために、報いを求める。その心、それがしには——痛いほど、分かる」
彼は、彼女の、燃える瞳を、まっすぐに、見つめた。
「だが、ロザリンド殿。ひとつだけ。——己の身が、どうなろうと構わぬ。それは、いかぬ」
「……何を」
「亡き人を弔う道は。己を、焼き尽くすことでは、ない。——遺された者が、胸を張って、生き抜くこと。それもまた、立派な、手向けにござる」
ロザリンドが、息を、呑む。
「無念を、晴らすのは、よい。なれど——その果てに、そなたまでもが、滅びては。地の底のご家族は、果たして、それを、喜ぶか」
——揺れた。
彼女の、琥珀の瞳が。大きく、揺れた。
誰も。
誰ひとり、言わなかった。
復讐に身を捧げる彼女を、皆、恐れ、蔑むばかりで。
"お前まで、滅びるな"などと——案じてくれた者は。ただの、ひとりも、いなかった。
「……勝手な、ことを」
声が、掠れる。
「あなたに……わたくしの、何が、分かるって、いうの……!」
ずっと、ひとりで、抱えてきた。
誰にも、見せたことのない——涙が。
その瞳に、ふいに、滲んだ。
◇
その、ひと粒の涙を。
見た、瞬間。
アルフォンスの、胸の、奥で。
——とくん、と。何かが、わずかに、揺れた。
(……はて)
己の裡に、ふいに生じた、その小さな、さざ波に。
誰よりも、当のアルフォンス自身が——戸惑っていた。
そして。
『…………は?』
ひかりの、素っ頓狂な声が、響いた。
『え。ちょっ、待って。待って、待って、待って』
彼女の"目"には。
はっきりと、見えて、しまっていた。
『【執着ゼロ装甲】、耐久……99パーセント』
『……削れ、てる。一パーセント、削れ——てる!?』
『嘘でしょ!? 十五年、カンスト! ヒロインの主人公補正にすら、ノーダメージだった、あの鉄壁の装甲が——! 今! たった今——!!』
「ひかり殿。何を、そう、騒いでおる」
きょとん、と、首を、傾げる、アルフォンス。
己の身に起きたことに、まるで、気づいて、いない。
『"何を"じゃ、ないんだよ……! あんたの、難攻不落の、その心に。——生まれて、初めて。"ひび"が、入ったの……!』
月明かりの差す、静かな、図書館。
復讐に燃える令嬢の、こぼした、ひと粒の涙が。
十五年、何ものにも揺るがなかった、武士の心に。
ほんの、わずか。されど、確かな——最初の、ひびを。
そっと、刻んだ、夜であった。
そして。
それに気づいている者は、今はまだ——ひかり、ただ、ひとり、だけ。
当の本人が、その意味を知るのは。
——まだ、もう少し、先の話である。




