2話 聖印と王子の過ち
「……何? 国中の精霊の力が衰えつつあるだと?」
「左様です陛下。ここ半日で、精霊たちが全く力を発揮しなくなっている様子でして。特に重要な水、火、風の力の低下が著しい様子で……」
ロステア聖王国の主、ジークバルト・ロステアは兵士からの報告を受け、顎に手を当て考え込む。
歴史上、このような事態に陥った例は三度ある。
いずれも何らかの理由で聖女が命を落とした時、即ち聖女から精霊へ魔力が渡らなくなった時だ。
「聖女ルーミエはどうした? 今朝顔を見た時は壮健そうであり、今日は夜遅くまで精霊に魔力を渡すと意気込んでいたはずだが」
「……畏れながら申し上げます。どうやら聖女ルーミエは、これまで聖女を騙り続けた偽物であったとの報告も先ほど入っております。カイル王子は聖印の刻まれたマーセラス伯爵家のクラリス様こそが真の聖女であると確信したようで……」
「偽りを……? 待て、どういうことだ。それに聖印だと? そもそもあれは……」
ジークバルトが眉間に皺を寄せた直後、一人の近衛兵が王の間に転がり込むようにして現れた。
本来であれば無礼として罰するところであるが、ジークバルトは兵の様子から「何事か」と尋ねる。
「陛下、このような無礼をお許しください。……先ほど精霊郷と通じる鏡を通じ、精霊王が至急陛下とお会いしたいとの文をいただきまして……」
それを聞き、ジークバルトは何が起こったのか凡そ察した。
ジークバルトの妻、王妃は早くに亡くなっているが先代の聖女である。
つまるところ、ジークバルトには王妃から聞いた精霊についての知識が一定あり、これが精霊王の怒りによる呼び出しであるとも理解していた。
「……馬鹿王子め。カイルを連れてこい、必ずだ。そしてルーミエは今どこに?」
「……あの偽聖女ですか? 彼女なら今、カイル様の指示で地下牢へ……」
「愚か者! 考えようによってはこの国で一番の重要人物が地下牢とは! 今すぐ連れ出し丁重に扱え!」
普段物静かで知られる王の一喝に、王の間は静まり返った。
***
「ル、ルーミエ様。こちらへどうぞ!」
「は、はぁ……」
近衛兵の手のひら返しとも言える様子に、私は首を傾げそうになった。
さっきは私を強引に連行して牢に入れたのに、今度は要人を扱うような様子。
でも……それでさえどうでもいい。
カイル王子に信じて貰えなかったショックはすぐに癒えるものでもない。
全てどうでもよくなった私は、ただ兵士について行くだけだった。
「王の間……」
私が偽の聖女であるという話は既にジークバルト陛下にも伝わっているのだろうか。
……構わない、何を言い渡されても。
カイル様に詐欺師と罵られ、婚約破棄された時に比べれば、痛くも痒くもないだろうから。
そして王の間へ通じる扉が開く。
開いて、その先には……。
「すまない、ルーミエ! 僕は……僕はとんでもない勘違いをして、君を傷つけてしまった! 婚約破棄なんてとんでもない、全て許してくれ……!」
……今まで見たこともない剣幕で頭を下げて謝る、カイル様の姿があった。
次代の国を背負う第一王子が頭を下げる、これがどれほどのものか私も知っている。
それでも、私はさっきまでカイル様のことを何があっても許さないつもりでいた。
裏切られて罵られた、それで全てがどうでもよくなってしまったくらいだった。
けれど……。
「誤解、解けたんですね?」
申し訳なさげに顔を上げて頷くカイル様。
「婚約破棄も、しないんですね?」
もう一度頷くカイル様。
その姿に、込み上げてきたのは安堵感。
ああ……こうやって許してしまおうかと思ってしまうあたり、私は本当にこの人のことを愛しているらしかった。
……けれど。
「とはいえどういう経緯で私を詐欺師と罵ったのか……お聞きしても?」
裏切られた怒りが全て消えたかといえば、そうではなかった。
にっこり微笑みながら聞いたつもりだったけど、カイル様は何故かすくみ上がっていた。
……何故だろう?
「聖女ルーミエよ。そう怖い笑みを浮かべるな。気持ちは分かるが私でさえすくみ上がりそうだ」
額を押さえてそう言うのはジークバルト陛下。
カイル様のお父上だ。
一国の主がすくみ上がりそうだなんて、冗談がお上手な方。
そしてその傍らに座しているのは……。
「精霊の方ですか?」
長身の引き締まった体付き。
長く白い髪は一つに束ねられ、その瞳は翡翠色に輝いていた。
白を基調とした装束は各所に金銀が散りばめられ、神々しさを感じる。
精霊は皆、子供の姿だと思っていたので、こうして大人の精霊と会うのは初めてだった。
「然り。我こそが精霊を統べる者。我が子らは精霊王と呼ぶ」
「精霊王……!?」
すると精霊王の座る椅子の裏から、さっき私が魔力を与えた精霊たちが現れた。
「ルーミエ! 無事でよかった!」
「精霊王様に相談して正解だったな!」
「皆……! そっか、皆が精霊王様に伝えてくれたのね」
精霊王。
この聖王国では精霊の父と伝えられる存在。
自然の化身である全ての精霊を統べる、謂わば世界そのものである存在だ。
「……話を戻すぞ。当代の聖女、ルーミエよ。左手をこちらにかざせ」
精霊王に言われるまま私は左手をかざした。
すると私の左手の甲に十字の印、聖印が現れた。
「聖印……!? どうして?」
「……すまない、ルーミエ。聖印は聖女の証ながら自然に浮かび上がるものではなかったんだ。精霊王に謁見して、聖女の魔力が反応して初めて現れるものらしい。でも、あくまで印は印。現れたところで聖女の力は上がるわけでもないようなんだ……」
なるほど。
それで精霊たちが聖印について「あんなの飾り」と言っていたわけだ。
カイル様は改めて私に頭を下げた。
「ルーミエ、本当にすまない! 知っての通り、僕の母も聖女で君と同じ聖印が左手に現れていた。……そしてクラリスが僕に聖印を見せてきた時、思わずカッとなってしまった。母も聖女として苦労していたから、そんな聖女の立場を君が騙っていると思った瞬間、許せなくなってしまったんだ……。偽の聖印、偽の聖女はクラリスの方だったのに……」
その話を聞いて、ストンと腑に落ちるものがあった。
カイル様は家族を、特に早くに亡くなった母である王妃様を想っていた。
私が聖女としてお城に連れてこられた時、率先していじめから守ってくれたのも、聖女がどんなものか王妃様を見てよく知っていたからだろう。
でも……。
「カイル様。それでも私は傷つきました。まさか婚約者より他の女性を、クラリス様を信じるなんて……」
ちょっとわざとらしくそう言ってみると、カイル様は「うっ」と言葉を詰まらせた。
その様子がおかしくて少し笑ってしまうと、カイル様は赤面した。
「……何度も言うようだが、すまなかった。謝って済むことではないけれど、償いはこれからする」
「分かりました。期待しています」
カイル様も心から反省しているようだし、それに彼の右頬が赤くなっているのにも気付いていた。
この国で王子の頬を打つことが許されるのは、ジークバルト陛下だけだ。
既にカイル様も罰を受けたのだと思えば、私の胸も少しは軽くなった。
「……さて。未来の国王夫妻の仲も戻りつつあることだ。此度の元凶に問おう。クラリスとやら。言い残すことはあるか?」
精霊王が顔を顰めて王の間の一角、暗幕で覆われていた方へ視線を向ける。
すると近衛兵たちが暗幕を剥ぎ、中からは青ざめた表情で座り込むクラリスが現れた。
「お、お待ちください、精霊王様。これは何かの、何かの間違いです……!」
「……ふむ。何かの間違いか。お前の左手にある偽の聖印はカイル王子を誑かすため、恐らくは彫り師に彫らせたもの。確かに間違いの聖印の持ち主には違いない」
「ち、違いますっ! 私は本物でございます! 何より下賎な平民の血筋から真の聖女が現れるなど……そんなはずがございません!」
クラリスは涙を流して「カイル王子……!」と泣き落としをしていた。
カイル様は見ていられなくなったのか、目を伏せて黙り込んだ。
「罪を認めぬか。では……そうさな。最後の機会をくれてやろう」
精霊王は立ち上がり、私やクラリスの前まで歩んできた。
「精霊の姿は聖女以外にははっきりと見えぬもの。それは精霊王たる我が身も同様。この声もあくまで、強き魔力により発し、聖女以外にも届くものである。故に……我が姿をはっきりと目視できた方が真の聖女である!」
精霊王は「まずクラリス、述べよ」と低い声音で言う。
「わ、分かりました……」
クラリスは目を泳がせ、口を開く。
「精霊王様はその声、威厳に違わぬ、老齢ながら武人のような外見のお方でございます」
それを聞いた途端、私は悟った。
クラリスには魔力がほぼないと感じていたけれど、これでは精霊に魔力を渡すどころか……精霊王の姿さえはっきり見えていないのだと。
今話したのは、多分クラリスの中の精霊王のイメージだ。
「では次に、ルーミエ」
「はい。……精霊王様は長身痩躯ながら引き締まったお体の持ち主で、外見の年齢はカイル様とほぼ同じに見えます。煌めく銀髪に深い翡翠色の瞳は、まさに神秘そのものかと」
私がそう話した途端、ジークバルト陛下とカイル様が目を見開いた。
「今の言葉は……!」
「先代の聖女、母上の語った精霊王の外見と同じもの……!」
驚く二人に、精霊王は鷹揚に頷く。
「左様。精霊は歳を食わぬ故、生あるうちは若きまま。……そこのクラリスとかいう偽聖女が言うような老いた精霊など、人間の作り出した物語の中にしか出てこぬよ」
精霊王が語彙を強めると、クラリスは震え出した。
「カ、カイル殿下! 私が、私こそがあなたの伴侶に相応しいのです! 聖女の力が何でしょう、尊き王族の血を平民の血で汚すことは……!」
「……すまない。ルーミエを傷つける過ちを犯した身で、こんなことを言っても仕方がないのは承知だが……」
カイル様は私を抱き寄せ、クラリスに言う。
「僕は二度とルーミエを裏切らない! 何故なら彼女は本当に、今まで僕に嘘をついたことがなかったから。嘘で僕らを引き裂こうとした君を妻にはできない。……連れて行け!」
途端、さっきの私のように、今度はクラリスが左右を近衛兵に固められて連行されていく。
「カイル様……カイル様ァァァァァァァ!」
王の間からクラリスが去った後、ジークバルト陛下は言う。
「カイル。今回の件はお前の不徳。だがよく言った。……クラリスは投獄。マーセラス伯爵家は取り潰しとし、以降、お前はルーミエを信じ続けよ。その命尽きるまで。……異論はないな?」
「ありません、父上。僕は今日この日を死ぬまで悔い続けて、彼女を守り続けると誓います」
カイル様はジークバルト陛下の前で、そう誓ってくれた。
王の前で誓った言葉を覆せば、王子であっても場合によっては斬首さえ有り得る。
……カイル様もそれくらいの覚悟を決めてくれたのだと思うと、私も嬉しくなった。
「さて、一件落着ということでこれにて我も精霊郷に戻るとしよう。力の供給を止めさせていた精霊たちにも話をつけ、今日中には聖王国の生活を元に戻す必要もあるのでな。……最後に、聖女よ」
「はい、なんでしょう」
精霊王は小さく笑みを浮かべて言った。
「その魔力のお陰で我が子らは皆、日々を精力的に過ごしている。故に我らは皆、聖女の味方よ。今後も何かあれば力を貸す、それをよく覚えておくよう」
「はい。でも……大丈夫です。今回の件でカイル様とは本当の意味で信頼し合えるようになったと思いますから。今後は二人で乗り越えていきます」
精霊王は最後に「聖女と王子、その行く末に精霊の加護を」と言い残し、帰っていった。
……さて、それからというもの。
「カイル様。そう見つめられては精霊へ魔力を渡し辛いのですが……。執務の方はよろしいのですか?」
「精霊に魔力を渡した後、いつもふらつくのだろう? なら僕がそばにいた方が何かあっても支えられると思ってね」
どこか心配そうな様子のカイル様に、私は「倒れそうになったらお願いしますね」と微笑んだ。
あの事件の後、カイル様との愛は深まったと思うけれど、同時に彼はちょっとだけ過保護になった気がする。
ここまでが短編版の範囲となります!
次回から連載版のオリジナル部分になります!