第8話『もう1人の監察官』
その日の授業を終えた俺は、早々に男子寮の自室へと帰った。しかし、孤独感に打ち震えていた昨日までとは違う。俺はようやく友達というものを手に入れ、監察官任務の大きな一歩を踏み出したのだ。
俺は早速コンピューターを立ち上げ、今日得たデータをまとめながら報告書の作成に移る。
この作業のために理事長に無理を言って1人部屋にしてもらったのだ。少し殺風景すぎて寂しいが、集中して作業するためには仕方のないことだ。
俺は理事長から貰ったデータに、新たに知り得た情報――特に性格面に関しては事細かに書き加えていく。
まず、柳沢譲治。普通の人間。
ガキ大将気質の兄貴分で、オープンな変態紳士のため女子からは露骨に避けられているらしい。が、男子からの人望は厚いそうだ。それは俺も同感できる。ちょっと欲望に忠実ではあるが、基本的には義理と人情に厚い好漢と言えるだろう。
2人目、波多野耀。レイスの魔人。
暑苦しいジョージとは対象的に、冷静沈着な毒舌家。こちらもあまり女子からは好かれていないそうだが、大して気にしてはいないようだ。意外と観察眼に優れ、読もうと思えば空気も読める。ジョージのいいブレーキ役だ。
3人目、メアリー・サンプソン。魔法界人。
クールでサバサバとした性格だが、あまり人と関わることが好きではないようだ。自身がトラブルの火種になると自覚しているのか、周囲の人と壁を作りがち。彼女に関してはまだ情報が少なすぎる。
しかし、データによれば学園内のランキングは8位――魔法界の人間らしく魔法は得意なようだ。
4人目、安浦葉由流。アルミラージの魔人。
この子もあまり関わりが無いので、未だ未知数な部分が多い。というか俺を怖がりすぎではなかろうか……ただ、体育の直前にわざわざ俺に話しかけてきてくれた辺り、本質的には優しい子なのだろう。
個人的には、メアリーよりもこの子が気にかかっている。何というか、説明しづらいのだが……初対面の時から妙な既視感があるのだ。どこかで会っただろうか……?
「……ん、今日のところはこれぐらいかな」
今のところ、理事長のデータと大した乖離は無い。というのも、あのデータはかなり詳しい事まで書いてあるのだが、性格面に関しては打って変わって大雑把だ。
どうしても主観が入ってしまうため、まとめるのも難しいのだろう。ここは俺が補うしかないか。幸い俺にとってはさして面倒でもないし、むしろ楽しい作業ですらある。
「でも悩みの種が多すぎるよなぁ……」
楽しい作業ばかりはしていられない。比重としては、厄介な情報の方が遥かに大きいのだ。
さしあたって俺が解決しなければならないのは、俺自身のイメージ。まさか転入前から悪い噂が流れていただなんて考えもしなかった。これを解決しない限り、人と関わることすらままならない。監察官としては致命的すぎる問題だ。
今後の方針としては、とにかく学園の中心人物になる事。これが今考えられる最善の策だ。
これだけ悪目立ちしてしまっていては、当初の予定だった「そこそこの位置から暗躍する」というのは実行不可能。ならば、いっそのこと悪印象を覆せるような好印象で目立ってしまおうという作戦だ。
これなら人付き合いもしやすいし、広い視野で生徒たちを俯瞰できる。もうこれしか道は無いだろう。
問題はそのためにどうするか、という事。
「地道に男子からの好感度を上げるのが確実か? ジョージも羽多野も男子からの支持はあるし……いや駄目だ、女子のことも考えると時間がかかりすぎる」
男子と仲良くなる→その流れで女子とも打ち解ける→その繰り返しでクラスに馴染む、という工程はまどろっこしい。どれだけ時間がかかるかわかったものではない。
もしその途中で何か事件でも起こったら、俺の行動が不自然に移ってしまうのは避けられないだろう。監察官だとバレてはいけない以上、それは避けたい。
が、これ以上の方法があるとも考えづらい。
そもそも最初の条件が悪すぎるのだ。好感度最低の状態からスタートとか、いったい何の罰ゲームだこれは。
「何かドカンとイメージを変えられる何かがあれば……ハユルちゃんを使うという手もあるか……?」
データを見ていると、ハユルちゃんが新聞部に所属しているということがわかった。もしかしたら使えるかもしれない。
学園内にあるであろう新聞か何か、もしくは単なる噂話でもいい。それで「九頭龍巳禄が不良ではない」という情報を流してくれれば、かなり有効に働くだろう。
それでも信用を得るのに時間がかかる人はいるかもしれないが、そこは俺の立ち回りでどうにかするしかない。
ここで問題になってくるのは、肝心のハユルちゃんの信用を得るのが難しいという事。あんなに警戒しまくっている相手とどうやって仲良くなればいいんだ……?
「そういや初めて会った時にデカいカメラ持ってたよな……写真好きなのかな。よし、勉強しといて損は無いな」
なんて呟きながらも、自然と笑みがこぼれるのが自分でもわかる。今まで血生臭い生活をしていただけに、こんな平和な時間が訪れるとは思っていなかった。
現状では上手くいっているとは言えないが、こうして試行錯誤するのも楽しいものだ。早速、俺は資料を広げてハユルちゃん懐柔作戦を練り始めた……丁度その時だった。
俺の部屋のドアを、誰かがノックする音が聞こえて来たのだ。
「ん? 誰だ、こんな時間に……あの2人か?」
十中八九、ジョージと羽多野だろう。現時点で俺の部屋にわざわざ来るような物好きなんて、あの2人ぐらいのものだ。
一応、人違いだったら恥ずかしいので覗き穴を確認してみることにした。椅子から立ち上がり、木製のドアに空いた小さな覗き穴から外を見る。
そこには、鬼がいた。
「……」
無言で顔をドアから離す。それから目をこすり、大きく深呼吸をして、少しだけ苦笑してから再び覗き穴を覗くと――見間違いではなく、ちゃんと鬼の巨体が映っていた。
「……誰!? え、何っ、ええ!?」
紛うことなき鬼。岩のようにゴツゴツとした赤褐色の肌に、額から伸びた2本の角。口の端からは鋭い牙が覗き、その顔立ちは金剛力士像のように険しい。
一瞬、魔物かと思った。しかしちゃんと制服を着ているし、暴れ出す様子も皆無。だが、こんなインパクトの塊みたいな奴データにあったか……!?
「……開けるか」
勇気を出して開けてみる。殺されはしないよな、多分……あ、殺されても死なないんだった。そう思うと幾分か気が楽になった。
俺はぎこちない動作でドアを開け、謎の赤鬼を作り笑い全開で部屋の中へと招き入れる。
「た、立ち話もなんですしどうぞ……? あと、何の御用……というかどなたですか……?」
「……え!?」
俺の問いかけに対し、赤鬼は驚きの声を上げた。まるで自分のことを知っているのが当然かのように。だから誰なんだこの厳つい鬼は。
というか声高すぎだろ! なんでその外見で声変わり前の中学生みたいな声してるんだよ、ギャップが凄まじいな!
色々と付いていけないながらも、赤鬼にはテーブルに着いてもらう。俺が勧めたのに従って大人しく正座で座った赤鬼だったが、今度は小声でブツブツと何やら呟き始めた。
「な、何も聞いてないんですか……!? 何の断りも無しに押しかけたから混乱してるのかな、それだったらボクが悪い……のか? うん、やっぱりボクが悪いんだろうな……」
「えーっと……まずは名前を聞かせてもらっても?」
「はぁ……ちゃんと情報が伝わってなくてすみません。ボクは佐伯優斗といいます。1-Cです」
「こ、後輩だったのか……! あ、俺は九頭龍巳禄。2-Aね」
「それは知ってますよ……」
「えっ、まさかあの噂って1年生にも……!?」
まさか。そんなまさか。俺の悪い噂が学年を超えて入学してすぐの1年生にまで伝わっていたというのか。だとしたら俺の立場がますます悪い。
ほかの学年の誤解まで解かなきゃならないなんて、ほぼ詰んでるようなものじゃないか……と内心で絶望していると、
「噂に関してもそうですが……本当にボクのこと何も聞いてないんですか?」
「夜分にいきなり赤鬼が訪ねてくるドッキリなんて聞いてないんだけど……」
「そうじゃなくて……ボク、ここの1年生担当の監察官ですよ?」
「……へ?」
それを聞いてしばしフリーズした。
こいつが監察官? この「目立つな」という監察官のセオリーの正反対にあるような奴が? 確かに俺も人のことは言えないが、ここまで出オチ感のある見た目はしていないぞ……?
「やっぱり聞かされてないんですね」
「あ、あぁ……俺以外に監察官がいたなんて初耳だわ。聞かされるって誰に? 普通、そんな重要なことは事前に知らせて――」
「小野屋団長にも言ったんですけど……」
「あ、OK。全部理解した」
その名前を聞いたら大抵のことは理解できる。理解はしても納得は絶対にしてやらないが、これはこういうものとして処理するしかないだろう。
あんなのに言伝を頼んだ佐伯の致命的な人選ミスだ。
「なるほどね、それで顔合わせ的な意味で来たと」
「はい。改めまして――東京騎士団第4師団所属、B級騎士の佐伯です。本当は進捗を話し合うつもりだったんですが、それはまた次回にしましょう。3年生の担当にもそう伝えておきます」
「あ、3年生にもいるのか」
ということは、少なくとも3人いるという事か。確かに、前回の監察官任務で俺1人しか監察官がいなかったせいで大失敗した前例を考えれば妥当な措置か。
これで俺の肩の荷はだいぶ降りた。これなら、とりあえずは自分の学年のことにだけ集中できる。
「それじゃあボクはこれで……」
「ちょっと待ってくれ」
「はい? どうかしましたか?」
立ち上がって早々に帰ろうとした佐伯を引き止め、再び座らせる。佐伯は不思議そうに首を傾げながら正座したが、その凶悪面でやられるとかなりシュールだ。
「佐伯、お前は監察官としてどうなんだ?」
「どう、とは」
「その外見でも1年生に馴染めてるのかってこと」
「ええ、それはまぁ……話せばわかってくれますしね。それがどうか――」
「頼む! 俺にコミュニケーションの何たるかを教えてくれ! こんな時期にそのナリで溶け込めるって相当なコミュ力なんだろ!? そんで今の俺の状態知ってるだろ!? 助けてお願い!」
「えぇ……」
先輩のクソ情けない懇願に若干引きつつも、佐伯は俺の頼みを了承してくれた。そして、30分ほどご教授頂いて佐伯がとんでもないコミュ力の怪物だったことを思い知る。
俺は佐伯大先生のおかげで何とかやって行けそうなコミュニケーションの心得を手に入れたが、それと引き換えに先輩の威厳を失ったのだった。
「まさか、あの不死身の狂戦士・九頭龍巳禄がこんなポンコツだったなんて……」
「ポ、ポンコツ言うな! あと狂戦士でもねえし!?」
「いや……自分のスプラッタ見せつけて戦意喪失させるってだいぶ狂ってると思うんですけど……」
「なんでそれ知ってんだよ!?」
それは自分でもたいぶアレだったな、とは思っていたけれども。そこまで俺の珍行動(と言っていいレベルではないと思うが)がほかの師団にまで知れ渡ってるってどういう事だ。
佐伯は呆れたような苦笑いを金剛力士像みたいな顔に浮かべたまま、
「でも、イメージよりも親しみやすい人でよかったですよ。大変だと思いますけど、お互い頑張りましょう」
「お、おう……」
「あぁ、あと九頭龍先輩のことですけど、早ければ明日には改善し始めると思いますよ」
「?」
そんな意味深な言葉を残し、今度こそ佐伯は部屋から出ていってしまった。その言葉の真意が汲めず首を傾げたが、悩んでいても仕方ないのでもう寝ることにした。
そして、その翌日。
佐伯の言っていたことは、俺の想定外のカタチで現実のものとなる。