『右腕』1
パラレルの日本が舞台の近未来SFです。
現代の日本より進んでいるところもあれば未熟な部分もあります。
稚拙な部分はご容赦を。
日は落ちかけ、すでに西の空は赤い。やがて東から藍色の夜へ変わっていく。
その消えそうな夕日の光を整理された鏡面ガラスのビルの群れが照り返し、幾本もの道路には車が忙しなく走り続けている。二〇四一年、そんな冬の夕暮れの二月五日午後五時十分前。
その一本の道路を名古屋郊外に向けて俺は自分の車を走らせていた。その後ろには多くのパトカーがいるが、別に追われているわけじゃない。
むしろ先を急いで次々と俺の車を追い抜いていく。
「オイ、所轄に追い抜かれてんだろ。少しはアクセル吹かせ」
「はいはい」
隣で不機嫌な上司に相槌を打ち、パトカーから離されないようにアクセルを吹かす。
シュボッと火の立つ音が聞こえ、上司が咥えた煙草に火を灯した。相変わらず草の煙草を吸う気持ちが俺にはわからない。
何度も注意しているのに聞いてくれない性格はもっとわからないが……。
「早良さん、俺の車では煙草は止めといてくださいって言ったじゃないですか」
「俺は愛煙家なんだよ。知ってるだろ?」
「いや、知ってるから言ったんですが」
黒いスーツに琥珀色のYシャツ、それをラフに着崩した早良さんはそう答える。いつものことだから半分日常になってしまっているので、俺もそれ以上何も言わない。
次に言うことは大体決まっている。
「大体なあ鹿嶋、空気清浄機つきの車使ってねぇからそんなこと気にすんだよ。こんな古臭い車乗りやがって……まあ男だからわからんでもねぇが」
「……はいはい」
やはりいつもと同じ。短い髪を後ろに流した、険しそうな顔。刑事でなければヤクザのような風貌をした俺の上司、早良慶一はダルそうな顔で過ぎ去るビルの群れに目を向ける。
これもいつものことだ。
「今時マニアでもねぇのにガソリン車乗ってるのはお前くらいなもんだな」
「そうですね。もう売ってないし、余計に税金かかるから好きでもなければ乗らないでしょう。でも俺は今の電気式や燃料電池のより、こっちのが走ってて気持ち良いんですよ」
俺の愛車はナルセ二〇一九、日本最後のガソリン車。
今年は二〇四一年だから、もうあと二ヶ月で二十二歳の年代物だ。
「…………知ってるよ。何度も聞いた」
「俺も何度も言ってますから、知ってますよ」
何度もやり取りを繰り返した内容だ、もうそろそろ覚える。たまには別の会話を出して欲しいものだが、早良さんは日常会話が不器用だから仕方ない。自前か支給車両なら燃料電池車なのに、俺の車にわざわざ乗ってくるのはきっと彼もガソリン車が好きなんだろう。
「……今回で四件目か」
「はい。四件目、五人目ですね」
ナルセを道なりに流して俺は言葉を続ける。車内に差し込む赤らんだ光を肌に感じながら。
「……日が出てる内に起こったのは初めて、ですよね?」
「ああ……」
相槌を打つ上司のやる気のない声に、少し気が滅入る。
凄惨な現場を立て続けに見てきたんだ、さすがの早良さんでも滅入るだろう。特殊な捜査を繰り返す俺たちの課において、早良さんの負担を減らすことは設立されてからずっと解決できていない大きな問題だ。使えば精神が磨り減るのだから心配は尽きない。
「鹿嶋ぁ……」
「はい?」
「お前煙草吸うのに、なんで車じゃ吸わねぇんだ?」
「なんでって、俺のは電子煙草だし……ははっ」
人が心配してたっていうのにこの人は、タフなんだか能天気なんだか。
さっきまで不機嫌な顔してたのに、今じゃ本気でそれが知りたいといった顔つきだ。
まあ、新人の俺に心配されるような人じゃないってことだ。知ってたけど。
OK、俺の悩みを聞いてもらおう。俺は息を整え、軽く溜め息をついて答えた。
「決まってるじゃないですか。匂いが移るし、掃除地味に大変なんですよ……」
「…………余計な手間かけてすまねぇ。ふぅー……」
「謝るなら消してくださいっ!!」
紫煙を車内に吐き散らす怪獣に俺は力強くツッコんだ。
――――――。
――――。
――。
結果として俺たちは、情報の遅れもあって所轄より早く着くことは出来なかった。
「ほら、お前が急がないから所轄があんなに来てやがる……面倒だぞぉ……」
げんなりとしながらも煽ってくる早良さん。多分俺のせいではないが、面倒なことには変わりない。
そう言いながら早良さんはサングラスを掛けた。もう見た目は完全にヤクザ。
「いや、まあ確かに安全運転で来ましたけどね……いつものことじゃないですか」
「だから面倒なんだろ。お前が行けよ」
「どうせいつも俺じゃないですか。まあ、行ってきます」
現場は皇都名古屋から少し離れた宮野市のカジノ店。
その立体駐車場で発見された遺体を広く囲う所轄の警官、刑事たちが忙しそうに光学シートを周りに被せている。
俺は手近なヤツに声をかけることにした。
「ああー……ちょっといいかい?」
「あ? ……関係者以外は立ち入り禁止だ。記者なら会見を待ちな」
怪訝な顔で俺を見てくる警官、見るからに野次馬を散らす時の顔つき。
まあそれもそうだろう。日本人だけど俺の髪は強い赤毛。ジャケットにジーンズ、おまけにスニーカーに加えてハンディカメラ。自分でも刑事らしくないと思う。
だってさっきまで新聞社の捜査でフリーライターとして入ってたんだもん、仕方ない。
「違う、公安警備七課所属の鹿嶋陽輔特務巡査だ」
俺は懐から群青色のビロードの張られた手帳を見せる。
桜を咥えた鴉の金印が張られたこれは一般の警察と違い、警察省と軍部省から新たに設けられた公安警備省の所属であることを示す物だ。もっとも……。
「安警? ……またか」
去年二〇三九年の頭に突然の新設したため、ウチは未だに縄張り意識の強い警察からは見下されがち。
加えて公安部が独立したようなものだから警察の仕事をかき回しているも同然、煙たがられるわけだ。
「また横槍か、昔からあちこちしゃしゃり出やがって……ゴキブリかお前ら」
現場を取り仕切っている感じの年配刑事が、奥から出てきて俺に喧嘩を売ってくる。
(せめてハイエナって言ってくれよ。……ってそういう問題じゃないか……)
俺に周りの警官や刑事たちの非難の眼差しが集中する。面倒ごととはこういうことだ。
一部だが超法行為ですら秘密裏に許されている俺たちに、法に従うことしかできない彼らからの目は非常に厳しい。
「気持ちはわかるつもりです。私も警察省の所属だったので、横槍は常に理不尽に感じていました……責任者の方ですか?」
新参に現場を持って行かれる。さらに特権持ちで優先権が公安にあるとあっては、警察の威信に傷がつく思いだ。その誇れる仕事意識が対抗してこういった軋轢を生んでしまう。
分かってはいるが、下っ端の俺にはどうしようもない。
「宮野署捜査一課の飯坂だ。若造のくせしやがって……。俺たちが先に見つけたヤマ掻き回して言うことがそれか。それがわかってんなら仕事取られるこっちの身にもなって帰りやがれ……。ま、そんなこと言われちゃ強く反発することもできやしねぇがな」
この年配刑事からすれば歳が二五の俺はまさしく若造だ。しかしこの事件には、所轄を含め警察省や軍部省でも手に余るヤツらがいる。それを一般公務員である彼らに接触させるわけにはいかない。つまり、まあ……簡単に言うと引き下がれないってわけだ。
「コレは我々公安が入らせてもらいます。我々はこの事件に公安が関わるものを疑っているだけであって、関係性がなければ指揮はお返ししますし、情報は特秘級でなければ共有としますので……どうか、ご辛抱を」
「……けっ、名前が変わっても昔から公安は変わりゃしねぇ。兄ちゃんみてーなやつじゃなきゃ食い下がるんだが……古巣が同じとあっちゃ、無碍にはできんな。……おい」
頭を下げる俺に年配刑事が顎で部下たちに道を開かせた。どうやらわかってもらえたようだ。とはいっても納得というわけではなく、しぶしぶだが。
「ありがとうございます。情報はあとからコピーさせていただきますので、よろしくお願いします」
光学シートをそのままに所轄の奴らは隅へと退いてくれた。礼を言うと俺は車で煙草を吸っていた早良さんに手を振り、共に現場へと足を進める。
「うえ……こりゃひでぇ……」
先に入った早良さんの早速の言葉。
イヤな予感満載だが、入るしかない。俺はシートをくぐって現場を視界に入れる。
「…………」
俺は絶句してしまった。
まるで血袋が風船のように大きく破裂した、そんな光景。無慈悲に飛び散る血肉と吐き気を催す鉄と糞の臭い。ここまでやる馬鹿には映画以外じゃ中々お目にかかれない。周りに並ぶ車や広がるアスファルト、鉄骨に天井まで血や肉が飛び散っている。なにより匂いが酷い。
「やれやれ……映画じゃあるまいし、もうちょっと綺麗に殺してくれないかねぇ。5日間でここまでやるとは、精力的なことだ」
そんなことを呟き、煙草をまた吸ってる早良さん。
何本目ですかアナタ。ここ現場ですよアナタ。
よくよく見ると目が帰りたいと心なしか言ってるように感じる。
「鹿嶋ぁ……」
「帰しませんよ? 課長に怒られるの俺なんですから」
「……せめて言いたいこと言わせてから答えろよ」
そう言って苦笑いする早良さんは煙草を携帯灰皿にねじ込み、仕方なさそうにジャケットを脱いで俺に投げ渡す。彼なりの気合を入れる儀式ってやつ、みたい。
「Yシャツ一枚……二月なのに良くやるよ」
指の骨を鳴らす元気な上司に呟きながら俺はサングラスを掛けた。
「…………」
自分の目頭を押さえながらしばしの沈黙の後、まるで虹のような強い光が一瞬だけ早良さんから発せられ、辺りを包む。その中で早良さんの口元が苦く歪む。
早良さんの持っている能力の内の一つ、残留記憶閲覧。だが、光学シートの内側から見える所轄たちはこの激しかった閃光にも無反応。
この光は特定の者にしか見えない。この所轄の中には超能力《・ ・ ・》保持者は居ないようだ。
一般人には見えず、昔からこの二〇四〇年になってもどの機械にもそれを捉えることは出来ていない。お陰でテレビなどに『超能力者』が出るときにはこれで本物かがわかる。画面を通してそれを見ることができるからだ。いつ考えても摩訶不思議な光。早く解明されないかな……。
「何見てるんだ?」
十分に見終えたのか早良さんが声をかけてきた。
「いえ、俺たちみたいなヤツ……居ないかなって。どうでした?」
超能力の適性を持っているヤツは、今の光が見える。それが、俺の教えられた常識。
それは異能閃光というもので、超能力を発現させるときに必ず付いてくる発光現象だ。
広範囲に渡る能力だったりすると今みたいに閃光弾の如く辺りに光を撒き散らす。この光が強ければ強いほど強力な能力者と見て間違いはないらしい。となると、閃光弾のような光を出す早良さんは一体どれだけ強力だと言うのか。
「…………当たりだな」
そう答える早良さんの顔は、ここに入った時よりもっとげんなりしている。
現場に残った被害者、加害者など記憶を読み取るこの能力は捜査にうってつけだ。だが同時に酷く能力者の精神に負担をかけるものでもある。
世界で超能力者が生まれ始めたのはいつだろうか?
歴史の中で特別な力を持つとされる人間は多く存在した。
神話や歴史の中にも、漫画や小説、映画、ゲーム。人は人以上の力を欲している。歴史の中に名を残す幾人かは、もしかしたらその内の一人なのかもしれない。
しかし現実はそんな者など『居てはならない』。
少なくとも、そうそう居てはならないのだ。
「しかし……やっこさん何かあったのか? 入ってきた感情が黒すぎる」
その居てはならない理由の一つが犯罪。人知を超えた我々と彼らの能力は、一般人にとって脅威以外のなんでもない。ましてそれが感情的に振るわれたとしたら被害は甚大だ。
「ムカついてたとか……?」
「おいおい。コレまでどんなムカつくようなヤツらも四人も手際よく綺麗に殺してきたヤツが、ムカつくってだけでこんな乱暴になるかよ。ましてや開店中のカジノの駐車場、ここまでやる必要性はない。目撃者を一気に大量に作っちまうだけだろ?」
彼の言うことはもっとも。発覚を遅らせるなら隠匿することが第一。加えて犯人は、この尾張三河の州都でも他に三件の殺人を行っている。どれも目撃者がいない。
同一人物だとするとこの荒れ方は何か引っかかる。今のところこの事件もまた、目撃者は居ないのだが。これもいつまで続くかわからない、不安定なものになってきているということだ。
この被害者に対して特別な怨恨があったのか、それとも感情のとばっちりか。はたまた別の何か……能力の暴走事故とか?
「…………早良さん、能力の暴走って線はないですかね?」
「似合わねぇサングラスを外してから物を言えよ」
「ひっで……俺も気にしてるんですよ? てゆーかさっき会話したじゃないですか」
ツッコまれてサングラスを外しながら俺は答えを待った。
「能力の暴走か、この手のタイプは感情がその引き金だから無いとは言えないが……それは薄い。明確な殺意と怨嗟がこもってやがる。引き金はやっこさんが引いたのさ」
僅かな時間で引き出した情報を材料に俺は自分なりの推理を言ってみる。
「んじゃ、この件は犯人が違うとか……?」
「いーや、残された波長が明らかに似すぎてる。その可能性は低いな」
早良さんの拾った情報はとても精度が高い。設立して十三ヶ月の七課ではあるがその前から軍で特殊法務を担当していた時から、時折警察にも情報が入ってくるその手腕で解決された事件は数知れない。
「……早良さんの残留記憶閲覧、相変わらず凄いですね。六課の奴らも驚くわけだ」
「…………戻るぞ」
まったく、この人の超能力の幅には驚きを隠せない。差し出したジャケットを受け取り、不機嫌そうに車へ向かってしまう。よほど胸糞悪いものを見たのか。
「あ、ちょっと待ってくださいよ。情報のコピーとサイン貰ってきますから」
俺たちにとってはこの事件が追っている犯人によるものだとわかり、進展はあったから嬉しい。が、所轄にとっては事件自体が俺たちに持っていかれるわけで……説得に向かうと年配刑事を始めとする方々がこっちをイラついた目で見てた。
嫌な予感がバリバリする。その予感に俺は口の端が痙攣するのを感じ取った。
「飯坂さん、すみません。この事件、どうやら我々の追っている犯人のようです」
「ちっ! で? どんなやつなんだ、あんな殺し方するヤツってのは?」
隠す気も無いのは清々しいが、面と向かって舌打ちされると何だかムカつくものがある。
「今回の件は特秘事項になります。申し訳ありませんがこちらからの情報はできません」
俺が正直に答えると一気に所轄方の空気の怒気が上がったのがわかった。
「てめぇどういうことだ! さっき情報は共有って言ったろうが!」
飯坂刑事の後ろで他の奴らも俺を睨んでいる。だが仕方ない、こうやって言っておかないと捜査権の移譲が成立しない。
「特秘級の情報でなければ、と申し上げました。わかってください。この通り」
「…………兄ちゃんはほんと……よく自分の武器を知ってるよ」
俺は必死に頭を下げる。警察省の刑事時代、公安に頭を下げられたことはない。いつも傲慢に頭ごなしに仕事を奪っていく彼らを、俺は歯痒い気持ちで見るしか出来なかった。
仕事を奪う側になった今、少しでも不快感を和らげれるなら頭を下げるのは安いものだ。
……だが。
「公安がこの厄介な仕事を請け負ってやるんだ、所轄が駄々こねるんじゃねぇよ」
「…………」
「あぁ?」
突如割って入った暴力的な声が俺の努力を無駄にした。少し和らいだ空気が一変し、若い刑事たちがそのまま後ろを振り向く。すでに顔が臨戦態勢になってる者までいるが、後ろに居た人たちを見て凍り付いてしまった。
「飯坂さん、ゴネるのもいい加減にしてくれ」
「日、日ノ本……」
刑事たちの視線の先に並ぶのは二台の白のバン。【新日本食品研究所】と書かれ、愛らしいキャラクターが手を取り合って踊っている。
豚牛鳥の三人が仲良く工場の家屋に入っていくその絵は、実にシュールだ。
そこから出てくる黒い服を着た五人組も相まって……。
「もう組織が変わってるんだ。ここからは俺たちの領分、って決まってるんだよ」
そんなシュールなトラックとはとても結びつかない、いかつい五人組の先頭に立つ男が声を続けた。飯坂さんの反応を見ると、どうやら彼とは知り合いの様子。
日ノ本と呼ばれた男、彼は俺たち公安警備庁の六課に属する係長。
警視庁刑事部から前身である公安部に至るまで様々な鑑識を一手に引き受けてきた、警察の伝説。俺を含め所轄の中でも顔を知る人は多く、発言権も階級も俺より遙に大きい……当たり前だけど。
白髪の多く混じる短髪、縁のしっかりした銀のメガネと鋭すぎる目つき。見た目から言っても実に強面だ。
今回は早いな……と思っていると、日ノ本さんは押し黙ってしまった所轄一同から目を外してこちらに視線を移す。固そうな銀縁メガネの奥から覗く目は明らかに怒っていた。
「お前、七課の鹿嶋だな? どういうつもりだ……?」
「え? いや、無用な争いはよくないかな、って」
「ふざけるな、組織体系はもはや別物になっている。我々の動きは国が保障していることなんだぞ。それを所轄に頭を下げるとはなんだ、度が過ぎる」
「いえ、そういうつもりじゃ。それに所轄の人が納得してくれれば安いものですし」
ツカツカと歩み寄ってくる彼の気迫に押され、俺は一歩後ずさりしてしまった。
「つもりが無くてもそういうことになるんだよ。お前のやってるのは自己満足、安い安いと何度も買ってりゃ高くつくんだ。考えろ下っ端」
反論の余地も無い。確かにそう言ってしまえば割り切って行動できるんだし、当然だが。
「す、すいません」
「サインは俺が貰っておく、後から部下に届けさせるからお前はもう行け」
「あ、ありがとうございます」
ひとしきり怒りを吐き出したのか、日ノ本さんはフンと鼻息荒く現場へと足を向け、あとに続く四人の部下たちもそれに続いて光学シートの奥に消えていった。いつの間にか、まるで鎮火されたように所轄の警官たちも静まっている。
「あの人怖いです。初めて会いましたけど超怖いです」
車に乗り込み、俺は頭を掻いてキーを差し込み呟いた。
「いつまで待たせてんだテメェ」
隣でこっちを睨みながら俺に威嚇している早良さんを無視して。
「おいこら、無視してんじゃねぇ。さっさと戻るぞ」
「はいはい。怖い怖い、あっちもこっちも怖ぇ怖ぇ」
ナルセを吹かし、俺たちは再び皇都へ向かう。新区画整理を終えたばかりの第三都心、名古屋へ。心なしかナルセのエンジン音ですら俺に怒っているように聞こえた。
――――――。
――――。
――。
二〇一七年。
二〇一四年まで各地を戦火に巻き込んだユーラシア大戦で本州唯一の空襲を受けた旧首都東京は、大戦終了後その座を京都に帰すことになった。首都を電撃空襲された結果、無政府状態を生んだ事実を受けて国は大改革を実施。
大統領や本大臣、省庁の上層部が身を置く首都京都。
天皇以下皇族が居を新たに構える皇都を名古屋。
副大臣や省庁などの二番底を副都心にして福岡へ移した。
東京の復興は進み、以前より……いや以前よりもずっと整理された街になっているが、今大きく国を動かす機関は軍基地を大きく造った軍事省しかなく、今はそのお膝元。
皇族への警備や監視なども行っていた公安は、警察庁が警察省に格上げになると同時に京都へ本部を移された。俺たちが所属する公安警備庁は逆に皇族及び要人を守護するために本部を置いている。
鏡面ガラスのビル群の中の一棟【新日本警備公社】と名前を掲げるビルの地下駐車場に車を入れ、俺たちは受付の女の子にキーを渡す。地下入り口からエレベーターを使い、七十七階へ。このビルに俺たちの本部、公安警備庁が入っている。
別に入っているっていうのは間借りじゃない、新日本警備公社自体も通常の業務をやっているし、俺たちもこの警備会社の社員という扱いになっている。
もちろん一般社員には知られてはならないし、そんなことしたら懲戒免職と記憶剥奪だ。
「なあ鹿嶋、お前能力開発進んでるのか?」
音もなくせり上がり流れていくエレベーターの中で、唐突に掛けられた不機嫌な声が俺を震わせる。
「えと、あんまり。というか未だに何の能力かもわかってないそうで」
「………三ヶ月目だぞ、少しは俺の補助をしろよ」
「結構してませんか? というか一ヶ月は早良さんのお陰で病院だったわけで」
「…………」
無言で見つめる早良さんの目が俺に言い様のない感情を湧かせる。
言っておくと恋じゃない、断じて。体が震えているのが何よりの証拠だ。
「……わかってますよ。捜査面での補助は当たり前、それなら七課じゃなく他の課に行けばいいですからね。能力あっての七課、でしょ?」
「わかってるならいいんだ。高い給料もらってるんだから、頼むぞ?」
エレベーターから降りる間際の言葉は、いつも冗談めいていた彼とは違ってとても真剣だった。スーツから煙草を取り出し、火を灯すと早良さんは自分の個室へと歩いていく。
その妙に張りつめた雰囲気の背中を追うことが出来ず、俺は扉が再び閉まるまで動くことが出来なかった。ここのオフィス禁煙なんですけど……。
「あと今日はもう組んで出ることはない、ちょっと馴染みに会ってくる」
「あ、はい」
背を向けたまま手を振る早良さんを見送り、俺はふと窓を見る。
鏡面仕上げのガラスがなんとも言えない俺の顔を映していた。
否応なしに自分の抱える問題を直視してしまう、まあ……そうしろと言ってるんだけど。
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「とは、言ってもなぁ……」
ギシッと個人オフィスの椅子に背を預けてひとつため息をつくと俺はまだ真新しい天井を見つめて不満を漏らした。
自分でもわかっている。特技も無い俺が、一般捜査以外の動きで貢献できているとは思えない。
正直、能力の保有を教えられるまでは引き抜かれたこと自体、何かの間違いだと思っていた。地方ノンキャリの交番勤務の巡査長が初年度で公安入り。まるでドラマだ。
俺は、自分を使える人間だとは思っていない。だが七課は、超能力の適性が高いということで引き抜いたとのこと。俺に特別な才能があると知ったとき、言葉じゃ表せないほど嬉しかった。なんというか、漫画の主人公になったような気分。
でも何の能力があるのか、それがまだはっきりわかっていない。
発火、念動力、念波、瞬間移動、その他に色々な能力があるが、どれも俺が持っているものとは違うのか、発動の仕方もわからない。
と言うのは、能力らしきものは一応発現できている。
「どうした鹿嶋?」
「……へ?」
いつの間に入ってきたのか、目の前には大量のお菓子を抱えた羽島さんが居た。
同僚であるこの人は大変な甘党で、捜査の時もプライベートの時にもお菓子を食ってるのをよく見る。
今もチョコバーを片手に握っているし。
「だいじょぶか? 声かけても返事なかったから入ったけどよ」
「あ、はい。ちょっと考え事しちゃってて……」
ガッシリとした骨格に角刈り、快活というか人懐こい笑みを浮かべたまま備え付けのソファーにドスンと腰を落とす。昭和の時代に流行った爽やかイケメン球児みたいな笑顔。
なんとなくだが、この人に害意は湧かない。というかこのやり取りの間にもう二本もチョコバーが消えている。
なんでこの人こんな食ってるのに太らないのだろうか。
「おいおい、頼むぜ? 今年の新人お前だけなんだからさ」
そう答えが返ってきた瞬間、ふと抱えた紙袋からジャムのビンがずり落ちた。
「「あ……」」
二人の声が重なったときにはもう床に落ちる寸前だった、が。
「ふぅ……危ないですよ? 割れるところだったじゃないですか」
「今の、お前の力か? ……相変わらず中途半端だよな」
「…………気にしてますからあんまり言わないで」
床に落ちたジャムの瓶を拾い、同僚の言葉にショックを受ける。いつものことだが。
「早良に何か言われただろ?」
「……羽島さんって無駄に勘がいいですよね」
「バレバレだって」
運が良かっただけかもしれない。俺の能力は実は発動してなくて、このビンはただ割れなかったかもしれない。俺の能力ってのはその程度の力しかない。
「でもお前念動力の適性凄かったんだろ? 衝撃緩和の能力だけじゃねぇと思うぜ?」
衝撃緩和能力。
多分俺が持っている能力で発動条件はわかっていない上、異能閃光の発生も蛍の光程度しか確認できてない。その上能力の分類はあくまで仮の名前でしかない。そして既存のそれより格段に力が少ない。
自分の力を最大限に使っても得れる対価は果てしなく小さい。つまり猛烈に燃費が悪い。
なんという絶望的だろうか……。本当に他に能力があるなら縋りたい気持ちでいっぱいだ。
「いえ、でも発現できるのはコレしかないし。たぶん俺の能力はコレだけなんですよ」
過去、警察や軍部が秘匿の中で取り立ててきた超能力者で優秀だった者たち。彼らは例外数人を除いて念動力、つまりサイコキネシスみたいに触れずに物を動かしたり、弾き飛ばしたりする外部への力を発揮するタイプへ適性が多い人物ばかりだったそうだ。
近年では俺の上司である早良さん、軍部のJATという特殊部隊の一部などがそれに入る。実際彼らの動きは目覚しく、特に早良さんはそのJATを経て公安七課に入ってきた。
例を見れば、早良さんや皆が俺の能力に期待するのはわかる。俺も例外に漏れず念動力の適性値が高い。数値だけを見れば、俺は早良さんを超えているのが一番の理由だろう。
だが実際の俺は期待と反比例するように、ここの訓練でワースト1を軒並み塗り替えるほどの成績だった。今じゃ自分でもわかるくらい劣等感を持っている。
「そうかな? 俺はなんか、こう……違ってる感じだが」
「え?」
チョコバーをまた一口かじり、新しいチョコバーを取り出しながら不思議そうな顔で羽島さんは俺に言葉を返してくる。いったい何本目だよアンタ。
能力を持たない一般人でありながら超人部隊の一員であった彼、その動物的な直感はとても鋭いことで有名だ。極一部の中で。
「道具の使い方を間違っている感じかな? よくはわからんが、今の能力は発展途上のものだと思うぞ?」
元気付けてくれているつもりなのだろうか?
俺も彼のように七課に居れる特技があればいいのだが、生憎と受けたのは一般的な武術訓練くらいだ。
「もしかしたら弾道とかに干渉して狙撃できるとか、そういうものなのかも知れんぞ?」
超能力の大部分は基本的に例のあるものが多い。
例えば発火能力や念波、念動力に瞬間移動。どれもSFとかで使われている有名なものだ。だが稀に、俺みたいな類似する能力が全然無いヤツが出る。
そういうのはとにかく試してみるしかなく、週に一度は能力の開発に来てるんだか仕事をやりに来ているんだかわからない位テストを受ける。
「それはもう一ヶ月くらい前にやりましたけど、全然わからなかったですよ」
防衛本能にスイッチがあるかもと言われたときには早良さんの爆弾パンチを顎に喰らって見事に全治一ヶ月の重傷を負い、意識の有無がどうのと言われたときには寝ているときに頭にホールトマトの缶を叩き落とされ二週間眼帯をつけて過ごし、緊張感がどうのと言われたときには電撃地雷を敷き詰めた個室で仕事をさせられた。
個室の実験に至っては、そもそも衝撃なんだから電撃を受けてどうやって能力を発動しろというのか疑問だった。開始二十分で電撃地雷を踏んでしまい、そこから二日間記憶がないのがさらに疑問であった。
「そうか……んー……」
「んー……」
考え込む二人。俺たちが二人で居ると決まって物事が進まない。
今の俺に一つ言えることは、羽島さん並みに日本の狙撃記録を塗り替えるような腕でもないと俺は七課に居られない。
そういういうことだ。
どうにかしなきゃな……捜査もやりながら能力の開発……忙しいことこの上ない。
この両立に頭を抱えながら、また一日が過ぎていくのかと思うと俺はこれからの人生に不安を禁じえないのだった。
誤字、感想、その他ご意見などございましたら連絡いただけるとありがたいです。