第3話 推しは誰ですか?
年が明けた。
一月三日。
珍しく京子は予定のない休日だった。
仕事始めはまだ先。
障害対応の呼び出しもない。
年末ライブの余韻に浸りながら年末の紅白出演の「ミックス」と一緒に過ごせる、貴重な連休である。
午前十時。
美都乃荘一階の共有スペース。
窓から柔らかな冬の日差しが差し込んでいた。
管理人のおばちゃんは受付で新聞を読んでいる。
その前のテーブルには、
なぜか大量のグッズが並んでいた。
犯人はもちろん京子である。
「ゆきさん!明けましておめでとうございます。今日から出勤ですよね!!」
京子は目を輝かせていた。
「見て下さい。これ年末ライブ限定パンフレットなんです!」
管理人は苦笑する。
「(笑)凄いねぇ~」
テーブルの上には宝物が並んでいる。
限定パンフレット。
アクリルスタンド。
写真セット。
ライブタオル。
ペンライト。
キーホルダー。
そして額に入れられたライブチケット。
「額に入れてるの!?」
管理人が驚く。
「当然です!」
京子は即答した。
「神席ですよ!?」
管理人はもう慣れていた。
このアパート一番の推し活住人である。
そこへ。
エントランスホールの自動ドアが開いた。
入ってきたのは、
牧田。
林。
徳永。
如月。
青木。
いつもの顔ぶれだった。
「おはようございます!」
京子が元気よく手を振る。
五人は笑顔で応じる。
しかし。
テーブルの上を見た瞬間。
牧田が小さく呟いた。
「今日もすごいな……」
そこには自分たちのグッズが山のように並んでいた。
本人としては何とも言えない気分である。
「年末ライブの戦利品を見せてもらってたんですよ」
管理人が説明する。
「へぇ」
徳永が覗き込む。
「たくさんありますね」
その瞬間。
京子のスイッチが入った。
「カッコいいでしょう!!」
五人が固まる。
嫌な予感しかしない。
「このアクスタなんて会場限定で!」
始まった。
「この写真セットも!」
まだ始まった。
「ちなみにこれは奇跡的に自引きです!」
さらに始まった。
十分後。
五人は結局ソファに座らされていた。
「本当に好きなんですね」
林が笑いながら言う。
「大好きです!」
即答だった。
その言葉には迷いがなかった。
そして徳永が何気なく聞いた。
「上杉さんは誰が一番好きなんですか?」
空気が止まった。
牧田。
林。
徳永。
如月。
青木。
全員が徳永を見た。
(聞いた)
(聞きやがった)
(禁断の質問だぞ)
徳永自身も聞いてから気付いた。
「え?」
京子も固まる。
数秒。
真顔。
さらに数秒。
真剣に悩み始める。
「あー……」
長い。
「えっとですね……」
長い。
そして京子は結論を出した。
「選べません!」
全員ずっこけた。
「選べないんです!」
京子は力説する。
「みんな違ってみんな良いんです!」
「例えば!ですね!」
始まった。
第二ラウンドである。
京子は牧田のアクスタを手に取った。
「学くんはですね!」
牧田の背筋が伸びる。
「リーダーなんですけど偉そうじゃないんです!皆を包んでくれます!」
牧田瞬き。
「ライブ中も周り見てるし!」
牧田硬直。
「メンバーが緊張してると自然にフォローしてるんですよ!」
林たちがニヤニヤし始める。
「頼れるお兄ちゃんって感じなんです!パパでも可(笑)」
牧田は視線を逸らした。
少し照れていた。
次に林のアクスタ。
「蘭様!」
なぜか本人より格好良い呼ばれ方だった。
「王子様です!」
林が笑う。
「あった事ないけど(笑)絶対優しい人です!」
「どうしてです?」
思わず聞いていた。
「目が優しいからです!」
林が固まった。
「あとライブでファンサ多いですし!」
「へぇ……」
本人、少し嬉しい。
次は徳永。
「大ちゃん!」
徳永が吹き出す。
「笑顔!!」
「笑顔?」
「笑顔です!!」
京子は力説した。
「大ちゃんの笑顔だけで一年生きられます!」
「責任重大だな……」
徳永が呟く。
次は如月。
「健斗!」
如月が身構える。
「クールに見えるじゃないですか?」
「うん」
「でも絶対天然です!」
「なんで!?」
初めて如月が大きな声を出した。
全員が爆笑する。
京子は真面目だった。
「だってたまにライブMCで不思議発言してるんです!(笑)可愛い~」
如月は黙った。
反論できない。
そして最後。
京子が少し大事そうに隠し撮り写真を手に取る。
青木駿。
マネージャー。
「駿さん!」
青木が固まる。
「私、駿さんも好きなんです」
「……マネージャーですよね?」
戸惑う青木。
「だってファンをすごく大切にしてる感じがするんです!ミックスの皆が大好きって感じが良い!!」
青木の目が丸くなる。
「身内なのに!ミックスが大好きなのがめちゃ良い!」
「そうなんですか?」
「そうです!」
京子は満面の笑みだった。
「ミックスが安心して活動できるのって、きっと駿さんのおかげですよね!」
静かになった。
本人たちが一番理解していた。
それは事実だった。
苦労も。
努力も。
裏方の仕事も。
全部見抜かれていた。
青木は少し照れ臭そうに小さく笑って呟いた。
「そんな風に思ってもらえてるなら嬉しいですね…」
その言葉だけは本音だった。
しばらくして。
京子は満足したのかグッズを片付け始めた。
「すみません、また語っちゃいました!」
「いえ」
牧田が笑う。
「面白かったですよ」
「本当ですか?」
「うん」
京子は嬉しそうに笑った。
そしてグッズを抱えながら立ち上がる。
ふと受付を見ると、管理人のゆきさんが微笑みながらこちらを見ていた。
「あっ、ゆきさん!」
京子は慌てて頭を下げた。
「長々とすみませんでした!」
「ううん」
ゆきさんは笑う。
「今年も元気そうで安心したわ」
「はい!」
京子は元気よく返事をした。
「年末ライブでしっかり充電できました!」
「それなら良かった」
「今年もいっぱい働いて、いっぱい推し活します!」
「無理しない程度にね?」
「そこは保証できません!」
京子が真顔で言う。
管理人は吹き出した。
周囲もつられて笑う。
美都乃荘ではおなじみのやり取りだった。
京子は改めて頭を下げた。
「では、部屋に戻ります!」
そしてグッズを抱え、
エレベーターへ向かう。
途中で振り返る。
「皆さん!」
五人と管理人を見る。
「今年もよろしくお願いします!」
満面の笑みだった。
「こちらこそ」
「よろしくお願いします」
「お手柔らかに」
「また推し話聞かせてください」
「ほどほどにな」
思い思いの返事が返ってくる。
京子は幸せそうに笑った。
「はい!」
元気いっぱいの返事。
エレベーターの扉が開く。
京子が乗り込む。
「ゆきさんもお仕事頑張ってくださいね!」
「ありがとう」
「風邪引かないでください!」
「上杉さんもね」
ゆきさんが手を振る。
京子もぶんぶんと手を振り返した。
チン。
ゆっくりと扉が閉まる。
最後まで笑顔のまま。
エレベーターは四階へ上がっていった。
静寂。
最初に口を開いたのは徳永だった。
「全部当たってたな」
「当たってたな」
林も頷く。
如月は苦笑する。
「天然まで見抜かれてた」
「それは自覚しろ」
牧田が即答した。
全員が笑う。
その笑い声が静まったあと。
共有スペースには、どこか心地よい空気が流れていた。
年明けの穏やかな朝。
窓の外では冬の日差しが花壇を照らしている。
半年ほど前までは、ただ同じ建物に住むだけの他人だった。
それがいつの間にか。
こうして一緒にお茶を飲み。
笑い。
雑談するようになっている。
本人は気付いていないだろう。
美都乃荘の住人たちにとっても、
上杉京子という存在が少しずつ当たり前になっていることを。
「そういえば」
徳永が立ち上がる。
「今日のりんごジャム、もらっていい?」
共有スペースの隅には段ボールが置かれていた。
いつもの。
上杉家から送られてきたりんごジャムである。
『ご自由にどうぞ』
京子の字で書かれた紙が貼ってあった。
「もらう」
「俺も」
「じゃあ俺も」
「俺も」
いつの間にか全員が手を伸ばしていた。
林がりんごジャムを眺めながら笑う。
「上杉さんってさ」
「ん?」
「推し活してない時でもめちゃくちゃ良い人だよな」
誰も否定しなかった。
青木も。
徳永も。
如月も。
牧田も。
静かに頷く。
年末ライブ。
二時間の感想会。
そして今日の推し談義。
その全部が少しずつ積み重なっていた。
四階では。
何も知らない京子が、
年末ライブのパンフレットを広げながら幸せそうに笑っていた。
「今年も頑張ろう」
そう呟く。
仕事も。
推し活も。
全部。
そしてもちろん。
壁一枚向こう側に住む隣人たちが、
人生を懸けて推している『ミックス』本人であることなど。
夢にも思っていなかった。
だが。
新しい一年は始まったばかり。
そして美都乃荘では、
まだ誰も知らない出来事が起ころうとしていた。
上杉京子、四十七歳。
社畜システムエンジニア。
推し活が生きがい。
そして。
『ミックス』メンバー全員のお気に入りの隣人になりつつあることを、
本人だけがまだ知らないのであった。




