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推しが隣人でした  作者: はるかかなえ


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10/10

第10話 いつもの日常

夏の終わり。


上杉京子にとって、この数か月はあっという間だった。


大型SNS監視システム案件。


利用部門との調整。


ベンダーとの折衝。


レビュー。


試験。


本番リリース。


毎日が戦場だった。


だが。


ようやく第一フェーズが完了した。


「お疲れ様でした!」


会議室に拍手が響く。


利用部門。


ベンダー。


システム部。


全員が安堵の表情を浮かべている。


京子も椅子へ体を預けた。


どっと疲れが押し寄せる。


「終わったぁ……第一難関突破ぁ~」


鉄雄が笑う。


「京さん、生きてます?」


「ギリギリ」


「今日くらい早く帰ってください」


「そうする……」


本当に疲れていた。


そんな時だった。


スマホが鳴る。


母親からのメッセージ。


『野菜送ったから』


京子は天井を見上げた。


嫌な予感しかしない。


夜。


美都乃荘。


宅配業者が運び込んだ荷物を見て、京子は固まった。


ダンボール三箱。


「うちの親は加減を知らない」


箱を開ける。


トマト。


ナス。


きゅうり。


ピーマン。


オクラ。


枝豆。


とうもろこし。


じゃがいも。


かぼちゃ。


大葉。


ししとう。


その他色々。


「八百屋かな?」


後ろから声がした。


振り返る。


学だった。


その後ろに蘭。


大地。


健斗。


青木。


「すごい量ですね」


「実家です」


「愛情が重い」


「否定できないです」


大地が箱を覗き込む。


「これ食い切れなくない?」


「無理です」


京子は即答した。


そこへ。


管理人のゆきが現れる。


「それならみんなでバーベキューする?」


全員が振り向く。


「食事会?」


「食事会!」


ゆきは満面の笑みだった。



週末。


共有エントランスホール。


大量の野菜が並んでいた。


まるで産直市場だった。


そこへ元気な声が響く。


「青木から聞いたよ~!」


真紀だった。


しかも。


巨大な保冷バッグを抱えている。


「お肉差し入れ持って来たから入れて~!」


京子が呆れる。


「最初から来る気満々じゃない!」


「もちろん!」


真紀は親指を立てた。


そして。


その後ろには五人の若者。


ブルージャスト。


今をときめく人気アイドルグループ。


全員十代。


「お邪魔します!」


元気な挨拶にエントランスホールが少し華やかになる。


「真紀さん?」


学が呆れた顔をした。


「ブルージャストも息抜き必要でしょ?」


「ただ飯目当てでは?」


「失礼な!」


即答だった。


全員が笑った。


昼。


食事会が始まった。


エントランスホールキッチンは戦場だった。


「トウモロコシお願いします!」


「はーい!」


「ナス切ります!」


「それ焼きましょう」


「枝豆茹でます!」


「鍋そこです!」


気付けば。


京子が全員に指示を出していた。


ブルージャストのメンバーが小声で言う。


「なんかすごい」


「みんな自然に従ってる」


「上杉さんって何者?」


その言葉に。


大地が笑う。


「美都乃荘の保護者」


「違います!」


即否定だった。


長テーブルに料理が並ぶ。


焼きとうもろこし。


ラタトゥイユ。


肉巻き野菜。


枝豆。


サラダ。


ホットプレートには大量の焼肉。


野菜カレー。


浅漬け。


次々と料理が運ばれてくる。


「いただきまーす!」


一斉に声が響く。


「美味しい!」


「やばい!」


「肉ウマ!」


「とろける…だと!」


「最高!」


ブルージャストの五人は大興奮だった。


その横で。


京子は学と話していた。


「そういえば学君」


「はい?」


「去年のミックスツアーの最終公演覚えてます?」


学が吹き出す。


「覚えてますけど」


「照明変わりましたよね?」


「そこ気付きました?」


「気付きますよ~めちゃ最高でしたもん!」


真面目な顔だった。


ブルージャストは固まる。


「ミックスの事を本人に話してる……」


「本人相手にオタクトークしてる……」


「すごい……」


蘭が笑った。


「上杉さん通常運転ですよ」


「僕達より詳しいですから」


京子は当然のように頷く。


「推しですから」


全員爆笑した。


食事会は夜遅くまで続いた。


笑い声が絶えない。


仕事の話。


音楽の話。


実家の話。


失敗談。


どうでもいい話。


それが不思議と楽しかった。


やがて。


お開きの時間になった。


ブルージャストも帰っていく。


真紀も最後まで騒ぎながら帰る。


「また肉持ってくるからねー!」


「持ってこなくていいですー!」


京子が返す。


笑い声が響いた。



深夜。


四〇二号室。


京子はベッドへ倒れ込んだ。


「疲れたぁ……」


天井を見上げる。


静かな部屋。


壁の向こうから聞こえる笑い声。


いつもの声。


いつもの賑やかさ。


少し前までは。


その声は画面の向こうの存在だった。


ライブ会場のステージ。


配信画面。


テレビの中。


遠くて。


眩しくて。


手の届かない人達。


でも今は違う。


「おはようございます」


と挨拶をして。


「行ってきます」


と言って出掛けて。


「お疲れ様です」


と言葉を交わす。


同じアパートで暮らし。


同じ食卓を囲み。


同じ場所で笑っている。


京子は小さく笑った。


「変なの」


推し。


それは今も変わらない。


学も。


蘭も。


大地も。


健斗も。


今でも推しだ。


ライブがあれば行く。


配信も見る。


グッズも買う。


それはずっと変わらない。


でも。


推し。


それだけでもなくなっていた。


野菜を押し付けたり。


ゴミの日を教えたり。


困った時に助けたり。


笑い合ったり。


一緒にご飯を食べたり。


そんな存在になっていた。


京子は布団を頭まで被った。


「推しが隣人って今でも意味分かんないんだけど」


壁の向こうから。


「お前らもう! 自分の部屋に戻れ!!」


駿の声が響く。


「駿めちゃ怒ってる〜(笑)」


「あははは!」


「やだ~!」


「眠たくなってきた!」


「おれも〜(笑)」


聞き慣れた笑い声。


聞き慣れたやり取り。


京子は思わず吹き出した。


推しは推し。


隣人は隣人。


それはきっと。


これからも変わらない。


ライブがあれば行く。


配信があれば見る。


新曲が出たら買う。


グッズだってたぶん増える。


でも。


推し。


それだけでもなくなっていた。


「京子さーん!」


壁の向こうから大地の声。


「何ですかー!」


反射的に返事をする。


「おやすみー!」


「おやすみなさーい!」


数秒後。


向こうから笑い声が返ってきた。


京子も笑った。


少し前まで。


画面の向こうの人だった。


ステージの上の人だった。


遠くて。


眩しくて。


手の届かない人達だった。


それが今は。


同じアパートで暮らし。


同じ朝を迎え。


同じ食卓を囲み。


「おはよう」


と言い合い、


「お疲れ様」


と笑い合う。


不思議な縁だと思う。


本当に。


とても不思議な縁だ。


京子は布団を抱きしめた。


「推しが隣人って、やっぱり意味分かんないなぁ」


そう呟いて笑う。


だけど。


悪くない。


むしろ。


かなり幸せだ。


壁の向こうから聞こえる笑い声。


それを子守歌代わりにしながら。


京子はゆっくり目を閉じた。


今日も。


明日も。


きっと変わらない。


美都乃荘の夜は。


今日も温かかった。。。



同じ頃 四〇一号室。


「静かになったな」


青木がソファへ倒れ込む。


「今日は賑やかでしたね」


蘭が笑った。


「ブルージャストまで来たしな」


健斗がコーヒーを飲む。


「でも楽しかった」


大地も頷く。


俺達も売れる前までは共同生活だったから共同生活には慣れているが息抜きは必要。


仕事関係者と集まることも多いし今のうちになれる為にゼネラルマネージャーは連れて来たのかなぁ。


でも。


今日の食事会は少し違った。


特別なイベントではない。


豪華なパーティーでもない。


ただ。


近所の人達が集まって。


ご飯を食べて。


笑っただけ。


それだけなのに。


不思議と居心地が良かった。


「上杉さんのお母さんすごいな」


学が思い出したように言う。


「野菜の量?」


「愛情の量」


全員笑った。


「確かに」


「食い切れない量だったな」


「八百屋開けるレベルだった」


「あれ京子さん慣れてたよね」


大地の言葉に。


また笑いが起きる。


そして。


少しだけ沈黙。


学がぽつりと呟いた。


「不思議な人だよな」


誰も否定しなかった。


頼りになって。


仕事ができて。


優しくて。


でも。


スマホ忘れるし。


定期券忘れるし。


パソコン間違えるし。


「可愛いですよね」


健斗が言う。


「それは分かる」


蘭が頷く。


「なんか放っておけないでもカッコいい」


大地も笑った。


青木はその様子を見て小さく笑う。


最初は。


ただの住人だった。


その次は。


面白いファンだった。


今は違う。


気付けばみんな。


自然と京子を探している。


何かあれば相談して。


顔を見れば話しかけて。


食事会にも当然いると思っている。


いつの間にか。


美都乃荘の日常の一部になっていた。


「明日の朝もいるんだろうな~エントランスホールに」


学が笑う。


「たぶん休みなのに(笑)」


健斗が言った。


全員爆笑。


壁の向こう。


四〇二号室。


きっと今頃。


京子は布団にくるまって眠っている。


そんな気がした。


最初は。


ただの住人だった。


次は。


面白いファンだった。


だけど今は違う。


気付けば。


「京子さんいる?」


と探していて。


困ったら相談して。


顔を見れば話しかけて。


食事会には当然いるものだと思っている。


いつの間にか。


美都乃荘にいて当たり前の存在になっていた。


「おやすみ」


誰が言ったのかは分からない。


けれど。


四〇一号室の全員が。


自然と同じ気持ちだった。


明日の朝。


またエントランスホールで会えるだろう。


「おはようございます」


と言って。


たぶん何か忘れ物をして。


みんなで笑うのだろう。


そんな当たり前が。


なんだか少し楽しみだった。


最初は。


ただの住人。


その次は。


面白いファン。


そして今は。


美都乃荘にいて当たり前の人。


気付けば。


上杉京子という存在は。


彼らの日常の一部になっていた。


美都乃荘の夜は。


今日も静かに更けていく。

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