第6話(前編)「国王の仕事」 1774年9月1日~10月6日
1774年9月1日。
ロンドンへ戻った翌朝、エドワードがレイヴンズクロフト邸で朝食を終えると、ナサニエル・ウェッブが訪ねてきた。
4か月近く海で暮らした後だけに、窓の外から聞こえる馬車の音や、まったく揺れない床にはまだ少し違和感がある。それでも帰国後の精算は前日までに終えており、次に何をするか考え始めたところだった。
居間へ入ってきたウェッブは、挨拶を済ませると何枚もの書類を机へ置いた。
「今日はお暇ですか」
「船を売れという話なら聞きませんよ」
「逆です。その船に乗っていたことが役に立つかもしれません」
エドワードは書類へ手を伸ばした。
「何があったのです?」
「西インド諸島から戻る商船が、相次いで海賊に襲われています」
書類には、ロンドンやブリストルの商人から集めた被害報告が記されていた。砂糖を積んだまま消息を絶った船もあれば、砲撃を受けて積荷を奪われた船もある。乗組員だけ小舟へ移され、船そのものを持ち去られた例まであった。
生還した船長や水夫の証言を見る限り、同じ海賊船が1隻で襲撃を繰り返しているわけでもないらしい。
「商人たちは国王陛下へ訴えているのですか」
「ええ。海軍を出してほしい、商船を護衛してほしい、海賊を捕らえてほしいと、随分な数の請願が出ています。保険料も上がり始めました」
エドワードは報告の中から、襲われた船の積荷を確認した。砂糖、糖蜜、コーヒー、染料など、西インド諸島から本国へ運ばれる高価な品が多い。
「帰りの船を狙っていますね」
「そう見てよいでしょう。大西洋も西インド諸島も広いので、王立海軍だけで全部を守るのは簡単ではありません」
「それで僕のところへ?」
「海賊の件は、その前置きです」
ウェッブは別の紙を差し出した。
「セント・ジェームズ宮殿から、あなたに出頭するよう連絡が来ています」
エドワードは紙を受け取った。
「僕に?」
「グレイミア男爵家のエドワード・ヘイル殿を、とのことです」
「理由は?」
「書いてありません。ただ、この時期に海へ出て戻ったばかりのあなたを宮廷が呼ぶのです。海賊と無関係とは考えにくいでしょう」
エドワードはもう一度、商人たちの被害報告を見た。
ヴェンチャー号を買った時には、海賊に追われたら逃げられる船が欲しいと考えた。今度の呼び出しがウェッブの予想どおりなら、その海賊を追う話になる。
◇ ◇ ◇
9月4日、エドワードは義兄ヘンリーとともにセント・ジェームズ宮殿へ入った。
制服姿の衛兵が立つ廊下を進み、役人の案内を受けてジョージ3世の前へ出る。36歳の国王は、手元に置かれた書類を確認してからエドワードを見た。
エドワードが定められた礼を取ると、国王が尋ねた。
「そなたがエドワード・ヘイルか。17歳で船を買い、自ら大西洋を渡ったと聞いている」
「はい、陛下。経験のある航海長に助けてもらいながらですが、船長として乗りました」
「商売もしたそうだな」
「利益を出して戻ることができました」
国王はそこで話を本題へ移した。
「西インド諸島で商船を襲う海賊のことは知っているか」
「帰国してから報告を読みました」
「商人たちから毎日のように請願が来ている。海軍を出せ、護衛を増やせ、海賊を捕らえろとな。要求そのものはもっともだが、すべての商船へ軍艦を付けるわけにもいかん」
エドワードは国王の話を遮らずに聞いた。宮廷側が何を考えて自分を呼んだのか、まだ分からないからだ。
「そこで、商船の護衛ではなく、海賊を追うための船を出すことにした」
「王立海軍からでしょうか」
「いや。そなたに任せる」
エドワードは一瞬だけ国王の顔を見た。
「私に海賊を討てと?」
「そうだ」
「ヴェンチャー号では、戦うには小さすぎます」
「ならば別の船を選べ」
そこまでは予想していなかった。
「購入費も私が出すのでしょうか」
「王室で払う。船だけでは足りんのだろう。大砲、火薬、乗組員、食糧、水、修理、港で必要になる費用まで、任務に必要なものは王室で負担する。そなたは海賊を捕らえることに集中しろ」
エドワードはもう一つ確認しておかなければならないことを尋ねた。
「陛下。私の報酬について伺ってもよろしいでしょうか」
隣にいたヘンリーがこちらを見た。
ジョージ3世は驚かなかった。
「そこを聞くと思っていた」
「命を懸ける仕事です。始める前に条件を知っておきたいのです」
「もっともだ。捕らえた海賊船、その積荷、海賊が持っている金銀、武器、その他の財産は売却する。その代金の8割をそなたへ渡す。残る2割は乗組員で分けろ。王室は取らん」
エドワードは数字を確認した。
「捕らえた財産の80%が私、20%が乗組員で、王室の取り分はないということですね」
「そうだ」
「捕らえた船が何隻になっても?」
「何隻捕らえようと同じだ」
「売却額が10万ポンドになれば、私の取り分は8万ポンド?」
「その計算でよい。ただし、海賊を残したまま帰ってきて、取り分の計算だけ始めるなよ」
「承知しました」
国王が尋ねた。
「引き受けるか」
「引き受けます」
エドワードに断る理由はなかった。ただし、普通の商売と違って損失の上限を金額で決めることはできない。失敗すれば、自分だけではなく乗組員も死ぬ。
ジョージ3世は続けて尋ねた。
「今の船はどうする。新しい船を使うなら、ヴェンチャー号は要らんのだろう」
「海賊討伐には使いません」
「なら王室で買い取ろう。いくらだ」
「船と武装を合わせた査定が約1,500ポンドです」
「それでよい」
即答されたため、エドワードは尋ねた。
「値切らないのですか」
ジョージ3世が笑った。
「そなたは国王を相手に値段交渉をするつもりか」
「安く買われるのは好きではありません」
「その性格なら、海賊にも遠慮はせんだろう」
「必要な遠慮はします」
「海賊には要らん」
国王は命令書へ署名した。
エドワードに海賊討伐を命じ、抵抗する者への武力使用を認めること、任務に必要な経費を王室が負担すること、捕獲財産の売却代金を8対2で分けることが記されていた。
宮殿を出ると、ヘンリーがすぐに言った。
「お前は国王陛下を相手に、ヴェンチャー号の値段まで確認するのか」
「1,500ポンドですよ」
「問題は金額ではない」
「でも、1,500ポンドです」
ヘンリーは何か言い返そうとしたが、やめた。
「もういい」
エドワードは笑った。
◇ ◇ ◇
翌日から、エドワードはカートライトと新しい船を探し始めた。
王室の金だからといって、値段を無視するつもりはない。高価なだけの船を選んで国王の金を浪費すれば、海賊を捕らえる前に信用を失う。
3隻を見送った後、約300トンの2本マストのブリッグを見つけた。ヴェンチャー号よりかなり大きいが、荷物を大量に積む商船ほど船幅は広くない。
カートライトは船体を見てから言った。
「これは速いでしょう。ヴェンチャー号よりかなり走るはずです」
「砲は?」
「6ポンド砲なら16門でしょうな。それ以上積めば、せっかくの速力を損ねます」
エドワードは船をもう一度見上げた。
「それで行きましょう」
「早いですな」
「海賊を見つけてから、砲を増やすためにロンドンへ帰るわけにはいきません」
船体価格は3,800ポンドだった。
購入後は帆と索具を点検し、6ポンド砲16門と必要な火薬、砲弾を積んだ。火薬庫や船内にも手を入れ、増員する乗組員が生活できるよう整えた。
新しい船名はハンター号とした。
船尾へ名が入れられるのを見ながら、カートライトが言った。
「今度は用途がよく分かる名前ですな」
「相手にも分かりやすいでしょう」
「名前を読める距離なら、海賊は逃げ始めていますよ」
「それなら追いつきます」
乗組員は72人まで増やした。ヴェンチャー号から移ることを希望した者に加え、砲術経験のある水夫や、戦闘で船体を損傷した時に修理できる船大工も採用した。
給金とは別に捕獲財産の20%が乗組員へ分配されるため、募集には困らなかった。
新しく加わった水夫の1人が条件を聞いて尋ねた。
「仮に海賊船と積荷で1万ポンドになれば、俺たちの取り分は2,000ポンドですか」
「乗組員全体で2,000ポンドだ」
「十分ですよ。船長は8,000ポンドでしょう?」
「そうなる」
男は笑った。
「ずいぶん違いますな」
「嫌なら今のうちに降りていいぞ」
「誰も嫌とは言ってません。2,000ポンドを分けるためにも、まず海賊を見つけないと」
「そのとおりだ」
◇ ◇ ◇
10月6日、ハンター号はテムズを下った。
6ポンド砲16門と72人の乗組員を乗せ、船倉には食糧、水、火薬、砲弾、予備の帆や索具を積んでいる。今回は売るための商品を載せておらず、海賊を探して戦うことが航海の目的だった。
ロンドンが遠ざかり始めたころ、カートライトが尋ねた。
「今度の目標はいくらです?」
「仕事は海賊退治ですよ」
「それは知っています。金額の方です」
エドワードは少し考えた。
「前は5万ポンドを目標にしていましたが、今度は決めません」
「珍しいですな」
「海賊がどれだけ持っているか分からないのに、先に数字を決めても仕方がないでしょう」
「では、いくら取れば帰るのです?」
エドワードは前方の川面を見た。
「全部捕まえてから数えます」




