第64話 締め
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第64話 締め
王都滞在最後の朝、吟遊詩人が一枚の紙を手に俺たちの宿を訪ねてきた。
「これを、ご覧いただきたくて」
差し出された紙には、丁寧な字でこう記されていた。
『討伐記録・補遺
北方戦線、索敵及び連携指揮の任にあたりし者一名を、後方支援要員として正式に登録する。
登録名――イチ。所属、ヒカリ一党。等級、C。任務内容、記録上の詳細は省略とする。』
「ギルドに、これを申請してきました」
吟遊詩人は静かに言った。
「歌には乗せられなかった名前を、せめて記録の片隅にだけでも残せないかと思いまして」
「大袈裟な役職名だな」
俺は苦笑しながら紙を見つめた。
「大袈裟ではありません。事実だけを、事務的に書いただけです」
男もまた、微笑んだ。
「あなたの等級も役割も、何一つ変えていません。ただ、あなたという人間がこの一党にいたという記録が、どこかに一行だけ残る。それだけのことです」
その一行に、俺はしばらく言葉を失った。
『補足――魔王アレンの最期の言葉により、討伐部隊の一員に、忘れられぬ名を尋ねられたとの証言あり。詳細は未公開。』
その一文を読んだとき、俺は思わず目を閉じた。アレンという名前が、こんな形で記録に残るとは思っていなかった。
「王も、誰と呼べばいいのか分からない、と仰っていました」
吟遊詩人が続けた。
「呼ばれることのないまま散った王と、名前を記録に残さないまま戦い続けた男。どちらも、物語の外側にいる者同士だったのかもしれません」
その言葉に、俺は静かに頷いた。
その日の午後、街を発つ前に、五人で最後の挨拶回りをした。
「ガルド」
俺が声をかけると、ガルドは大剣を担いだまま振り返った。
「兄貴の墓に、報告しに行くつもりだ」
「一緒に行くか」
「いや。これは、俺一人でやりたい」
ガルドは静かに笑った。
「お前のおかげで、ようやく胸を張って報告できる。ありがとな」
その一言だけを残し、ガルドは先に街を出ていった。
「フィーネ」
彼女は計算板を胸に抱えたまま、俺の前に立った。
「式の最後の変数、ちゃんと名前がつきましたか」
「たぶんな」
「よかったです。私の式も、これでようやく閉じられます」
フィーネは珍しく晴れやかな笑みを浮かべた。
「クレア」
「はい」
「これから、どうするんだ」
「まだ手当てが必要な人がたくさんいます。しばらくは、そちらに専念しようと思います」
クレアは穏やかな声で言った。
「もう、目を逸らさなくても大丈夫です。今は、そう思えます」
最後に、吟遊詩人と向き合った。
「あんたに、聞いてなかったことがある」
「なんでしょう」
「あんたの名前、まだ聞いてなかったな」
その問いに、男は少し驚いたように目を見開いた。
「これまで、誰にも聞かれたことがなかったので、少し戸惑いました」
「悪かったな、今更」
「いえ。嬉しいです」
男は静かに、自分の名を名乗った。俺はその名を、確かに聞き届けた。
「覚えておく」
「それだけで、十分です」
男はそう言って、深く一礼した。
夕暮れ、俺とヒカリは街の門をくぐり、帰路についた。振り返ると、王都の尖塔が茜色に染まっていた。
「イチさん」
「なんだ」
「これから、どうします」
「街に戻って、いつも通りの依頼をこなす。それだけだ」
「それだけ、でいいんですか」
「それでいい」
俺はヒカリの隣を歩きながら答えた。
「派手な肩書きも歴史に残る名前もいらない。ただ、これまで通りお前の隣で必要なことをやっていく。それだけで十分だ」
「ただし、もう『これまで通り』じゃない」
俺は歩みを止め、ヒカリの手を自分から握った。
「これからは、お前と一緒に決めていく。どこへ行くかも、何をするかも。俺はもう、隣にいる理由から目を逸らさない」
ヒカリは一度だけ目を丸くして、それから、泣きそうなほど柔らかく笑った。
「じゃあ、帰りましょう。私たちの街に」
「ああ」
夕日を背に、二人は並んで歩き出した。物語の中心には、たぶんこれからも立たない。歌にも歴史にも、大きく名前が刻まれることはない。それでも、記録の片隅に残った一行と、隣を歩く誰かの温もりだけで、もう十分だった。
道の先には、いつもと変わらない、それでいて確かに違う明日が続いていた。
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