始まり。
遠のく意識の中で、私はまだ知らなかった。
あの頃の自分が、こんな未来を迎えるなんて。
——あの頃の私は、まだ何も知らない“ただの少女”だった。
—————ヴァルハイト帝国。
ここは西の都、クリスタルレイル。
今日は年に一度の春の花祭。
光が、降る。
白い石造りの広場。幾重にも張られた結界の中心で、私はひとり、歌っている。
民族衣装の裾が揺れ、鈴が小さく鳴った。
幾重にも重ねた白いシフォンスカートに、前を重ね合わせた白のドレス。手首には幾つもの鈴のブレスレット。頭には白やピンク、水色の花で編まれた冠。
息を吸って、声を乗せる。
その瞬間——空気が変わった。
光が、溢れる。
足元から広がり、手の先から光が溢れ、観衆の方へ流れていく。
声に乗り、観衆へ届く。
ざわ、と波のようにざわめきが広がり——
「おおおおおおおお!!」
歓声が、爆発した。
ソリストを務めるようになって、もう三年。
最初は、この群衆が怖かった。
けれど今は知っている。
広場中央に設えられた神楽舞台には、幾重もの結界が張られている。
その中心に、私はいる。
この結界は簡単には破れない。
神楽舞台の下には地下へ続く階段があり、何かあればそこから逃げられる。
その先には、迎えの騎士が待っている。
だから大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら、私は歌い続けた。
見上げるほどの人、人、人。
数えきれないほどの視線が、私に集まっている。
「光の御子様だ……!」
「なんて美しい……!」
「見ろ、あの瞳……深い青……まるで海みたいだ……!」
「本当に光ってる……!」
「神に愛された存在だ……!」
「聖なる力が、ここまで……!まるで生き返るようだ!!!」
うっとりとした声。祈るような眼差し。熱狂。
——ああ、またこれだ。
私はにっこりと笑う。
鏡の前で何度も練習した、完璧な笑顔。
そのまま歌い続ける。
光はさらに強くなり、結界の外側へと押し広がっていった。
歓声は止まらない。結界に仕込まれた術式で、私の声は遥か遠くまで響いている。
やがて最後の一音を歌い終え、私は静かに一礼した。
拍手と歓声に包まれながら、舞台を降りる。
——終わり。
やっと。
控えの通路を抜け、外へ出る。
まだ。まだだよエマ。そう言い聞かせながら、笑顔を貼り付ける。
護衛騎士の視線がある限り、気は抜けない。
馬車が見えた。騎士の手を借りて乗り込む。
扉が閉まる。
その瞬間——
「はぁぁぁぁぁぁぁ疲れたぁぁぁぁぁ!!」
どさっと座席に倒れ込む。
「エマ様!」
向かいのメイドがぴしっと声を上げた。
「はしたないです。聖なる御子としての——」
「だって疲れたんだもん!」
「“だもん”ではありません!」
ぴしゃり。
……うるさい。ほんっとにもーーーー……。
「……リサ、今日めっちゃ長かったんだけど」
「それでもあなた様は“黎明の御子”。常に見られている自覚を——」
「はいはい、わかってますー」
適当に流して、窓の外を見る。
馬車はすでに街の中を走っていた。
色とりどりの屋台。笑い声。焼き立てのパンの匂い。
人が、普通に歩いている。
——いいなぁ。
ふと、目に入った二人組に視線が止まる。
この都市で一番の学力を誇る学園の制服を着た男女。
お互いに屋台の食べ物を食べさせあいながら、楽しそうに笑っている。
……いいなぁ。もし私が聖なる御子じゃなかったら今頃は・・・
胸の奥が、きゅっと痛む。
「……市場、行ってみたい」
ぽつりと呟く。
「却下です」
即答だった。
「まだ何も言ってないんだけど」
「顔に書いてあります」
「ひどくない?」
「規則ですので」
ぴしゃり。
……知ってる。
許可が出ることなんて、一度もなかった。
「……いつか、私と行きましょうね」
ふと、優しい声。
見ると、リサが少しだけ寂しそうに笑っていた。
——うん、わかってる。リサは悪くない。
窓に映る自分の顔を見る。
少しだけ、口を尖らせる。
「……いつか、きっと…………」
小さな声は、外のざわめきに紛れて消えた。
窓に映るのは、白い肌に濃く引かれた紅。似合わない化粧。
少しだけ、息が詰まる。
外にいたい。
でも——早く落としたい。
そんな思いが、胸の中でぶつかり合う。
どさり、と力を抜いてメイドの膝に倒れ込んだ。
優しく頭を撫でる手に、そっと目を閉じる。
やがて馬車は減速し、門の前で止まる。
重たい鉄の門。
高い塀。
外界を拒むようにそびえるそれの向こうにあるのが——
エデン。
私たち“御子”を収容する、保護施設。
扉が開く。
私は静かに降りた。
中へ足を踏み入れる。
そこには、同じ顔をした人間たちがいた。
金色の髪。深い青の瞳。
皆、白い服を着ている。
——私と同じ。
聖なる力を持つ者。
国中から集められた存在。
違うのは年齢と性別くらいか。
私と同じかそれよりも下か。
目が合う。
すぐに逸らされる。
誰も、何も言わない。
それが当たり前みたいに。
後ろで——
ガチャリ、と音がした。
振り返る。
門が閉まる。
そして。
ガラガラと重たい音を立てて、吊り橋が上がっていく。
外の世界が、遠ざかる。
完全に、切り離される。
「本日分の記録を提出しろ。保持体の状態も確認する」
「はい、すぐに」
遠くで、そんな声がした。
……ああ。
帰ってきた。
ここが、私の世界。
光の御子と呼ばれても。
黎明の御子と呼ばれても。
——ここでは、ただの“保持体”。
聖なる力を持って生まれただけで、
国に使われ続ける私たちの「家」。
私たちは、ここから出られない。
この力は、全部。
エデンのものだから。




