油断していました
あれからすぐレオナルド様は部屋から出ていってしまい、一人残された私はベッドに腰掛けるとついつい大きな溜息が出てしまいました。
「はぁー……」
なんだかとても疲れました。
来たばかりですが、早くも帰りたい気持ちでいっぱいです。
暗い気持ちになっていると、コンコンとドアをノックする音が。
「リリアーナ様、お飲み物をお持ちしました」
「……アンナ」
王都から一緒に来ていたアンナは、私の顔を見るなり苦笑いを浮かべています。
「大分お疲れのようですね」と言われたので「物凄く疲れた」と返しておきました。
「まさか、よりによってレオナルド様と同室だなんて……アンナは知ってたの?」
「……いいえ、私もこちらに着いてから知りました。出過ぎたこととは思いましたが、ライズベル様に別室にと進言してみたものの聞き入れてもらえず……力及ばず申し訳ございますせん」
「アンナが謝る必要はないわ。それにそこまでしてくれたのだもの、寧ろ感謝しているわ。ありがとう」
私の言葉に暗かった表情が少しだけ明るくなったアンナは、お茶を入れてくれたあと部屋を出ていき再び一人に。
アンナの優しさにほっこりしたものの、物凄く憂鬱な事には変わりありません。
レオナルド様も相当お嫌な様子でしたし、レオナルド様がごねれば部屋を分けてもらえるようになるかもしれませんよね。
僅かな希望を胸に、私はアンナの入れてくれた紅茶を飲んでその時を待つとしましょう。
そうして暫く鬱々と部屋で静かに過ごしていると、ようやく待ちに待った夕食の時間になりました。
残念ながら吉報はもたらされませんでしたが、先ほどまでの暗い気持ちはどこへやら。
今の私は打って変わってご機嫌です。
理由は当然一つしかありません。
「リリアーナ。王都での生活はどうだい?」
「はい、お陰様で随分と慣れました」
「そうか。それは良かった」
和やかな食事は久しぶりです。
レオナルド様と二人の食事は、お世辞にも和やかとは言えませんからね。
その後も和やかに食事を続け、そろそろ食事も終わってしまう頃合になってしまいました。
てっきり途中でエレットが出てくるものだと思っていた私は、飲み物が運ばれてくるたびにソワソワしていたのですが、一向に出てくる気配がありません。
そんな私の様子に気付いているレオナルド様は呆れた目を向けてきますが、私は気にも留めません。
「どうやら待ちきれないようだね」
「え、あ……はい」
ライズベル様にも苦笑いされてしまいました。
さすがにこれは恥ずかしいです。
正直、レオナルド様には恥ずかしい姿も見られてしまっているし、よく思われたいという気持ちも薄いせいか意外と醜態を晒しても割と平気なのですが、そうではない方だとやはり恥ずかしくなってしまいます。
ライズベル様が使用人に声を掛け暫くすると、私の待ち望んでいた黄金色の飲み物が運ばれて来ました。
感動に溢れてきた涙を拭い、私は目の前に置かれたそれを余すことなく観察します。
神々しく輝く黄金色と絹の様に柔らかく滑らかな白のコントラストがとても美しいです。
耳を澄ますと僅かに聞こえるシュワシュワという音色。
そして芳醇な香りを放つこの黄金色の飲み物はまさしくビールそのものです。
「さあ、遠慮せずに飲むといい」
「……はい!」
緊張に震える手をグラスに伸ばし、ゆっくりとひと口流し込むと芳醇な香りと苦味が広がり、しゅわしゅわと炭酸が口の中を刺激します。
「……っ!!」
この爽やかな喉越し。
そしてこの懐かしい味。
間違いありません。
これは完全にビール!!
「美味しい!」
「気に入ったかい? 少し癖があるから心配だったが良かった」
ライズベル様は嬉しそうな安心したような顔を浮かべています。
確かにビールに似たお酒は私の知る限りこの世界にはありませんからね。
前世でも苦手な方は結構いましたし、好き嫌いは分かれるでしょう。
「……っあーー生き返る〜」
ビールはぐいっと飲むものです。
上品に少ししか入っていないグラスはあっという間に空になってしまいました。
正直、全然足りません。
こんな洒落たグラスではなく、ジョッキで頂きたいものです。
「ははは、いい飲みっぷりだな! 好きなだけ飲むといい」
「いいんですか! ありがとうございます!」
待ってましたよその言葉!
ライズベル様の言葉に笑顔を光らせるとライズベル様はとても嬉しそうです。
そして遠慮なくエレットを頂く私を呆れたように見てくるレオナルド様。
慣れっこな私は気にせず二杯目、三杯目とあっという間に飲み干します。
「……アンタ、大丈夫なの? これ、結構強いお酒なのに」
少しだけ心配の色を見せるレオナルド様に、私は可笑しくて笑ってしまいます。
ビールが強いなんて、そんな事あるわけないじゃないですか。
第一、たった三杯しか飲んでませんよ?
「馬鹿言わないで下さいよ。あと10杯は余裕でいけますよ」
「リリアーナはお酒強いんだな。よし今日はとことん飲もうか」
「はいお義父様! 潰れるまで飲みましょう!」
「甘いなリリアーナ。潰れてからが本番だろう?」
ニヤリと笑みを浮かべるライズベル様。
ふふ、さすがお義父様です。話が分かりますね。
こうして幕を開けたエレット祭りは、想像以上に楽しいものでした。
ライズベル様の騎士団長時代の逸話を聞かせて頂いたり、レオナルド様の子供の頃の可愛らしかった頃の話、そしてそれに反論するレオナルド様が面白かったりと、話題が途切れることなく時間はあっという間に過ぎていきました。
そして飲んではすぐおかわり状態で、既に私も25杯目です。
レオナルド様が強いお酒だと言っていましたが、確かに前世で飲んでいたものよりもずっとアルコール度数は高いようで、体がふわふわしてきました。
ジョッキにしたらまだ5杯くらいなのに。
ライズベル様は私よりも飲むペースが速いのに顔色変えずに飲んでいる様子から相当お酒が強いようですね。
そしてライズベル様に嫌々付き合わされているレオナルド様も、なんだかんだ言いながら私と同じペースで飲んでいますが、こちらも全然酔っていない様子です。
酒が飲める面子で飲むのはやっぱり楽しいですね。
「私の妻はな、王国一美しいといわれた自慢の美しい女性だったんだよ。だがそれ以上に優しく楽しい人でね。彼女といるだけで私はとても幸せだった」
「レオナルド様を見ればお義母様がどれだけ美しい方だったのか分かります」
「こいつなんか足元にも及ばないがな。本当に素敵な人だった……なのにっ! どうしてだ、クリスティーナ!!」
急にテーブルに突っ伏してしまったライズベル様は手をテーブルに叩きつけ、しまいには泣き出してしました。
え、もしかしてライズベル様って泣き上戸!?
さっきまで全然酔っている様子はなかったのに、急に!?
あまりの豹変ぶりにこちらも動揺してしまいます。
「なんで俺を置いていってしまったんだ、クリスティーナ!」
「父上、もうそれ以上は体に障ります。今日はこれくらいにしてもう休んでください」
見かねたレオナルドがライズベル様の手からエレットを奪いもう止めるように促すと、ライズベル様はレオナルド様の手を掴み止めました。
「うるさい、俺はまだまだ飲めるぞ!」
「ったく、これだから酔っ払いは」
「顔は少し似ているが性格は全然似てないなお前は。クリスティーナはな、いつも笑顔で優しかったんだぞ? そしてお前の幸せを祈っていた。なのにお前はいつも不機嫌そうで笑顔の一つも見せてくれない……だが、そうなってしまったのは俺の責任だな。俺は自分が情けないよ」
「……父上、もうそれくらいにして……」
「俺はな、お前にはいつも笑っていて欲しいんだよ。誰よりも幸せになって欲しいんだ……お前は悪くない、お前は何も悪くないんだ……だから」
「……父上」
途中から掴んでいたレオナルド様の手を祈るように握りしめるライズベル様の姿がいつもより小さく見えます。
そして、そんなライズベル様にレオナルド様も何かを堪えるように苦しそうな表情を浮かべていました。
家族とはいえ、新参者の私にそこに入る隙などはなく、ただ二人を見守ることしか出来ません。
その後、レオナルド様は手を握ったまま眠ってしまったライズベル様を使用人に寝室まで運ぶように伝えると、部屋に戻ると言って先に行ってしまいました。
先程まで賑やかだった部屋がしんと静まり返り、なんだか寂しい気持ちに襲われます。
突如終わってしまったエレット祭り。
一人残された私はグラスに少しだけ残っていたエレットを飲み干し、部屋に戻るとそこにはレオナルド様の姿が。
「……」
「……」
そうでした。
同室でしたよね、私達。
お酒を飲んでいたらすっかりその事を忘れてしまっていましたよ。
レオナルド様も忘れていたらしく、私を見るなり頭を抱えています。
「……エレット、とても美味しかったです。ありがとうございました」
「アンタって馬鹿みたいに飲むのね。普通女ならそんなに飲むのははしたないからと飲まないものなのに」
「家族だけの場でしたので、つい」
「……家族」
椅子に腰掛けながら、どこか寂しげな顔をするレオナルド様に、先程のお義母様の事を思い出してしまいました。
ライズベル様がとても愛していたお義母様。
「まさか、あの有名なクリスティーナ様がレオナルド様のお母様だとは知りませんでした」
クリスティーナ・リューベルト。
私でもその名は知っている程有名な女性で、「王国の至宝」、「生きる宝石」などと呼ばれた絶世の美女と聞いています。
国内外問わず、多くの男性を魅了したと言われる公爵家のご令嬢。
伝説の人として聞き知っていた程度で詳しくは知りませんでしたが、そんな凄い方がレオナルド様のお母様だったとは知りませんでした。
お姿を拝見した事は当然ありませんが、レオナルド様を見ればどれ程美しい人だったのかは分かります。
「お義父様はお義母様をとても愛していらっしゃったのですね」
「……とても仲が良かったわ。子供の私が見てるのも恥ずかしくなるほどにね」
そう話すレオナルド様はどこか懐かしそうに穏やかな顔をされていました。
そう言えば、あまりこう言った話はしていませんでしたね。
形だけの夫婦なので仕方ないとはいえ、今更ながらそんな関係に少しだけ寂しさを感じます。
「レオナルド様。良かったらもう少しのみませんか?」
「……アンタ、どんだけ飲むのよ」
「ダメ、ですか?」
「……ダメとは言ってないでしょ。仕方ないから少しなら付き合ってあげるわよ」
「ありがとうございます!」
ダメ元で言ってみたのですが、意外な事に付き合ってくれるようです。
なんだかんだで思った以上にレオナルド様との距離を縮めているのかもしれません。
「……」
「……」
こうして再び2人きりでエレットを飲み始めた訳ですが、会話が一切なくびっくりするほど盛り上がりません。
まぁ、当然ですよね。
レオナルド様に目を向けると、何か考え込んでいるのか難しい顔をされています。
せっかく美味しいお酒を飲んでいるのに勿体ないと思ってしまいますが、きっと先程の事を気にされているのでしょうから無理もありません。
それに静かに飲むお酒もまたいいものです。
そうして暫く静かにエレットを飲んでいたのですが、部屋にあったエレットが無くなってしまいました。
もう少し飲みたい私はお代わりをしようか悩んでいると、レオナルド様が呆れた顔を向けてきます。
「アンタ、まだ飲み足りないわけ?」
「あまりにも美味しいもので、歯止めが効かなくなってしまって」
「さすがにもう止めなさいよ。明日が大変よ?」
「二日酔いですか? ふふ、自慢ではありませんが、私はビールで二日酔いになった事はないんですよ! だから大丈夫です!」
胸を張って自慢げに語ると、レオナルド様はなんの反応もなくただじっと見つめてきました。
見つめてくるその目がいつものような呆れたものではなく、どこか疑うような目に見えるのは気のせいでしょうか?
「……アンタ、今……ビールって言った?」
まずい。
ついうっかりビールと言ってしまいました。
言われるまで気づきもしなかった自分に、ただただ後悔しかありません。
訝しげな目を向けながら聞いてくるレオナルド様に、内心冷や汗ものでしたが平常心を装いニッコリと笑顔で交わします。
「え? そんな事言いました? 気のせいじゃありませんか?」
「いや、絶対言った。間違いなく言った」
油断していました。
現世にはない言葉は使わないようにしていたのに、うっかり口にしてしまうなんて。
普段は気を付けているのですが、今日はエレットを沢山飲んで気が緩んでしまっていたようです。
下手に言い訳するよりはここは素直に認めて適当に話を終わらせるのがベストですよね。
それにどうせビールなんて言葉知っているはずがないんですし、変な奴だなと思われるだけです。
「私も大分酔っているので記憶が曖昧ですが、レオナルド様がそう仰るならそうなのかもしれませんね。ですが特に深い意味などありませんし、酔っ払いの戯言だと思って気にしないで下さい」
「酔っ払いの戯言? ……違うわね」
ヘラヘラと笑いながら何でもないですよアピールをしてみたものの、レオナルド様の反応は私の期待したものとは違いました。
違うと言い切ったレオナルド様に驚いて目を向けると、馬鹿にしたようなものでも、呆れたようなものでもない、これまで見た事もない程とても真剣な表情を浮かべていました。
そのあまりの真剣さに私はただ見つめる事しか出来ません。
そして次の言葉に私は言葉を無くしました。
「アンタ、もしかして……転生者?」




