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婚約破棄された香薬令嬢は、呪われ公爵家の空気をほどく ~魔力なしと捨てられた私だけが、冷血公爵を眠らせられる~  作者: 小竹X


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25/29

戻らない書吏は、香抜き小屋で息を隠す

南荷捌き門へ戻る道は、紙の白さから急に遠ざかった。


王宮香薬局第七室の無香に近い空気を抜けると、荷道には濡れた縄、馬の汗、乾きかけた木箱、剥がされた納入札の糊が重なっている。春薔薇夜会のために磨かれた大広間とは違う。ここでは、名も責任も、まず箱と足跡に乗せられる。


三の一番仮置き棚は、南荷捌き門の奥、香抜き小屋へ続く細い通路の手前にあった。


棚板の前には、荷場係の小吏が二人、荷運びが一人、薬種商組合の年配の男が立っている。セラフィナとベルナールは少し後ろ。若い書記は、いつもより紙を硬く持っていた。


アルセーヌは門の影に止まった。黒い礼装は目立つ。荷運びたちが一瞬だけ背を固くしたが、彼は棚へ近づかなかった。


「片方の無香布具と裾布は、そのままです」


小吏が言った。


リゼットはうなずき、新しい無香手袋へ替えた。三の一番棚の下段。湿った木屑の奥に、片方だけの布具が丸められている。その横に、灰色の外套の裾布らしい裂けた布。


まず、その片方。


指先は汚れていない。掌側だけ、焦げた蜜と乾いた糊の粉が薄く残っている。手首の内側に、針で留めた小さなほつれがあった。


「二十話でルネ様の居室に残っていた片方と、対になります」


若い書記が息をのんだ。「では、ルネ本人が」


「ここへ来た可能性は高いです」


リゼットは言葉を区切った。


「ただし、これを置いた人がルネ様本人かどうかは、まだ決めません」


内側に残った匂いは弱い。長く身につけた皮脂と、記録紙の乾いた墨。そこに、井戸水の冷たさが一筋だけ混じっていた。


次に、裾布。


見た目は灰色だが、織りが違う。ルネの居室にあった外套は、王宮香薬局支給の細い綾織りだった。これは太い。荷場用の防水油が吸ってあり、雨除けに使う安い外套の布だ。裾の裏には、白花香を落とすために強く擦った跡がある。


「これはルネ様の外套ではありません」


薬種商組合の男が目を上げた。「では、なぜ一緒に」


「下級書吏風の人物が外套なしだったという報告に合わせて、外套の痕跡を置いたように見せています。でも布が違います。ルネ様の外套は、居室に残っていました」


ベルナールが杖の先を床に置いた。


「名札だけでなく、服まで足したか」


「はい。けれど、足した布の方が香ります」


裾布の切り口には、旧工房裏門で使う荷油に似た匂いがあった。乾いた木箱を雨から守る油。そこへ、ラングレー家帳場の文箱に移っていた薄い香木墨が重なっている。


コレット個人ではない。ルネ単独でもない。箱を動かす者と、帳場の紙へ触れる者の匂いだった。


「棚板を見ます」


三の一番棚の奥は、白花香で拭かれていた。香りを消すための香り。強すぎる白花は、かえって下の水染みを閉じ込めている。リゼットは無香紙を棚板へ当てた。


乾いた井戸水。


焦げた蜜。


パン屑。


二十話でルネの机に残っていた、昼食の黒麦パンと同じ焼き粉の匂いがする。南荷捌き門の食堂で出すものとは少し違う。職員用の薄い塩が混じる。


「ここで、誰かが短く座っています。棚の奥で呼吸を隠すように」


若い書記の筆が止まる。


「隠れるため、ですか」


「長く閉じ込められた跡ではありません。水を使って匂いを薄め、パンを少し砕いて、声を出さずに何かを残そうとしています」


リゼットは棚板の裏へ指を入れず、薄い鏡を差し込んだ。


裏側に、傷があった。爪ではない。骨筆でもない。名札の角で押した、短く硬い線。


三本。間を置いて一本。


その下に、もっと浅い線が二つ。


「三の一番の後に、井戸側を示しています」


荷場の小吏が身を乗り出した。「井戸側は香抜き小屋の裏です。裏窓と、水桶置き場があります」


セラフィナがすぐに言った。


「小屋を開けます。リゼット、順番は」


「扉。床。裏窓。水桶。最後に、棚裏と外の荷道です」


香抜き小屋の扉は低かった。戻り荷の匂いを抜くため、厚い木でできている。外から掛ける錠前は外れていたが、内側の閂に一度だけ強く押された跡がある。内側から開けた。だが、外から閉じ直した。


「鍵を持つ者は限られますか」


リゼットが問うと、小吏が答えた。


「荷場係、南区薬種商組合の当番、それから、旧工房への戻り荷処分の立会い札を持つ者です。昨日はジラール・ラングレー殿の帳場札で、香抜き後の引取確認が通る予定でした」


若い書記が顔を上げる。セラフィナの目が細くなった。


「記録して。旧工房側への引渡し停止前、ラングレー家帳場札で香抜き小屋の立会い予定あり」


小屋の中は暗い。香を抜く場所なのに、白花香が残っていた。棚板、床、窓枠。表だけを拭いてある。奥に行くほど、乾いた井戸水と焦げた蜜が濃い。


リゼットは火を使わせなかった。扉を上だけ開け、光を斜めに入れる。床の木屑が、動かされた跡を見せた。


小さな靴跡が一つ。下級書吏が履く室内靴に近い。


それに重なる、重い靴跡が二つ。片方は荷運びの底、もう片方は帳場役が履く革底だった。香抜き小屋で働く者の靴ではない。床の水を避ける癖が違う。


「ルネ様は、ここまで自分で歩いています」


リゼットは言った。


「引きずられた跡はありません。ただし、一人では出ていません。外へ出る時、左右に人がいます」


アルセーヌが、扉の外から短く問う。


「怪我は」


「血の匂いはありません。喉を荒らす白花香があります。口を塞がれたというより、匂いで声を出しにくくされた可能性があります」


言いながら、リゼットの喉も少し乾いた。旧工房の奥棚で嗅いだ白花香と似ている。強く、甘く、考える前に呼吸を浅くさせる。


扉の外で、水の音がした。


アルセーヌが自分では渡さず、小吏へ小さな白磁の杯を持たせている。杯は小屋の入口の低い箱へ置かれた。リゼットが選べる位置。誰にも急かされない位置。


「飲め」


命令ではない。短い確認だった。


リゼットは一口だけ飲んだ。井戸水ではない、薬局側の水だ。喉の白花が少し離れる。


「続けます」


「ああ」


水桶置き場には、桶が二つあった。一つは空。もう一つは底に少しだけ水が残っている。水面に浮くのは、無香布の小さな繊維と、青い糸一本。


青絹包みほど甘くない。小書斎の抽斗布ほど古くない。二十三話の旧印庫名簿に近づけられていた青い繊維と、太さが似ている。


「同じ布を、ここでも使っています」


ベルナールが低くうなる。「小書斎写しの線か」


「写しそのものではありません。包み直しに使った布、または名札保管紙を運んだ布です」


リゼットは水桶の縁を見た。名札の角が当たった傷がある。棚裏の傷と同じ高さではない。桶の低い位置に、細い二本の線。


二本線。


一瞬、胸が止まった。自分の線ではない。交差していない。まっすぐな二本。急いで、角で引いた線。


「ルネ様は、二本線を知っています」


若い書記がつぶやいた。


「二本線で封じられた札を見ています。自分の名が逃亡として使われないように、同じ数を残したのかもしれません」


リゼットは首を横に振りすぎないようにした。


「まだ、そう書かないでください」


若い書記はすぐに頷く。


「はい。桶縁に、名札角と思われる硬い傷二本。意味は未確定」


それでよかった。守るとは、早く美しい意味を与えることではない。


裏窓は、小屋の奥から外へ開いていた。そこには井戸、水桶置き場、そして旧工房裏門へ続く荷道がある。窓枠の下に、泥がついていた。


リゼットは泥を削らない。無香紙で湿りだけを取る。


王宮荷場の泥ではない。南荷捌き門の赤土に、旧工房裏門の石灰粉が混じる。さらに、ラングレー家帳場の文箱によく使う虫よけ草の苦み。


「ここから、旧工房裏門側へ出ています」


薬種商組合の男が帽子を握りしめた。「戻り荷の旧工房受けに使う荷道です」


「はい。ただし、箱ではなく人を通しています」


小吏の顔色が変わる。荷運びが、思わず後ろの門を見た。


リゼットは裏窓の縁に、布片を見つけた。灰色の裾布と同じ太い織り。切り口には、焦げた蜜と香木墨。三の一番棚に置かれた裾布と同じものだ。


「裾布は、ここで切れています。棚へ置いたのは、この小屋から外へ出た後です」


セラフィナが問う。「順番は」


「ルネ様、またはルネ様の名札を使われた人が、三の一番棚へ一度隠れる。片方とサインを残す。香抜き小屋へ移る。小屋の中で井戸水を使って白花香を薄める。そこへ別の灰色外套の人物が入り、外へ出る時に裾を裏窓で裂く。裂けた布の一部を棚へ戻し、ルネ様の痕跡に見せる」


「では本人は」


若い書記の声は小さかった。


リゼットは答える前に、小屋の隅を見た。木箱の陰に、小さな紙片が貼りついている。濡れて乾いた紙。再検予定表の端ではない。旧工房の荷札紙だ。


紙には文字がない。代わりに、左端へ小さな押し跡がある。欠けた封蝋見本箱の角。ジラールが第七棚へ持ち込んだと記録された、あの見本箱と同じ幅だった。


「本人は、この小屋から旧工房裏門側へ移されています。歩いています。けれど、自由に選んで歩いた跡ではありません」


小屋の外で、荷運びが低く言った。


「昨日の暮れ、旧工房裏門へ向かう荷車に、片手袋の書吏風がいました」


全員の視線が向く。荷運びは慌てて帽子を取った。


「顔は見ていません。名札はありました。灰色の外套の男が二人、両側に。ジラール殿の帳場札を見せられて、戻り荷の香抜き済み分だと言われました」


「その時、箱は」


「箱はありませんでした。空の木枠だけです。人を隠すほどではなく、ただ荷に見せるための枠でした」


セラフィナの声が冷えた。


「保護確認を旧工房裏門へ回します。拘束ではありません。まず本人保護。荷道、井戸裏、帳場札を持つ者の照合」


ベルナールが若い書記へ言う。


「逃亡と書くな」


「書きません」


若い書記は、今度は顔を上げて答えた。


「名札利用。香抜き小屋経由。旧工房裏門側へ移送疑い。本人保護を優先」


リゼットは、桶縁の二本の傷へもう一度目を落とした。自分の線ではない。正式な印章ではない。けれど、声を出せない場所で、誰かが名を閉じられないように残した線だった。


旧工房で、リゼットの名は下働きの手として使われた。ルネの名は、逃亡者の札として使われかけている。似ている、と言えば楽だった。けれど、同じではない。リゼットは自分の足で戻らないと決めた。ルネは、戻るつもりで昼食札を残したまま呼び出された。


混ぜてはいけない。


「ルネ様の欄は、まだ閉じません」


リゼットは言った。


「その代わり、香抜き小屋を使った帳場札と、旧工房裏門へ出た荷道を閉じます。責任を逃がさないために」


アルセーヌが扉の影からこちらを見た。


「旧工房裏門へ行くことになる」


「戻るのではありません」


自分でも、驚くほど静かに言えた。


「探しに行きます。私の仕事として」


アルセーヌは少しだけ目を伏せた。すぐに、門の外へ視線を移す。


「なら、依頼主として同行する。君の仕事場を、あの裏門の中に戻させないために」


胸の奥が、熱くなった。白花香ではない。焦げた蜜でもない。水を置かれた時のように、選べる場所が少し近くなる熱だった。


リゼットは香抜き小屋の扉へ黒蝋を落とした。棚板、片方の布具、裾布、桶の水、裏窓の泥、荷札紙を別々に包む。全部を一つの皿へは置かない。ルネの名と、旧工房裏門の荷道と、ラングレー家帳場札を混ぜないために。


一線目。


二線目。


香抜き小屋の白花香は、まだ強い。けれど、裏窓は開いた。井戸水の冷たさが、床の焦げた蜜を少しずつ薄めていく。


門の外で、旧工房裏門へ向かう荷道に使者が走り出した。


リゼットは無香紙の束を胸に抱えた。戻らないと決めた道の先で、まだ戻されかけている名前がある。

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