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婚約破棄された香薬令嬢は、呪われ公爵家の空気をほどく ~魔力なしと捨てられた私だけが、冷血公爵を眠らせられる~  作者: 小竹X


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14/17

回収された瓶は、男爵家の朝をまだ苦くする

モリエ男爵家の朝の間には、朝の匂いがなかった。


窓は開けられている。花鉢もない。茶卓には白い布が掛けられ、香炉はすべて片づけられていた。けれど空気は軽くならず、洗いすぎた銀器と乾ききらない床布の匂いだけが、部屋の隅へ薄く残っている。


リゼットは敷居の前で、足を止めた。

「ここまで香を抜いたのは、今朝ですか」


男爵家の家令は、痩せた肩を小さく揺らした。白髪の混じる男で、名乗る声まで布で包んだように低い。


「昨夜、奥様が命じられました。王宮香薬局の方々が来られる前に、せめて見苦しくないように、と」


見苦しくないように。その言葉の奥に、茶碗を隠す手つきが見えた。咳をした子どもの口元を押さえた袖。署名欄に震える手で書かれた、症状なし、の丸印。


リゼットは部屋の中央へ入らず、まず窓の高さを見た。


「これ以上、床を拭かないでください。茶卓の布も、私が見るまで動かさないで」


「はい」


家令が頭を下げる。廊下側には、セラフィナ・ロワが白い外套で立っていた。若いギルド書記は記録板を抱え、アルセーヌはさらに半歩後ろにいる。


男爵家にとって、公爵が朝の間に立つことはそれだけで圧になる。リゼットが振り返ると、アルセーヌは彼女が言う前に視線を受けた。

「私は扉の外にいる」


短い声だった。


「必要なら呼べ。見える場所には立つ」


リゼットはうなずいた。守られるためではない。ここで怯えている人が、さらに黙らないための距離だった。


「お願いします」


アルセーヌは扉の外へ下がった。黒い礼装の気配だけが、廊下の石壁に残る。


朝の間の奥で、男爵夫人が椅子に座っていた。まだ若い。けれど唇の色が薄く、膝の上の手袋を両手で握りしめている。その隣には、乳母に抱かれた幼い令息がいた。子どもは眠っていない。目は開いているのに、音を立てるのを怖がるように、母親の袖を見つめていた。


「奥様」


白い外套の審査官が、先に名を呼ばず、肩書きだけで静かに言った。


「この検分は、責めるためのものではありません。症状なしと書かれた根拠と、実際に残っている痕跡を分けるためのものです」


男爵夫人の喉が動いた。


「あの瓶は、もう返してしまいました」


「分かっています」


リゼットは茶卓の布へ近づいた。


「だから、残っているものを見ます」


布をめくる前に、無香紙を一枚、卓の縁へ滑らせる。木目に沿って、乾いた茶の輪がある。きれいに拭いたつもりでも、脚に近い細い溝だけが濃い。


白花の甘さ。焦げた蜜。その下で、冷水を通していない眠り草の苦みが、舌の奥へ思い出のように触れた。


「茶卓には残っています」


若い書記のペンが走った。


「旧瓶はどこに置かれていましたか」


家令は戸棚の脇を指した。


「春告月十二日の夜会から戻られた後、奥様がこちらの茶卓へ。香聖女様の試供瓶なら、令息様の寝つきにもよいかもしれない、と」


男爵夫人の肩が跳ねた。


「私が悪いのです。眠りが浅い子で、夜会の帰りにぐずって……。試供瓶を少しだけ、枕元の香皿へ移しました。朝には下げました。ラングレー家の方が来た時には、もう瓶を渡していて」


「香皿は残っていますか」


「割りました」


声がさらに細くなる。


「家名に傷がつくと言われました。子どもに香聖女様の香が合わなかったなどと出れば、礼法を知らぬ家だと」


リゼットは男爵夫人を見た。責める言葉は、すぐに出せる。けれど、それではこの家の朝がまた閉じる。


「欠片は」


夫人は家令を見た。家令は一度だけ目を伏せ、戸棚の下段から小さな箱を出した。


「捨てる前に、欠片を二つだけ残しました。茶碗の欠片と同じ包みに入れるつもりでしたが、奥様が迷われて」


白い箱の中に、香皿の縁が二片あった。リゼットは直接触れず、無香紙へ受ける。茶碗より濃い。白花で隠した甘さが、陶器の釉薬の細い割れに入り込んでいる。


「ベルフォール侯爵家の旧瓶と同じ底です」

「同じ、ですか」


男爵夫人が、初めてリゼットの顔を見た。


「はい。ただ、こちらは香炉ではなく、枕元の香皿と茶卓です。眠る場所と朝の茶に移っています」


審査官が細い硝子管を取り出した。


「令息の寝具を確認できますか」


乳母がためらう。男爵夫人は小さくうなずいた。家令が隣室へ案内する。


子どもの寝室は、朝の間よりさらに香が抜かれていた。窓は開きすぎて、薄いカーテンが乾いた音を立てる。寝台の枕元には、何もない。片づけられた跡だけがある。


リゼットは枕を動かさず、縫い目へ無香紙を当てた。


甘さはほとんど飛んでいる。


残ったのは、黒沈香の焦げと、眠り草の苦みだった。子どもの髪の匂いに混じるほど弱い。それでも、寝台の左側だけに偏っている。


「香皿は、この辺りに置かれていましたね」


乳母が息をのむ。


「はい。夜中に令息様が咳をなさって、私が枕を反対に向けました」


「その時の洗い水は」


「捨てました」


答えたのは家令だった。けれどすぐに、苦い顔で首を横に振る。


「いいえ。庭へ捨てるよう言われましたが、台所の灰桶の横に一桶だけ残しました。王宮香薬局から再確認があるかもしれないと、思いまして」


セラフィナの白い手袋が止まった。


「誰に庭へ捨てるよう言われましたか」


「ラングレー家の代理人です。ジラールと名乗りました。正式瓶と交換したのだから、旧い香は残さない方が互いのためだと」


若い書記が顔を上げる。リゼットは首を振らなかった。今度は、記録すべき時だった。


「そのまま書いてください。互い、とは誰と誰かも確認を」


家令の唇が白くなる。

「当家と、ラングレー家、と言われました」


台所の灰桶の横に置かれた桶は、布で覆われていた。洗い水はもう澄んでいない。灰と茶と石鹸が混じり、底に薄い膜がある。


リゼットは水へ鼻を近づけすぎない。無香紙の端を水面に触れさせ、すぐに引く。


白い紙の端が、ほんの少し灰色になった。


「茶器を洗った水です。眠り草の苦みが水へ移っています。正式瓶では説明できません」


「なぜ」


男爵夫人が、かすれた声で問うた。


「正式瓶は、回収後に渡されたものだからです。印影も、底の香も違います。こちらに残っているのは、回収前の旧瓶の香です。茶卓、香皿、寝具、洗い水、袖口が同じ方向を向いています」


リゼットは無香紙を並べた。茶卓。香皿。枕縫い目。洗い水。子どもの袖口。茶碗欠片。


一つだけなら、言い逃れられる。全部が同じ朝を指していた。


男爵夫人の手袋から、力が抜けた。乳母が抱いた令息は、咳を一つだけした。小さな音だったが、部屋にいる全員が聞いた。


リゼットは無香布を水に浸し、よく絞った。


「令息様の袖口を替えてください。今着ている服の襟も、無香布で軽く押さえます。香を足さないでください。窓は上だけ開けて、寝台の左側に風を直接当てないように。水は苦いと言うなら、銀杯ではなく白磁の新しい杯で、少しずつ」

乳母がすぐに動いた。家令も戸棚から新しい杯を出す。男爵夫人は立ち上がろうとして、膝を押さえた。


「私にも、何かできますか」


リゼットは少し考えた。


「署名を、書き直せます」


夫人の顔から血の気が引く。


「症状なし、と書いたことを」


「消すのではありません。なぜそう書いたか。誰にどう言われたか。実際には何があったか。別の紙に、奥様の言葉で書いてください。家令様の証言とは分けます」


白い外套がうなずいた。


「王宮香薬局が受領します。家名を守るために虚偽を書いた、と責める紙にはしません。症状を隠すよう誘導された経緯として扱います」


男爵夫人の目に、薄く水が浮いた。


「子どもの咳を、礼法のせいにしたくありません」


「では、その一文から」


リゼットが言うと、夫人は机に向かった。手袋を外す指が震えている。それでもペンを取った。


廊下の扉の外で、黒い礼装の気配が動いた。アルセーヌは入ってこない。ただ、家令が記録用の机を運ぼうとした時、扉の脇に置かれていた椅子を片手で押し出した。


「使え」


それだけだった。男爵夫人は驚いたように扉の外を見た。公爵は視線を合わせず、廊下の窓へ目を向けている。圧にならないための無関心の形だった。


リゼットの胸の奥が、少しだけ緩む。


彼は、助ける場所を間違えない。


夫人が一文を書き終えた時、王宮香薬局の使いが門から駆け込んできた。白い封筒ではない。香薬師ギルドの緑封蝋と、オルラン工房の薄金の封が重ねられている。


「ベルナール副長老より、臨時便です。オルラン工房から、提出命令への返答が届きました」


若い書記が封を受け取り、セラフィナの前で開く。紙が新しい。新しすぎる。春告月の湿りを吸っていない白さだった。


リゼットは文字を読む前に、匂いを拾った。


焦げた蜜。それから、古い帳面を急いで乾かした時の、紙粉の甘い熱。


「読んで」


セラフィナは書記へ命じた。


「オルラン工房より。第五配合帳控は、虫損および香移りが著しいため、該当箇所を清書した抄録を提出する。原本は工房内の香抜き箱で保全中につき、王宮香薬局への移送は不可。なお、春告月十二日以前の香聖女名義試供配合は、工房総意の改良品であり、リゼット・オルラン個人の手順記録とは関係しない」


家令のペンが止まる。男爵夫人も顔を上げた。


リゼットは返答書の端を見た。封筒の内側に、淡い押し跡がある。花冠のような円。左肩だけ、線が欠けていた。


「清書した抄録では、だめです」

声は震えなかった。


「原本の紙粉と、開いた手の匂いが必要です。今朝の洗い水と同じです。洗った後のきれいな杯だけを見せられても、何が起きたかは分かりません」


その目が、封筒の押し跡へ落ちる。


「花冠小印の写し跡がありますね」


「はい」


リゼットは二本線の入った黒蝋を取り出した。モリエ家の茶碗欠片、袖口、香皿、洗い水。その記録を一つの包みにまとめる。


「モリエ男爵家の朝は、症状なしではありません。オルラン工房の返答も、原本なしでは証明になりません」


扉の外で、アルセーヌが静かに言った。


「次は、洗う前の帳面だな」


リゼットは黒蝋へ二本の線を入れた。


苦い朝の匂いは、まだ消されていない。

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