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30 寝相のラクガキ

ある日の午後、母妃はいつものように彼を私の中庭に引き留め、巨大な暦を広げて、「正式な盟約の締結」――実質的には縁談――にふさわしい大安の吉日を相談し始めた。


母妃はある一行を指で示し、にこにこと笑いながら言った。

「リオ少主、見て! 来年二月の『星曜交流の日』は、千年に一度の大吉日よ!

星の力が最も満ちる日で、契約の締結にとても良い影響があるし、縁起も最高なの!」


リオはゆったりと茶杯を置き、暦を一瞥しただけで静かに首を振った。

「私の考えでは、今年八月八日の『天赦の日』の方がよりふさわしいかと」


口調は穏やかだったが、その声の奥には揺るがぬ強さがあった。


「この日は天道がすべての罪を赦し、新たな契約を結ぶのに最も適した吉日です。まさに、今の私とアリシアにぴったりでしょう。そして……」


彼は少し間を置き、口元にわずかな笑みを浮かべた。

「母はすでに出発しました。近日中に聖都へ到着し、儀式を執り行う予定です」


(天赦の日? そんな急な日取りで大丈夫なの?)


母妃は相変わらずにこにことして、素直に頷いた。

「いいわね、天赦の日! おっしゃる通り、意味も深くてぴったりだわ!」


けれどリオが背を向けて、中庭で咲き始めた星のような月下美人に見とれるふりをしたとき、私は母妃がその背中に向かって、無言でこれでもかというほど大げさに白い目を向けているのを見てしまった。

彼女の口の動きがはっきりと、

「……そこまで急ぐ?ほんっと嫌な奴!」

と言っているのが読めた。


母妃はそっと近づき、私の耳元で囁いた。声は半分本気で、半分冗談っぽかった。

「この子ったら……ここまで丁寧すぎるなんて、逆に気味悪いわよ!なんだか落ち着かないし……そうね、いっそお母さんが秘境で、生まれも育ちも分かってるおとなしい子を探してきてあげようか?」

私は思わず笑い出した。胸の奥には、ふっと温かなものが湧き上がる。

母妃は口ではああ言っていても、結局は私が遠くへ嫁ぐのを惜しみ、私がどこかで苦労するのを心配しているのだ。

何しろ、召喚士協会の本部はここから半月以上も離れている。


私はそれ以上考えず、気を緩めて、中庭の柔らかな星藤の揺り椅子に身を預けた。

視線は、隣で「熱心に」本を読んでいる(ふりをしている)リオを横目でとらえ、ゆるやかに形を変えながら流れる雲を見上げ、花の間を戯れる魔蝶の舞を眺め、指先では、古い召喚獣の盟約が記された欠けた獣皮の巻物を気ままにめくっていた。


陽射しは暖かくも灼けつくようではなく、

微風は花と草の澄んだ香りを運んでくる。

時がこの瞬間だけは静かに、優しく、永遠のように流れていた。


日々続いた緊張と傷の痛みも、知らぬ間にこの穏やかな空気の中で溶けていった。


いつの間にか、私は巻物を握ったまま深い眠りに落ちていた。


目を覚ますと、夕陽が空の雲を金色に縁取っていた。

体には、ふんわりとした毛布が掛けられていて、どこか雪の積もった松のように清らかな香りがほのかに漂っていた。


隣の椅子は、もう空だった。

リオはいつの間にか帰ってしまったらしい。


その空っぽの椅子を見つめていると、

胸の奥にぽっかりと小さな穴が開いたような――

言葉にできない寂しさが、静かに広がっていった。


母妃がちょうど一皿の魔果を運んできたとき、石の卓の上に『上古契約考の書』で押さえられている一枚の紙に目が留まった。

彼女は紙を引き抜いて広げ、一目見ただけで笑いを堪えられず、思わず「ぷっ」と吹き出した。


好奇心から、私も覗き込むと、紙の上には、黒いインクで私が揺り椅子にだらしなく眠っている姿が描かれていた。

銀髪が広がり、一筋の髪が口元に張り付き、さらにひどいのは、口元に生き生きとした小さな吹き出しが描かれていることだ。

吹き出しの中には大きく躍動感のある字で――「火鹿の焼肉!」。そのそばには、その文字に驚いて縮こまる火鹿の絵がぴょんぴょん跳ねていた。


画の落款には、小さくも重みのある独特な星の紋章――まさに召喚士協会少主の私印が押されている。

私は思わず――「リ、リオ!」と掠れた声を上げ、顔が一瞬で真っ赤になった。恥ずかしさと怒りで低く唸り、すぐにも地面の割れ目に潜り込みたい気分だった。


母妃は前かがみになって笑い、目に涙を溜めている。目尻を拭いながら、からかうような口調で続けた。

「彼ね、午後からあなたの好きなお菓子は何かって聞いてきたのよ。変だなって思ってたけど……なるほど、ここで待ってたのね。あの時間は八割方、西街のあの店に出来立ての火鹿の焼肉を買いに行くはずよ。ほんと、この子ってば……」


母は笑いながら声を詰まらせ、紙をそっと置いて私の髪を軽く撫で、安堵の溜め息をついた。

「アリシア――母として言うけれど、やっと……本当に良かった。幸せになりなさいね」


母の赤く潤んだ瞳と、体にまとわりつくような清らかな松の香り、そしてあの憎たらしくもどこか可愛らしい絵を感じて、胸がふっと温かくなった。思わず口元が緩む。


最後まで読んで頂きありがとうございました。

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