99 拒絶
「どういうことですか、エルナさん!?」
エルナの言葉に対し、フィーネはそう声を上げた。
だがエルナは、影王から視線を外さぬまま淡々と答える。
「言葉の通りだ。この者に勝つことはまず不可能。ならばせめて、情報だけでも本国に送らなければ、私たちがここに来た意味がない」
「ならば私じゃなく、エルナさんこそその役目を――」
「悪いが、君ではアレ相手に時間を稼ぐことはできない」
「っ!」
短く、しかし一切の反論を許さない言葉だった。
それが事実であることは彼女自身も承知しているのだろう。
フィーネは表情に悔しさを滲ませたまま口を閉ざす。
そんな彼女へ、叱咤するようにエルナは叫んだ。
「早く行け! 私とて、どれだけ耐えられるか分からない!」
「――分かりました!」
苦渋に歪んだ表情で、それでもフィーネは頷く。
そして踵を返し、この場から駆け足で遠ざかっていった。
影王による追撃を警戒するエルナ。
しかし不可解なことに、影王がフィーネを追うことはなかった。
やがて足音が完全に聞こえなくなった頃、エルナは訝しげに眉を寄せ、男へと問いかける。
「追わなくてもいいのか?」
「……あの程度であれば、俺でなくても問題なかろう。それにいずれにせよ、貴様たちがどれだけ足掻いたところで、運命が変わることはない」
「なに? ……っ!」
違和感のある言葉に眉をひそめた直後。
魔王城跡地から遠く離れた場所に、異質な気配を感じた。
(これは……魔物か!? しかも複数体が、まるでタイミングを見計らったようにフィーネのもとに向かって……)
反射的に、意識がそちらへ向きかける。
だがエルナは、すぐに思考を切り替えた。
(いや、だが、この男や先の魔物に比べれば大した圧は感じない。後はフィーネを信じるしかない……!)
それよりも今、自分がすべきことはたった一つ。
この怪物を前に、一分一秒でも長く時間を稼ぐこと。
「ふぅ」
静かに、息を吐く。
深海へ沈み込んでいくかのように、意識の底へと集中を深めていく。
相手は圧倒的な格上。対してこちらは仲間を失い、たった一人。
――――しかし、問題はない。
いつだって自分はたった独り、死地の中で生き抜いてきた。
相手がどれほどの怪物であろうと、自分のやることは変わらない。
「…………」
エルナは何も言わない。
代わりに剣の切っ先を男へ向けると、膨れ上がった圧に空気がピシリと軋んだ。
その只中で、影王の表情が僅かに動く。
「……なるほど。それが貴様の本性か」
零れたのは、小さな笑みだった。
だがその笑みには、見る者の背筋を凍らせるような威圧感が宿っている。
「来い」
「――――」
その言葉を合図に、エルナは力強く駆け出した。
◇◆◇
――フィーネと名乗った女性から語られたのは、あまりにも絶望的な内容だった。
魔王城跡地に到着後、そこに鎮座していた異形の怪物との戦いから、影王と名乗る魔族の登場による味方陣営の壊滅に至るまでの一部始終。
今はエルナがたった一人で足止めを務め、その隙にフィーネが情報だけでも持ち帰るべく逃げ出してきた状況だという。
全てを聞き終えた俺は、自分の眉間に皺が寄るのを自覚した。
(やはり、アトロスだったか……)
男の特徴に加え、自ら影王と名乗った事実――そして何より、エルナを圧倒するだけの実力を持っていることからもまず間違いないだろう。
事前の予想が当たった形にはなるが、喜べる要素は欠片もない。
それはつまり、このままだと原作通りにエルナが殺されてしまうことを意味しているのだから。
一刻の猶予もないと考える俺の前で、フィーネは続ける。
「そして、魔物の群れからこれ以上逃げ続けることができないと悟った私は、最後の魔力を振り絞り伝達魔法を発動しました。ですが、魔力にも時間にも余裕がなく、込められたのは最低限の情報だけ……このままでは、あまりにも不十分な報告になってしまいます」
(……そういうことか)
フィーネの発言を聞き、俺は原作の事情を理解する。
この攻略戦に関して残された情報が極僅かで、Sランク冒険者たちを殺した者の正体に触れられていなかったのも、フィーネにそれだけの余裕がなかったためだろう。
実際、先ほどの光景を思い返せば、伝達魔法を送れただけでも御の字と言えるかもしれない。
しかしそうなると、フィーネが俺にお願いしたい内容とは恐らく……
「かと言って、恐らくもう一度発動するまでの時間的猶予はありません……」
俺がその答えに辿り着くのと、ほぼ同時。
フィーネは遠くに佇む魔王城跡地を、苦渋の表情のまま一瞥し――それから、真っ直ぐに俺へと向き直った。
「――そこでレストさん、貴方にお願いがあります。どうか私の代わりに、今語った情報を持ち帰ってくれませんか!? まだ敵に存在すら知られておらず、あれだけの実力を持つ貴方なら、追手に捕まることなくこの場から離れられるはずです!」
悲鳴にも似た、必死の懇願だった。
その瞳には決死の想いが宿っており、もはや自分の生死など勘定には入っていない様子だ。
それだけの覚悟が彼女の中にあるということだろう。
「俺は――」
それを受けて、俺が答えを返そうとした次の瞬間。
突如として、眩い光が視界を覆った。
「「――――――――!」」
思わず、俺とフィーネは同時に息を呑む。
(攻撃か!? いや、この光は――)
そんな中、俺はこの光に覚えがあった。
それもごく最近……どころか、つい先ほどこの身で経験したばかりで――
「「「ヴォォォオオオオオオオオ!!!」」」
――数秒後、光が収まった時。
俺たちの眼前には大量の魔物が出現――否、召喚されていた。
場所は、俺たちと魔王城跡地とのちょうど中間、進路を塞ぐような形だった。
その数は百に至るだろうか。しかも感じ取れる魔力の圧からして、一体一体が少なくともBランク以上の実力を有している。
まるで、どうしても俺たちを魔王城から遠ざけたいと、そう主張するかのような布陣だった。
「コイツらは……」
そんな大量の魔物を前にし、俺は驚愕を禁じ得なかった。
(コイツらにはゲームで見覚えがある……間違いない、アトロスの支配下にいる魔物たちだ。となると十中八九、この召喚もアトロスによる仕業……けどいったい、どうしてこのタイミングでこれだけの数を……?)
あまりにも想定外の状況に、原作知識を持つ俺でも理解が追い付かない。
まさか、エルナとの戦いで何かが起き、急遽戦力が必要になった?
いや、だとするならコイツらを魔王城跡地に直接召喚するはず。
いったい何が起きて――
「そんな、追手は想定していたとはいえ、こんなにたくさんだなんて……」
困惑する俺の横では、フィーネが絶望の表情を浮かべていた。
数体の魔物に追い詰められていた先の状況を考えれば、その反応も当然だろう。
しかし経験のなせる業か、ほんの数秒ほどで意識を切り替えると、こちらに視線を向けてきた。
「行ってください、レストさん! こんな状態の私でも、囮くらいなら――」
「いいえ、それはできません」
「――……え?」
拒絶の言葉と共に、俺は歩を進めフィーネの前に出た。
この場から逃げるのではなく、魔物たちと向き合うために。
「俺は――エルナさんを助けるためにここに来ました。だから、どれだけの脅威が待ち受けていようと、尻尾を巻いて逃げ帰る選択肢なんて初めからないんです」
「…………」
言いながら、俺は鉄鎚剣を構える。
その様子を見たフィーネは一瞬だけ呆然とした後、慌てた様子で声を上げる。
「ふ、不可能です! 貴方の実力は確かですが、この数相手にたった一人で敵うはずが――」
「一人じゃ、ありませんから」
シャロに力を借り、この場所に来た時点で既に覚悟はできている。
もう、これを明かすことだって躊躇はしない。
だから、
「グルァァァアアアアアアアア!!!」
「ヴォォォォオオオオオオオオ!!!」
「シャァァァアアアアアアアア!!!」
地を揺らしながら迫りくる、魔物の群れ。
それを真っ直ぐに見据えて、俺は告げた。
「――――行くぞ」
同時に、【異空間住居】を発動。
刹那――幾つもの奔流が戦場に飛び出した。
「ガルゥゥゥッ!」
『ヴァァァァァァァ!』
「――――」
風魔法が暴風と化して、群れの一角を薙ぎ払う。
戦場を疾駆する漆黒の影が、すれ違いざまに魔物たちを次々と切り飛ばす。
空を飛翔する無数の長剣が、残る魔物たちを貫いていった。
数秒後。
そこに在るのは、物言わず倒れ伏す魔物たちの骸と、それを見て警戒するように身を引く健在な魔物たち。
そして――灰の毛並みを持つ狼、漆黒の鎧と剣を持つ騎士、赤色の長髪を靡かせる女性の姿だった。
一瞬にして戦況を変えた三者と、それを従える俺の存在。
その光景を前に、フィーネは言葉を失ったまま目を見開き、
「あな、たは……」
辛うじて絞り出すように、そんな言葉を口にするのだった。
先日の10月6日(火)、コミカライズ版の第8巻が発売されました!
アヴァルス戦完全収録!
よろしければそちらもお読みいただけると幸いです!
次回は10月26日(月)、投稿予定です。




