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月は隠れ魔女は微笑む  作者: 一六(阿国)
魔女の腕(かいな)と女神の胸中
22/29

精霊の歓喜とお裾分け

- 知ってるかい?


- 知ってるとも!



小さな囁きとも取れぬざわめきが、水面に広がる波紋のように森の中を駆け巡っていた。葉擦れのようにも聞こえるそれは風の音に紛れながら、どこまでもどこまでも伝わってゆく。

彼らの喜びの感情と共に。

その小さな喜びの小波はいつしか大森林を覆い、その大樹の内部にまで伝い始める。


ー 女神がついに魔女を決めた!!


精霊たちは待ち望んでいたその報せに歓喜の声を上げる。女神の土地であるこの大樹やその周辺には、住人がいるものの常に生命の危機に晒されていたからだ。

管理者たる隠者か魔女がいなければ、豊かな土地はそのままその獰猛な牙を向いてくる。


なぜ管理者という存在を設けているのか。


神という大きな存在では、生命を育む微調整が不可能であるからだ。地球でもそうであったように、星の軌道の一つ、原子、分子の配列がひとつ違うだけで生まれない命。

往々にして、神の力は大雑把だ。

重機で土や砂を掘り山にすることはできても、重機だけでそれらの土や砂の城を作ることはできない。勿論器用な者なれば重機で大まかな城の形を作ることは出来るかもしれない。だが、それとてほんの一握りの者だけだ。


石垣の模様、瓦の模様など重機で描き出すなど不可能に近いだろう。どうしても人の手が必要になる。



うまりはそういうこと。


神という絶対的な強者がいても、その土地は不安定なままなのだ。


森が長く存続するために、間伐し維持する人間が必要なように細かな調整をする存在、それが管理者であり、巫女であり、記録者であり、先導者なのだ。



歓喜の波は留まることを知らないで、歓喜が歓喜を呼び幾重にも重ねられたその想いは光の粒子となって大樹周辺を覆い尽くし、光から恵みの水となり辺り一帯をその暖かな腕の内に納めた。



青いどこまでも青いそこを、緩やかに流れに身を任せるまま流れて行く。


しかし重く身動きをとるのも怠いと感じる水の中をさ迷っていたかと思えば、ふと、意識が切り替わり、暖かい何かにその身が包まれていることに気がついた。その事を訝しく思い、鉛のように重い瞼を持ち上げれば視界にぼんやりと映り込んできたのは…どこか灰色めいた肌をもつ中年の女だった。黒い波打つ髪を1つにくくりつけ、貫頭布のようなものを身に纏った女は、安心したかのように息を吐くと思い立ったかのように後ろに振り向き大声を張り上げた。


「おんや、気が付いたんかい?ちょいと、とーちゃん!寝込んでた嬢ちゃんが気が付いたよ!連れのボン達に知らせてやっとくれっ!」


「なんだよ、なんでおいらが……お前が知らせりゃいいじゃねえ……っいててててててててっ!」


「な・ん・か・い・っ・た・か・い・?あんたみたいなヘチャムクレがいたら嬢ちゃんが怖がるだろ!あたしゃ、これから嬢ちゃんを着替えさせたり、食事させたりとしなきゃなんないんだよ!わかったんならさっさと動きなっ!」


「悪かった!ごめん、ごめんよかーちゃんんんんっ!行く!行くから耳を離してくれよぅっ!」


夫婦なのであろう気の強そうな女の声と、情けない男の悲鳴、何かを投げつけたかぶつかったのか大きな物音にテティアリスの意識は一気に覚醒した。視線を向ければ女が夫であろう男の尻辺りを蹴り部屋から追い出しているのが見えた。



(……あたくしは…確か…)


守護聖騎士の二人に聖都から救出され、大森林を目指し馬車で旅をしていた。しかし長い間幽閉の身であったテティアリスの筋力は衰え身体を起こすだけでやっとという程の体力では体調はあまり芳しくないものであった。


その為に月隠れの大樹を大きく回り込み、その先にあるという邪神の湖、と呼ばれる沼が点在する場所を最初の目的地に決めた。そこの近くには別の神が治める土地があるため比較的安全だからという理由からだ。

小さな川の近くで野営をしながら、傷を癒していたところで突然の光の大雨、そこまでは覚えている。


だが、そのあとは記憶が朧気で気がつけばテティアリスはここに居たのだ。


(あの雨の後……何かが起きたというのかしら。わからないわ……彼らに話をきけばあるいは……?)


そこまで考えが至ったところで先ほど男が出ていった扉の外が騒がしくなってくる。人を呼ぶと言っていた通り恐らくは騎士達を呼びに行っていたのであろう。



「テティアリス様、お目覚めしたのですね…安心いたしました。」


アルトとバーンが心底安心したという表情で微笑んだ。彼らの説明によればテティアリスは約5日程意識を失っていたのだという。

それを聞いた彼女は心から驚いた。彼女の感覚では少し寝過ごした程度の感覚だったからだ。それを伝えればバーンはさも面白いと言わんばかりに笑い出した。どうやら彼らも3日ほど意識を失っており、同じ感覚であったらしい。


「しかし、体の調子はいかがですか?筋力は少ないかもしれませんが、以前よりは楽になっているはずです。」


「どういうことです?あたくしが眠っている間に何があったのです…?」


訝しげに彼女が尋ねれば、騎士達の後ろから器をのせた盆を持った先ほどの女が現れた。


「あんたらはね、『精霊のお裾分け』に巻き込まれたのさ。」


「『精霊のお裾分け』…?」


形の良い眉を顰めて女の言葉を反芻するテティアリスに、アルトが口元に笑みを浮かべて言葉を続けた。


「『精霊のお裾分け』とは、精霊たちが歓喜に溢れると起こる現象だそうです。詳しく聞いてみましたら、この現象は魔女様が就任すると起きるとのこと…誰からも恐れられ触れられてこなかった月隠れのこの大地を治める大いなる女神に、ついに魔女が侍るのです。これで、彼の地を目指す私達に光明が見えてきたと言えるでしょう。」


女から食事を受け取り、トロリとした温かな粥のようなものを匙で掬ったところで手を止める。

アルトの言葉は確かに光明だ。僅かに震える手に気がついた女が、そっと椀を受け取り置くと彼女の薄い背を撫ぜた。震えた手だけでなく肩も同じように震え閉じた瞼からは雫が幾筋も零れた。


「ああ…あたくしは…あたくしの使命を遂げる可能性が出来たのですね…。神よ…女神ウィウィヌンよ…思召しに感謝を捧げます…。」


暫し部屋にはテティアリスの静かなすすり泣きが響いていた。




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