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月は隠れ魔女は微笑む  作者: 一六(阿国)
神の深慮と巫女の浅慮
21/29

契約と夜のお茶会

直径2センチ程のマートの茎をナイフで鉛筆のように薄く削り出す、足元におかれた笊の上に降り積もる度、シャラシャラという軽い音と暖炉の火の爆ぜる音が静かなリビングに響いた。

今はすでに夜と言っても良い時刻……時計のない生活をしているが桜子の体感で恐らく21時頃、と言ったところか。リビングにあるテーブルの所で彼女は一人、作業を続けている。普段ならばとうに床に着き眠っている時分だというのに、睡魔が訪れる気配はなく。ならば、とその訪いを待つべく単調な作業をしていた。ある程度削り出すと平たい笊へとあけ、暖炉の前へと並べ置く。そうすることで乾燥を促すのだ。


「……お茶でも入れましょうか。」


作業をしていた手をふと止めて視線を動かすことなく言葉を溢す。



『気がついていたのかい?』


誰もいないはずの部屋に声が響く。それを耳にすると、木のカップを取り出すべく食器棚へと桜子は視線を向けた。暖炉においてある薬缶から湯気が立ち上ってきた来たのが見えているので、ちょうど良い温度になったのだろう。


「ええ、いつかのときのように、眠気が不自然に訪れなかったもので。恐らくそうであろうと。」


『なら、御馳走になろうか。私たちは滅多なことではそういった嗜好品は嗜まないからね。』


予想していたかのように驚かずにいた桜子が振り向くと、そこには薄衣を纏ったやや痩せた体躯の女が一人。彼女と向かい合うようにゆったりと脚を組み頬杖を付きながら椅子に座っていた。暖炉の火しか明かりのない部屋の中で、僅かに燐光を発する髪を一房、指に絡ませながら柔らかく微笑む姿は確かにヒトではないのであろう畏怖を覚える。とはいえ、桜子を見つめるその瞳はどこか無邪気な子供を彷彿とさせる純粋な興味が煌めいてい 、逆に親しみを感じさせるものであった。

そんな彼女に、かるく会釈をしてから立ち上がり、茶を用意するべく戸棚へと向かう。そこで取り出すのは業務用の紅茶パック。何せ彼女が向かっていた施設に住む人間は職員を併せて60名程、そんな大人数で飲むものともなれば安物の徳用パックに頼らざるを得ないのだ。そして二人分いれたカップのうちひとつを差し出す。


「生憎すぐ出せるのは安物の紅茶だけですけれどね。」


『異界のお茶かい?珍しい事この上ないじゃないか。いいねぇ!』


どこか気風の良い姐さんのような話し方をする彼女は、嬉しげにカップを受けとりその香りを楽しむ。桜子の世界では安物の茶であろうがここは異世界。この世界にないものであれば、それは最高の供物になり得る。

そんなことを知らない桜子は小さなガラス瓶を片手に、椅子へ腰を落ち着ける。


「甘いものがお好きなら、砂糖をどうぞ。」



匙と共に差し出した物、それは完熟したカナンの実を磨り潰したものを保存した瓶だった。



『ふふ……』


それを見た彼女はなお嬉しげに口元へ笑みを浮かべると、匙で2杯、カップへと砂糖を溶かし入れた。


『ここでの生活には、慣れたかい?』


「ええ、お陰様で……ゾンガが頑張ってくれたお陰で家も立派なものになりましたし、森の豊かな実りのお陰で冬も問題なく越せそうです。」


『それはよかった。私も心配していたのさ。なにせあんな小さな所を通り抜けて来れる、ヒトがいるとは思わなかったからね。』


ピクリ、と桜子の表情が固まる。


「あの……」


桜子は以前から不思議に思っていた。なぜ、自分がこの不可思議な世界へ辿り着いたのかと。『運が良い。』と精霊に言われたものの何が運の良さなのかがいまいち理解できていなかったのだ。

目の前の女性の言葉から察するに、恐らく桜子がこの世界に来た理由を知っているのであろう。


『お前のいた世界がどういう認識をしているかは知らないが……世界というものは重なって存在しているのさ。そこの戸棚にしまってある食器が重なっているようにね。そしてそれはそれぞれゆっくりと回転している。世界の壁は網目のようになっていて、それぞれの世界で大きさ、網目の間隔が異なっているから、滅多に重なることはないがねぇ。それこそ確率は億、いや、それ掛ける億以上といったところか。なのにお前はあの箱に入ったまま、その網目を潜り抜けて現れたんだ。運が悪ければそのまま擂り潰されていただろうに。精霊も言っていただろう?お前は運が良い、と。』


「……だから、運が良い……んですね。」


震える手を隠すように握りしめて、無意識に詰めていた息をゆっくりと吐き出す。耳奥から血流の音が鼓動に合わせて脈動するのが、いやにはっきりと聞こえるのがわかる。彼女はこの世界に来て初めて恐怖による震えに襲われていた。


(本当に……運が良かったんだわ……。)


彼女の説明を信じるならば、桜子は偶然、『偶々網目が重なった世界の隙間を通り抜けた』為に、今生きていられるのだと理解したのだ。1秒でもずれていれば彼女はマイクロバスごと世界と世界の隙間でミンチ状態になっていたのかもしれない。


「あの精霊には、お礼を言わなくちゃいけませんね。」



『そうしておやり。……さて、あたしがここへ来たのは、別の用件があるんだ。』



自らを抱き締めるようにして呟いた桜子に、女は優しげな微笑みを浮かべながら見つめる。そうしてカップをテーブルへ置くと、また頬杖を付きながら口元を弓なりにそらせて笑みを浮かべた。その様子を桜子は、チェシャ猫を連想しつつも何も言わずに女を見積めた。


『正式に、あたしの支配する土地の管理者になってもらおうと思ってね。お前と契約をしにきたんだ。もちろん普通の土地の管理者には契約なんて必要ないけれど、お前はこの世界のヒトではないからね。少しだけ勝手が変わってしまう……この土地に関連付ける為の手続きみたいなものだと思ってくれて良い。』


「それは、構いません。もう彼方には戻れないでしょうし、ここで骨を埋めるつもりですから。」


『それは結構なことだね。では杵島桜子、手を』


女は桜子に向かって右手を差し出した。精霊やこの女性は自分の名前を正しく発音できるのだな、などとどこかぼんやりとしながら自分の左手をその手に預ける。


『お前は、この世界、この土地の管理者になる。月隠れの魔女シャウラとしてね。さぁ。『シャウラ、あたしとの契約に同意を。知っているだろう?私の名前は?』』


女の声が二重、三重にも重なって聴こえる中、桜子はこちらを見つめる女をどこか夢見心地なまま真っ直ぐに見つめ返し、言葉を返した。


「ええ、『同意いたします、女神ウィウィヌン』」


チリチリと手のひらが火で炙られたかのように痛みを感じ始めるが、桜子、いやシャウラの体は動かすこともできず、ただ女、女神ウィウィヌンを見つめるしかできなかった。


『契約は成った。お前とあたしは通常の繋がりではない。言うなればお前は半神、あたしの娘になる。邪神ウィウィヌンの娘、シャウラ、お前はこれから多くの畏怖、畏敬を集めるだろう。だが、お前の心のままにいれば良い。』


「ええ。わかりました。……お母様、とお呼びしたほうがいいですか?」


『ふふふ……そう呼ばれるのも悪くないね。好きにおし。』


離された左手は先程痛みを伴っていたというのに、傷どころか赤みすら見当たらなかった。シャウラはそれを不思議そうに眺め、視線をあげると女神の姿はなく、テーブルにおかれた二つのカップだけが女神の訪いが現実であったと知らせている。


「……フットワークの随分と軽い母親だこと。さすが女神、なのかしら」


未だ上手く働かない思考の中どうでも良い事を考えながら、シャウラはカップをゆっくりとした動作で片付けると、暖炉に大きめの薪を継ぎ足してから自室へと向かった。

霧が掛かったように不明瞭な思考ではどうしようもないと思い至った為だ。一晩ゆっくり眠ればまた違うのかもしれない。


その夜、杵島桜子は正式に管理者、月隠れの魔女シャウラとして就任した。




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