38.もう!すぐ!
「ヤタ君、おはよー!」
ついさっき僕が歩いていた道を、ツルさんが長い髪をなびかせ、慌ただしく手を振りながら駆け寄って来る。
「そんな走らなくても大丈夫だよ!」
と近年一番の大声を出すと、ツルさんは急ブレーキをかけた。いちいちオーバーアクションだなぁ、普通に歩行に移行すればいいのにと思ったのだが、急ブレーキをかけた理由はそのフォームにあったようで、右脚を前に突っ張り、重心を後ろに残した状態のまま
「ヤタ君にそんな優しげなこと言われたの初めてー!」
と、その体勢を驚きの表現として流用した。
「え、そうだっけ?」
個人的には対応について最近何かを改めたつもりはない。
「いやー、女ができると男は変わるねー」
「多分知ってると思うけど、那青さんのことだったら、付き合ってないよ」
『まだ』と言いたかったが、まだ本音では楽観を許していない。
「んー?チョコ貰ったでしょー?」
ツルさんと那青さんの間でどれだけ情報が共有されているのやら……愚痴なんかはどちらにも言わない方が賢明だな、今のところそんなのは別に無いけれど。
「バレンタインのことなら、チョコじゃなくてアメ貰ったよ」
「アメ?いいじゃんー。口の中に長く残るから『長いお付き合いを』とかそういう意味だったはずだよー」
それは僕も調べた。
色々解釈はあるようだがアメに関してはあまり後ろ向きなコメントはなかった。クッキー(サクサクした食感から、サッパリした関係でいましょう的な意味)や、マシュマロ(口の中ですぐ溶けて無くなることから、関係を解消したい的な意味)を貰うことにならなくて本当によかった。アメは、アメなら上々である。しかしバレンタインでわざわざマシュマロを渡し『好ましくない』旨を表明する場面が存在し得ることには驚いた。ドキドキしながら当日を過ごし、晴れてモノを頂戴し、開封したらマシュマロで『あなたのことは好ましく思っておりません』。何だその仕打ちは。そもそも何もあげなきゃいいだけじゃんと思う僕には見えることがない男女の悲喜こもごもってやつが世間にはあるのだろうか……。
「ツルツルに剃れてるねー。OK、OK!」
とツルさんは僕の顔を覗き込みながら言った。意味のわからない確認だ。
「じゃっ、買い出し係2人でスーパー行きまっしょーか!」
くるりと進行方向へ、髪を舞わせながらツルさんが先行する。
「了解」
と僕も歩き出し、那青さんには訊きにくい話の解決をツルさんに求めてみる。
「男を連れ歩くことに慣れてるツルさんに訊きたいことあるんだけど」
「品行方正なツルさんに答えられることなら答えてあげるけどー」
字面通り単に『男を連れ歩くことに慣れてる』人に訊きたかったわけなのだが誤解の発生を感知する……でも皮肉と取られてしまっても会話が成立する程度には関係性が熟れているということなんだと光栄に思おう。
「男女2人で歩く時ってさ、男が車道側を歩くのが、その、マナー?でしょ?」
少し速足でツルさんを追いかけながら言った。
「あーうん、そうしてもらって悪い気はしないねー」
程なくツルさんの右隣、車道側に着く。
「今こうして僕が車道側、ツルさんの右側を歩き始めたわけだけども」
「うん。悪い気はしないねー。成長したねーヤタ君!」
今、僕らは車道の左側を歩いている。
「スーパーに向かうには、ここで右折するでしょ?」
交差点で道路を縦断せずに、手前の横断歩道で僕らは右折した。
「するとさぁ。こうなるわけだよね?」
ツルさんの右側に着けたまま右折をすると、車道の右側を歩くことになり、ツルさんが車道側になってしまう。並びは左から、車道・ツルさん・僕、だ。
「僕はここで車道側……ツルさんの左側にポジションを移したいわけなんだけど、どうやりゃ自然に移れるのかわからないんだよ。この間、那青さんの後ろをウロウロしちゃってさ、車道側を上手く取れなかったんだ」
「ふーん、ふむふむなるほどー。そういうことねー」
ツルさんは親指と人差し指でL字を作りアゴに当て、斜め上を見始めた。どうやら熟考してくれているようだ。
「ん-ふむふむ、んんー?」
「な、何?」
「自然、自然にかー。あっれー、わかんないかも」
恋多き女のその発言は、想定外だった。
「いや思ったんだけど、あたしそれをされてる側だったからか、している側の動きって知らないなーって」
ああ、そういうことになるのか、スマートで自然ならば。
「ツルさんの歴代彼氏はみんな自然にそれをやってのけていた、と?」
「あーうん、多分。そう言われてみれば不思議だね、気付かないうちに右左右左移ってるわけだもんね、むむ」
「男サイドは不自然な行動をしてしまった!って思っても、女サイドは実はあんまり気が付かないもんだったり?」
「それはー、意識したことないからどうとも言えないなー。あっ!」
すわ、天啓か⁉続く言葉に期待を寄せる。
「肩とか腰とかに手を添えられて入れ替わってた気がするー!」
「……それは技の難度が高い。それができる関係なら苦労しないよ」
「えー、もう!すぐ!なんじゃない?」
「もし『もうすぐ』という発言に根拠があるなら訊きたいけど、希望的観測ならお断りだよ」
今更『別に那青さんのことってわけじゃなくて』などと腑抜けたことはさすがに言わない。その前提を許すこともまた楽観的な心情の表れに他ならないのだが、ツルさんの中でそれが大前提である以上、否定する労力は無駄だ。
「そもそもさー、不自然でいいんじゃないかとあたしは思うなー」
「と言うと?」
「大切に扱われているって伝わったら、不自然でもちゃんと嬉しいから。スマートじゃないとかそんな所に不満を感じる女じゃないよ、那青ちゃんはー」
もう思いっきり『那青ちゃん』って言っちゃったよ、この人は。
「ヤタ君がそんなことまで気にしだしたことを、あたしは嬉しく思うよー。今日のヘアスタイルだってカッコイイと思うよー」
意外と僕のことなんかをよく見てるなぁ……と一瞬思ったが、ツルさんと会うときは今までボサボサ・バサバサがほとんどだったことに思い当たると、逆に「気付いてもらえなかったら悲しい」まであったかも。とにかく僕が色気づいてきたことは、ツルさんからすればバレバレみたいだ。
「ツ……ツルさんもちょっと髪型変えた、かな……?」
「前回よりちょびーーっと伸びただけですー。」
「……」




