第1話
派手に豪華に生きるより、地味に平凡な人生を歩みたい。
大金持ちには憧れるけど、私は少しくらい貧乏でも平和な人生がいい。
多くは望みません。
普通で、平和で、安全で、幸福な、そんな平凡な家庭を築いて、子供とか孫とかに看取られて安らかな死を迎えたい。
そんなありきたりな人生がいいのです。
結婚相手もやっぱり平凡な人がいい。
イケメンとか本当に勘弁。非凡とか冗談でも無理。
私は平凡に、平穏に、人生の幕を降ろしたい。
私の願いは、・・・たったそれだけです。
*・*・*・*
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
明らかに作った営業ボイスを発するのは、今年高校2年生になったばかりの葛城真琴だ。
このセリフを口にするのも何回目だろうか。
いい加減慣れてもいい頃だが、未だに言うたびに背筋にゾクッと何かが走る、気がする。言ってて自分で、寒い。
真琴は、ハイカラな袴衣装をメイド風にアレンジした制服に身を包み、無駄に愛想のいい笑顔を浮かべる。
顔の造形は特別良くも悪くもない平凡さ。目はくりっとしていて大きいが、鼻は低く、童顔。
背もあまり高くないために、未だに中学生に間違えられたりする。さらに言えば体の発育もイマイチだ。
そんな真琴を完結に言い表すなら、『平凡』の一言に尽きる。
平凡な容姿で、童顔の自分が何故、和風メイド衣装を着て笑顔をふりまいているのか。
答えは一つだ。まあ・・・ようは、バイトだからです。
俗に言う『メイド喫茶』的なアレです。
メイド喫茶といっても、「萌え~」とかいうアレではなく、あくまでモダンを基調とした落ち着いた雰囲気の店です。
本当はキッチンとして応募したのだが、なぜかホールメンバーとされている真琴。容姿に自信がなかったからわざわざキッチンを選んだというのに、これでは意味がない。
私なんかに接客されて嬉しい人なんていないだろうに、店長はなぜか真琴にホールを勧めた。
理由を聞いてみると、
「え?だってホラ、もしかしたら“そういう趣味”の人もいるかもしれないでしょ?あなたはソレ要因ですよ」
そういう趣味って・・・。
童顔を指しているのか、それともこの平凡な容姿を指しているのか判断しかねる答えだった。
いや、もしかするとそのどちらもかもしれない。
そんなコアな客が本当にいるのかと疑ったが、それがどうやらいるらしい。
わざわざ真琴を指名してまで注文を頼む人が、ごく稀に存在する。
存在するとは言っても、同じバイト生のマリンちゃん(めっちゃ美少女)とは月とすっぽん程の差があるけど。
それでも自分を選ぶような客がいるなんて、本当、凡人好きっているものだなって親近感を覚えました、最近。
何を隠そう、真琴も生粋の凡人好きなので。
ホールというポジションでの仕事には全くと言っていいほど気乗りしないが、それでも仕事は仕事だ。
真琴は本日もキリキリと働き、お金を稼ぐ。
そんないつも通りのバイト日和になると、真琴は疑うこともせずに思っていた。
カランカラン・・・
頭の軽そうな鈴の音で、新規の入店を知らせる。
一緒にホールに出ているはずのマリンは、今はキッチンで何やら作業中らしい。
となると、ここは真琴の出番だ。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
お決まりのセリフを発して、笑顔を貼り付ける真琴。
けれど、入ってきた人物を目にして、真琴は一瞬目を見張る。
その客というのは、背の高い男だった。多分、180センチを優に超えるだろうという背の高さ。
そこまで低く造られていないはずの店の扉を、くぐるようにして入ってきたのだから驚きである。
しかもその男は、このメイド喫茶には似つかわしくない威圧感と存在感を放っていた。さらに、服装は全身黒でコーディネートしているらしく怪しさひと押しである。
髪の色は染めたであろう、鮮やかな金茶色。ミルクティーのような柔らかな色だった。
サングラスをしているせいでどんな顔をしているのかはよくわからなかったが、その髪色が彼には似合っているのだろうと、何故かそう思った。
そして何故だか、言い知れぬイケメン臭がするのだ。
真琴は、一瞬で察した。
あ、この人には関わりたくないな、と。
だが、これはあくまでも仕事。客を無下に扱ったりなんかしたら、きっと店長からのお叱りが降り注ぐことだろう。
それは、死んでも嫌だった。だってこわい。店長、こわい。
真琴は怯みかけた気持ちを奮い立たせて、接客に臨む。
黒い男を席に案内しようとしたところで、再びあの入店音が店内に鳴り響いた。
「ちょ、シノ君歩くの早いよ。キミ無駄に足長いんだからさァ」
「ここがメイド喫茶か。思ってたより普通だな」
今度は金髪と黒髪の男二人。この二人もやけに背が高い。
サングラスをしているってことも真っ黒男と一緒だ。
そして、やっぱり言い知れぬイケメン臭・・・。
アレですか。類は友を呼ぶっていうアレですか。
しかも男全員が平均よりも長身なので、身長の低い真琴はもれなく彼らを見上げるような形になる。
首が、痛いです。
まあともかく、後から入ってきた二人は、どうやらこの真っ黒い人の連れらしい。
真琴はもう一度お決まりの入店文句を口にすると、今度は2人の男が真琴の存在に気がついた。
うう・・・、あまりこっちを見ないで欲しい。
すみません、美少女とかじゃなくて。接客するのがマリンちゃんでなくて。
「・・・へぇ?ここって中学生も働かせてんの?」
金髪の軽そうな男が真琴を見て一言。
よく見ると口元に薄笑いを浮かべている。
あ、今のグサッときた。私もう16歳なのに。
真琴は思わず苦笑いを浮かべる。
「ねぇ、キミいくつ?その制服かわいいね、メイドさんキミだけなの?」
「え、あ、あの・・・っ?」
立て続けに質問されて、さすがに慌てる。
何から答えればいいのかわからない上に、相手はお客様だ。粗相をするわけにはいかない。
「えと、私は一応16・・・です。それから、メイドはもう一人いるので安心してください。すごく、美人さんですから」
あはは・・・と困ったような笑顔を浮かべて、なるべく丁寧に質問に答えてやる。
すると金髪の男がまた何を言おうというのか、口を開こうとしたので、真琴は慌ててその声を遮るように自分の言葉を被せる。
普段なら相手の言葉を遮るなんて真似はしないのだが、ここはまだ店内の入口だ。
いつまでもここに立たせているわけにはいかないだろう。
「あの、ひとまずお席にご案内しますので、話はその後で」
と、一言断りを入れて、奥の4名席へお客様をご案内する。
こんな所に来るような人たちにはとても見えなかったが、好奇心か何かだろうか。
だって、サングラス越しですら感じるイケメン臭をまとっていながら、モテないはずはない。
あ、もしかしてマリンちゃん狙い?
そういうことなら納得かも。
男3人をご案内して席に着かせると、真琴は早々に立ち去ろうとした。
が、やっぱり金髪の男に捕まる。
「僕ね、ハルキって言うんだけど聞いたことない?」
「え?えーと・・・・・・、ごめんなさい。聞いたこと、ないと思います」
「そっか、まぁ。特に珍しい名前でもないしね。じゃあさ、キミの名前は?なんていうの」
「え、え、あ・・・」
なんでそんな事を聞いてくるのか、真琴には理解できずに戸惑うことしかできない。
この店に来る客の中に、こんなにも押しの強い客はなかなかいないし、真琴はもともと男と話したりすることにあまり慣れていない。
むしろ、イケメンオーラをムンムンに撒き散らすような男などは苦手といっても過言ではなかった。
「ハル」
びっくりして、思わず肩が跳ねた。
真っ黒男が、ここに来て初めて声を発したのだ。
随分低くて、腰の辺りにズシンとくる、甘い声。
たったふたことの言葉だけだったのに、妙に耳に残るのは何故だ?
しかも、真琴は前にこの声を聞いてる。
あれ?
と思って黒ずくめの男を見ると、あちらも真琴に視線を移す。
サングラス越しに目があった気がして、あからさまに目をそらしてしまった。
え、こわい。なんかこわいよこの人!
真琴に目をそらされた男は、何を思ったのか大きくため息をこぼした。
ええぇぇぇえぇっ
ご、ごめんなさい。わたしなんかが目とか勝手に逸らしてごめんなさい!
心の中で意味もなく平謝りする真琴。
「なぁんだよ、シノ君」
「・・・・・・・・・」
「え、聞いといて無視?切なすぎて泣けてくるんだけど」
真琴は、金髪男の意識が自分から外れたことに気がつくと、おざなりな一礼だけして逃げるようにその場を立ち去った。
背後で金髪男の「あ」という声が聞こえたが、聞こえないふりをした。
彼らの相手は、そういうことに慣れていそうなマリンに任せるのが賢い選択だろう。
それに彼らの方も、自分なんかよりも美少女に接客された方が嬉しいだろうし。
うん、そうしよう。
真琴は蘇りかけた“何か”を否定するように、頭を振った。
まるで思い出したくない何かを消し去ろうとしているかのように。