01話 婚約者のマンションにて
春。
結婚式まで残り1ヶ月を切った。
藤井咲は、式の段取りの打ち合わせの報告に、夫となる鈴木太一のマンションへ向かっていた。
プロポーズを受けたのは1年前。
2年の交際を経てのプロポーズだった。
太一は人当たりが良く、男女問わず常に人に囲まれているような人だった。
たまに女の子との距離感に「近すぎでは?」と思う事もあった。
けれど。
仮にやましいことがあるとしたら、少なくとも私の前では見せないだろう。
これも彼の良いところとして自分の中でとどめておいた。
それにプロポーズも受けた。
私は1ヵ月後には彼の妻になっている。
こんな些細なことで、ぶつかって関係をこじらせている時期じゃない。
任された式の手配を粛々とこなして、あまり考えないようにした。
とはいえ。
相手の親族の座席表を勝手に決めるわけもいかず、大詰めのこのタイミングで太一のマンションへ立ち寄ることにした。
『今日、仕事終わり会えないかな?座席の事で書いて欲しいものがあるの』
朝、メッセージを入れたが、すぐに返事は来なかった。
しばらくして届いたのは、短い一文。
「遅くなるから、また来週連絡する」
(…また来週に、ね)
この人は、そういう人だ。
なんでも後回しにしてしまう。
大事なことも。
これでは式場の方に迷惑をかけてしまう。
咲は合鍵を預かっている。
念のため、キーケースに入れていたことを思い出す。
『じゃあ、書類置いておくから、来週までに書いておいて』
そうメッセージを送り、咲はそのままマンションへ向かった。
既読は、つかなかった。
——これが間違いだった。
いや、正解なのか?
初めて使う合鍵で静かにドアを開ける。
靴を脱ぎリビングへ入る。
テーブルに書類を並べて、乱雑に置かれている他の物を整えようとした。
その時——
奥の寝室から、ペタペタと足音がした。
ゆっくりと、誰かが出てくる。
眠そうな顔をした、見知らぬ女だった。
「たーくん?」
甘えた声。
モコモコの部屋着姿のその女は、咲と目が合った瞬間、ぴたりと止まった。
そして次の瞬間
「…ど、泥棒!?」
と叫んだ。
(ああ、やっぱり)
なぜか、驚きはしなかった。
私は小さく息を吐き、静かに口を開いた。
「泥棒ではありません…」
「…この部屋の住人の婚約者です」
自分でも不思議なほど、冷静だと思った。
理由は咲にも分からなかったが。
——ここで取り乱してはいけない。
そんなスイッチが勝手に入ったようだった。
女性に事情聴取をした結果こうだ。
女の名前は、愛美。23歳。
太一とは、2年程前から交際しているという。
出会いは、友達同士の飲み会。
週末は時々お泊まりデートで、今日はその日だったそう。
——2年前。
つまり…
私と付き合いだして1年後には愛美とも交際していたと言うことになる。
瞬時に頭の中で計算し、すべてが、一本の線になる。
(ああ、そういうことか)
あの時の曖昧な言い訳。
連絡がつかなかった夜。
妙に、納得した。
そして同時に。
太一への感情が、すっと消えた。
「それでも…」
咲は静かに言った。
「私たちは婚約しています。今月、結婚式もあります」
少しだけ視線を落とし、
「あなたは…遊ばれていたんですよ?」
その言葉に、愛美は顔を歪めた。
「そんなことない…!」
ぽろぽろと涙がこぼれやがて声を上げて泣き出した。
(…泣きたいのは、こっちなんだけど)
そう思いながら、頭はこの事態をどう収拾するかでいっぱいになる。
「ねぇ」
愛美に問いかける。
「そんなに、彼が好きなの?」
愛美は涙を拭いながら、何度も頷いた。
「…分かった」
一瞬の沈黙。
そして咲は、あっさりと言った。
「じゃあ、あげるわ」
愛美が、目を見開く。
咲は続けた。
「その代わり——証拠、ちょうだい」
そう言うと、愛美から、
二人のツーショット写真をありったけもらった。
最後に。
愛美に紙を持たせ、写真を撮る。
そこにはこう書かれていた。
『たーくんは、私と2年前からお付き合いしています』
と書いた紙を持たせ、自分とのツーショット写真を撮っておいた。
部屋を出た時。
涙は、一滴も出なかった。
電車の中で、咲はスマホを開く。
言い逃れできない写真を選び、今日撮った写真も忘れず追加した。
送信先を指定する。
太一。
そして、その母親。
『キャンセル料は、後日請求させていただきます』
送信。
その後、着信が鳴り続けた。
けれど咲は、一度も、電話に出ることもメッセージを読むこともしなかった。




