57. メビウス
客人として招き入れられた客室には畳に布団が敷いてあるだけの簡単な作りとなっており、窓からは桜を見る事が出来る為なのか心地良い空間となっている。これは客人であるが皆と平等であるが故の簡素な作りだそうだ。しかし旅館から出された鍋の料理は豪勢でなぜここまでイイ扱いを受けているのか疑問に思う程だった。
「ふあ~イイお風呂に美味しいご飯。サイコーだね~!一生ここで過ごしていいかも~!」
着物に着替えたナギアは満足そうな顔で布団でゴロゴロとしている。胸もパンツが丸見えなのに全く気にせず品の欠片も感じられない。
「ホントに良い所デスね。……ところでナギアさん、少し相談が」
寛いでいたナギアはアイリの顔色の悪さを見てか正座をして話を聞いてくれた。アイリは温泉でスイレンが話した内容をそのまま話した。ところが驚く様子はあまり無く、うんうんと頷きながらナギアは考える姿勢をを示していた。
「実際闇の使者って誰かの魂と入れ替わって生まれたのか、それとも闇の使者として誕生したのかアーシもよくわからないんだよ~。姿形は誕生してから特に成長してないし1年くらい前とか半年前とか時期はバラバラだけどみんな記憶ないみたいだし」
「魂が入れ替わったっていう可能性はあるかもしれないという事デスか」
「う~ん。かといって色んなとこ旅したけどアーシの事を誰かが知ってるわけでもないし、ギルド登録もしてなかったし~。やっぱりこの姿で誕生したって方が筋が通るかも?」
もしそうであればメビウスは鬼の姿で出現したから【鬼】の神命を持った闇の使者である。初めての邂逅以来【鬼】になっていないから危険度を考えてスイレンがメビウスを殺していないと考えると、メビウス自身は闇の使者である事や神命について知っていない可能性がある。
「……スイレンさんにワタシ達が闇の使者である事を伝えるのはどう思うデスか?」
「それはやめた方がいいかも~。闇の使者を祓う方法探してるって話だしアーシら実験動物にされちゃうかも。こーやって!!!」
そう言うとナギアはアイリに覆い被さり脇腹をくすぐってきた。
「あひゃひゃ!やめるデス!あひゃひゃひゃ!!」
「むふふ~!嫌がられるとやりたくなっちゃうな~!!」
「じゃ、じゃあもっと、して欲しいデス……?」
「むふふふふ!欲張りさんめ!!おりゃ~!」
涙目で訴えるアイリに興奮したのかナギアは余計にくすぐってきた。疲れ切ったアイリ達はそのまま寝てしまっていた。
深く考える必要はないのかもしれない、それよりも王都ブレイブの復興についての話や相手側の情報を仕入れる事が先決だと思った。
――――――――――――――
コン。
何かが窓に当たる音がする。
コン。コン。
また何かが当たる音がする。
まだ辺りは暗くナギアは隣でぐっすりと眠っていた。アイリは寝ぼけながら窓の外を見てみるとそこにはメビウスが窓に向かって小石を投げていた。
「ふあ~……こんな夜遅くにどうしたんデスか?」
「起こしちゃってごめんね。ちょっと話があって、少しいいかな」
言われるがままアイリは部屋を後にして外に出た。
昨夜メビウスの話をしていたからこそ、何をどこまで知っているのか探りを入れられる良い機会ではあった。が、迂闊な事を話して言霊を得てしまった場合良くない結果になってしまう為慎重にならざるを得なかった。
宿を出るとそこには寝間着用の浴衣に着替えたメビウスがいた。桜が舞い散る中様子を見ていたメビウスが画になる程似合っている。
「急にごめんねアイリちゃん、ってアイリちゃん!前前!」
「んえ?………―――――――ッ!!!!!!!!!」
アイリは寝ぼけたまま来たせいか着物がズレて色んなものが丸見えだった。夜中なので大声は出さずにしたがまたしても見られてしまった事の羞恥が襲い掛かりその場でへたり込んでしまった。
「あはは、僕もよくやっちゃうから気にしないで」
そう言って慰めながら着物を直してくれるメビウスは優しかった。スイレンが魂が宿ってしまった闇の使者を祓いたくなる気持ちもわかる気がした。膝についた砂をパンパンッとアイリは払うと深呼吸して落ち着かせた。
「それで、どうしたんデス?」
「少しお話がしたくって、良かったら歩かない?」
二人は月明かりが照らす桜並木が並ぶ道を進んでいった。昼間とは打って変わって賑やかだった街は静寂として風や虫の声だけが街の音を作り出していた。決してそれは物悲しい雰囲気ではなく、どこか温かみを感じる。
「僕はこの街が大好きなんだ。人の考え方も街並みや桜も。僕はこの街で育った記憶しか持ってないから他の街の事は知らないけど、他ではきっと魔物達と過ごしている訳では無いんだよね。みんな異種族をどうして拒否してしまうんだろう。命や心はみんな同じはずなのに」
「怖いから、じゃないデスか。異種族だからというより他人を信じきれなくて怖いとか、そういう感じだと思うデス」
自分で言っておいて心がチクチクと痛む。スイレンの事をどこまで信用していいのか分からないせいで、もしかしたらメビウスを救う手立てを失ってしまうかもしれない。だけど話して分かり合えなかったら戦いになってしまうかもしれない。人間とはどこまで行っても信用を勝ち取れるかで物事は運ばれてしまう。
「僕は怖い?」
そう言うとメビウスはアイリの手を掴んだ。
覗きこまれた顔はどうしようもなくなる程近い。
「あ、そういう訳じゃ、えと」
急に手を掴まれた事でアイリは動揺を隠せない。メビウスの真っ直ぐな瞳は吸い込まれそうな程に魅力的だった。
頭がくらくらする。胸がドキドキする。どうしようどうしようどうしよう。助けて。
コナミさん―――――!!
コナミさん。
コナミさん。
フラッシュバックするかのようにコナミとの思い出が溢れ出てきたアイリは、今まで何をやっていたのだろうと思う程に冷静になった。王都ブレイブの復興?闇の使者?そんなもの今はどうだっていい。コナミさんが元に戻ってもらう為の旅だったはずだ。
「……ワタシは」
掌を見たアイリはちっぽけで何も持っていない。コナミに対して何一つ出来ていない。力になれていない。気が付けば泣いていた。その想いがまたこみ上げてきてしまった。
「アイリちゃんは本当に色んなものを抱え込んでるんだね。僕で良ければ力になるから落ち着いたら話してね」
「どうしてそんなに優しくするデスか?」
「僕以外みんな大人だからね。せっかく同年代くらいの人と知り合えたから仲良くなりたいんだ。だから君の事をもっと知りたい」
恥ずかし気も無くクサい言葉を言われたアイリだったが、メビウスが単純に優しい性格なのだと分かった。
「わかったデスよ。但し、メビウスくんの事も教えて欲しいデス」
「何でも聞いてよ!」
「"この街で育った記憶しか持ってないから"と話してたデスが、産まれた場所はこことは違うのデスか?」
もしアイリ同様に魂を交換だけした場合ならその肉体の記憶は持ち合わせている。逆に知らないというのであればそこで"発生"した闇の使者に違いない。
「どうしてそんな事を聞くの?」
その瞬間、たった一瞬だったがアイリの身体に戦慄が走った。まるで喉元にナイフを置かれたかの様な寒気が襲い掛かる。今の寒気は一体?ただニコやかに質問を返すメビウスに変化はない。
「あ、いえ、気になっただけなので」
「"この街で育った記憶しか持ってないから"っていうのはそのままの意味で、僕はこの街で産まれてこの街で育ってるから、この街の記憶しかないって話だよ」
――――メビウスは嘘を付いている。
それではスイレンが話していた内容とまるで異なる。他方から鬼の姿で現れたメビウスは明らかにこの街で産まれたわけではない。何かわからない嫌な予感がアイリの中でよぎり始めたが、絶対に悟られないように頷く姿勢のみを見せた。
「じゃあ僕からも質問!」
「えっと、なんデスか?」
「―――― シガレットについて知ってる事、全部教えて」




