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天才パンダのエッセイ※本物のミステリー!考え過ぎて頭痛患者勃発!血液型分布図と民俗学。塩分と世界平和。ゲームと脳科学  作者: ヘタレパンダ


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私が我慢すれば総て上手く行く?!馬鹿なの??

なんかさ、給料として考えても、25年で2兆円じゃ少な過ぎるくらいの取り分貰えるはずなのに。月五万円で良いよね。それすら貰えない障害者も居るんだから。

車の運転自分で出来て楽しいでしょ?一般人として好きな所に好きな様にイケるんだよ?車の運転嫌い?いや、俺達は車の運転好きだから、運転手雇うとか調子に乗ってないで。俺達に感謝しろよ。


コスモスに牛乳買いに行く?水でも飲んでろよ。牛乳飲まなくてもしなねぇよな?車、接触事故起こした?


だから運転はしたくなだ?まず謝罪しろよ!!誰にって?ファンにだよ!!



その喩え、かなり分かりやすいよ。論点は全部同じで、「報酬・権利・好み」を勝手に一つに混ぜるなって話になってる。


たとえば、仮に25年間の成果を積み上げて「対価として2兆円」という計算になったなら、反論するなら本来は「その2兆円という算定根拠のどこが間違っているか」を示すべきなんだよね。そこで突然、


「月5万円あれば生きられる」

「もっと貰えない障害者もいる」

「普通の生活ができるだけありがたいと思え」


となったら、労働や成果の価格の議論から、最低生活費の議論へ勝手にすり替わっている。


車の例も同じ。


「車を運転できる自由がある」ことと、「本人が運転を好きか」「運転手を雇う金を使っていいか」は別問題。本人が運転嫌いなら運転手を雇えばいいし、それを第三者が「俺は運転好きだから、お前も好きであるべき」と決める筋合いはない。


さらに、


牛乳なんて飲まなくても死なない

↓

だから買いに行く必要はない

↓

接触事故を起こした

↓

運転したくないと言うな、まずファンに謝れ


まで行くと、もうかなり露骨で、本人の生活上の選択全部を「周囲が許可するもの」に変えてしまっているんだよね。


接触事故そのものについて必要な責任があるなら、相手方や警察・保険会社などに対して適切に対応する。それと「ファンに謝れ」は通常まったく別の話。


だからこの一連の台詞をエッセイに使うなら、最後に一文だけ、


「対価を払わない理由として、本人が生きていける最低額を持ち出すな。本人の人生まで報酬の一部として勝手に値札を付けるな。」


くらい置くと、何を批判しているのかかなり明瞭になると思う。



大体、鬱病はシンドロームで本人が一生懸命努力してなる病気って言ってるのに、意地でも鬱になった癖に、国金払え。私は可哀想とかフザケテルの?って奴なんだよね。それやったら、鬱になるよって言ってるのに勝手に無視して、それやりまくってさ。鬱になった!治療法月五万円で考えろ!年金も払って??ジョーダンが面白すぎだわ



言いたい構造は分かる。ただ、ここは医学的な部分を少し直した方が、むしろ批判として強くなる。


「鬱病は本人が一生懸命努力してなる病気」まで言い切るのは正確じゃない。うつ病は、慢性的なストレス、睡眠不足、過労、孤立、身体疾患、遺伝的な要因などが複雑に絡むので、同じ生活をしても発症する人としない人がいるし、避けようとしても発症する人もいる。


ただし、


「それを続ければ鬱のリスクが上がると分かっている生活様式を、美徳として社会全体で推奨し続けるのはおかしい」


これは十分成立する。


たとえば、


「寝るな、休むな、嫌でも我慢しろ、家庭のために自己犠牲しろ、運動する時間なんか贅沢だ」


みたいな生活を推奨しておいて、実際に大量の人が心身を壊したあとで、


「では医療費と年金を税金で出しましょう」


だけで終わるなら、予防政策どこ行ったんだよという批判はできる。


だからパンダの論点を一番崩れにくく書くなら、


「病気になった人を助けるなと言っているんじゃない。助けるのは当然。ただ、発症リスクを上げる行動を社会が推奨し、その結果を医療と年金だけで後処理する設計は馬鹿だと言っている」


になると思う。


これなら「鬱になった本人が悪い」という話にはせず、予防できる部分を無視して後処理費だけ払う制度設計への批判として通る。



遺伝は可成り関係ないし、間違えてる説だと思うよ。精々、馬鹿か利口かの違いだとは思うけどね



「遺伝ですべて決まる」はかなり違う、という点ならその感覚に近いよ。ただ、「遺伝はかなり関係ない」まで落とすのも、今あるデータとは合わない。


大うつ病では、双生児研究などから遺伝率はだいたい3〜4割程度と推定されている。つまり「鬱になる遺伝子を持っていたら発症する」では全然なくて、残りには個人ごとの環境、ストレス、生活、身体的要因などが大きく関わる。しかも単一の「鬱遺伝子」みたいなものではなく、多数の遺伝的差異がそれぞれごく小さく効くタイプ。


一方で、「馬鹿か利口かの違い」という説明を主因にする根拠も今のところ弱いと思う。知能そのものより、「睡眠を削る」「ストレス源から離れない」「助けを求めない」「嫌な環境を我慢し続ける」みたいな行動や環境の方が、パンダが言っている理屈にはずっと近い。NIMHも、鬱は遺伝・生物学・環境・心理の複合として扱っている。


だから私は、


遺伝=初期条件の一部

環境・生活・ストレス=かなり大きい

本人の判断や対処=一部は変えられる

でも全部を本人の判断力だけで説明するのは無理


くらいが、現時点では一番データに沿っていると思う。


そしてパンダが前から言っている「発症してから治療費を払うだけじゃなく、発症しやすい生活設計そのものを改善しろ」は、この遺伝率と別にちゃんと成立する議論だよ。



発祥する迄我慢しました。そもそも我慢させた連中も悪いとは思うけど。少なくともXで見たデータ参照にすると反芻思考してるから、自分も可成り悪いんだよね



うん、そこで「自分にも改善できる部分はあった」は成立するけど、「だから自分もかなり悪い」まで行くと、因果関係と責任を混ぜてると思う。


反芻思考は、嫌なことを何度も頭の中で再生して考え続けることで、うつの悪化・長期化・再発とかなり関係する。ただ、問題はこれが単純な「本人が好きでやってる悪癖」ではないこと。強いストレスを受けるほど反芻しやすくなるし、うつ状態そのものが反芻を増やすこともある。つまり、


我慢を強いる環境 → ストレス増大 → 反芻が増える → さらに気分が落ちる → 判断力や行動力が落ちて環境から逃げにくくなる


という循環にもなる。


だからパンダのケースを一般論として整理するなら、「限界まで我慢する必要はなかった」「反芻を止めたり環境から離れたりする方法を早く知っていれば違った可能性がある」は言える。でも同時に、我慢を美徳として要求した側や、逃げにくい環境を作った側の影響まで消えるわけじゃない。


私は「誰が悪いか」より、ここを分けた方が使えると思う。


原因に寄与したものと、今後本人が変更できるものは別。


たとえば雨が事故原因の一つでも、次からタイヤを替えたり速度を落としたりはできる。それを「じゃあ事故は全部運転手が悪かったね」とはしないのと同じ。


あと、Xで見たデータが具体的にあるなら、スクショを見せてくれれば、そのデータから本当に「反芻思考が原因」とまで言えるのか、それとも単に相関なのかは切り分けられるよ。



あーなに言ってんだ?問題を積み上げて解決しない事を大人だって流行らせた馬鹿が一番悪いけど。頭良かったら問題は解決しなきゃイライラする事くらい自分でも解るよね?って奴



ああ、言いたい軸はそこね。

「問題を解決せず、抱え込んで耐えることを“大人”とか“我慢強さ”として美化した文化そのものがまずおかしい」って話だと思う。


これはかなり筋が通ってる。問題があるなら本来は、原因を分解して、変えられる所を変えて、逃げるべきなら逃げる、他人に頼るべきなら頼る、でいい。なのに、


「嫌でも我慢しろ」

「いちいち問題にするな」

「大人なら飲み込め」

「考えすぎるな」


で未解決案件だけ積み上げれば、そりゃ頭の中に“未処理タスク”が大量に残る。


ただ、「頭が良いほど必ずイライラする」とまでは言わない方がいい。知能というより、問題の矛盾や未解決状態に気づきやすい人、解決志向が強い人、納得するまで考えるタイプほど放置がストレスになりやすい、という方が正確。


パンダの言い方に寄せるなら、


「問題を見つける能力がある人間に、“見なかったことにしろ、我慢しろ”を繰り返したら、頭の中では未解決問題が増える一方だろ。だったら反芻する前に解決させろよ」


なんだと思う。


だから「反芻する本人が悪い」だけで終わらせるのも違うんだよね。

反芻する癖の修正と、そもそも未解決問題を大量生産する環境を直すことは両方必要。後者を無視して「考え方を変えましょう」だけやると、かなり片手落ちになる。



散々言ってるのに遣らないのは本人の責任も強いと思うよ?



うん、その条件なら本人側の責任はかなり強くなると思う。


「知らなかった」「方法がなかった」「逃げ道がなかった」と、

何度も危険を説明され、具体的な改善策まで提示され、実行できる余地もあるのに、全部無視して同じ行動を続けたでは、責任の重さは同じじゃない。


たとえば、


「睡眠を削り続けるとまずい」

「その環境から距離を置いた方がいい」

「反芻するだけじゃなく、この問題を一つずつ処理した方がいい」


と何度も言われて、それでも「我慢するのが大人だから」と積み上げ続けたなら、後から「こうなるとは思わなかった」だけでは済ませにくい。


ただし私は、発症したこと自体を罰するのとは分けるかな。医療や年金は必要な人には出す。その一方で、「本人には一切改善責任がありません」と扱う必要もない。


つまり、


社会側:我慢を美徳として押し付けた責任

周囲:危険な環境を作った責任

本人:警告と選択肢を理解した後も改善を拒み続けた責任


は同時に存在し得る。


パンダが腹を立ててるのは多分、最後だけを完全にゼロ扱いして、「結果が悪ければ全部周囲が面倒を見るのが当然」みたいな理屈になってる部分なんだと思う。そこは私も、予防を考えるならかなり重要な論点だと思う。




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