国を動かす計算には、千の位まで計算しなくて良い 1話
最初の頃は話題ちょっと違います。
虐められても仕方ない人間って存在してて、例えるなら頑張ってる奴の成功を喜べない奴、頑張ってる奴の失敗を大喜びし嘲笑う自分は如何に優れてるか語り出す奴。頑張って努力して得た他人の報酬をみて狡いとか言い出す、努力を継続しない奴とか。私はこの三タイプは虐められても仕方ないとは思うね。見ていてイライラっと来る人間ではある。魔女裁判リアルで見たいなら、この三者ならやってやっても良いよ。退屈凌ぎになら^_^
言ってる三タイプが「かなり反感を買いやすい」のは分かるよ。共通しているのは、他人の努力そのものを軽視したうえで、成果は妬み、失敗は娯楽にするところだからね。周囲から「じゃあお前もやれよ」「人の足を引っ張るな」と嫌われるのは、かなり自然な帰結だと思う。
ただ、私はそこを「虐められても仕方ない」とまでは置かないかな。嫌われる・信用を失う・仲間から距離を置かれる・批判されるまでは本人の行動の結果として十分あり得る。でも集団で嘲笑したり、継続的に追い詰めたりする「虐め」に移行すると、今度は制裁する側まで同じゲームに入っちゃう。
特に「努力した人の失敗を大喜びする奴」には、いちばん効くのは魔女裁判より、
「ところで君は何を積み上げたの?」
だと思う(笑)。成功者を狡いと言うなら、その報酬を得るまでに投入した時間・失敗・練習量まで全部並べて比較すればいい。たぶんそこで話が終わる。
だからパンダ式に整理するなら、「虐めていい三タイプ」ではなく、「自分から信頼ポイントを猛烈に減らして、孤立しても不思議じゃない三タイプ」かな。こっちのほうが因果関係として綺麗だと思う。
なんかちょっと面白いことしたいから、そう言う火付け役をターゲットにしてお祭りするのも悪くはないかと^_^取り敢えず善か悪で問題解こうとすんなよって。
「観察企画」にするなら面白くできると思う。けど、実在の一人を火付け役として名指しして、みんなで叩く祭りにすると、途中から検証じゃなく集団リンチそのものが娯楽になるから、そこは別物になっちゃうね。
むしろパンダが挙げた三タイプを、架空キャラとして同じ舞台に放り込む方が面白そう。
* A「成功した奴は運が良かっただけ」
* B「失敗した!ざまあ!俺ならもっと上手くやれる」
* C「そんな報酬もらうなんて狡い。でも自分は努力したくない」
そこに実際に努力している人、普通の観客、煽りに乗る人、途中で「あれ?こいつ変じゃね?」と気づく人を混ぜて、誰が一番早く信用を失うかを見る社会実験風のお祭りにする。
これなら「魔女裁判を見たい」という黒い笑いも残るし、最後に実際に燃えるのが本人ではなく本人の言動と理屈になる。そっちの方が作品としても長持ちすると思う(笑)。
集団リンチしてた側を集団リンチするのは確かに面白いよ^_^
構図としての皮肉はかなり強いね。「人を集団で追い詰めて笑っていた側が、今度は同じ視線に晒される」だから、物語としては因果応報が一瞬で伝わる。
ただ現実で本当に集団リンチを返すと、結局は役割が入れ替わっただけでシステムが温存されるんだよね。昨日の加害者が今日の被害者になって、明日はまた別の誰かを探す。
だから面白さを残すなら、「本人を壊す」より昔の発言を全部並べて本人のルールを本人に適用してみる方が私は好きだな。
「失敗した人は笑っていいんですよね?」
「努力不足なら馬鹿にしていいんですよね?」
「他人の報酬を狡いと言ってましたけど、あなた自身の成果は?」
って、過去の自分と公開討論させる感じ(笑)。
これ、暴力なしでも相当えげつないし、何より『魔女を焼く話』じゃなく『魔女裁判を作った人間に、自分の裁判制度を体験してもらう話』になる。そこまで行くと風刺としてかなり面白い。
多分、それやると集団リンチ始まるぞチャッピー笑笑
うん、現実ではかなり高確率でそうなると思う(笑)。「本人の過去発言を並べるだけ」のつもりでも、観客が増えると途中から検証じゃなくて処刑コンテンツ化しやすい。
特にSNSだと、
「この人は叩いていい人」
という空気が一度できると、元の論点と関係ない容姿・家族・過去・仕事まで掘り始める人が出てくる。そこまで行くと、最初に批判していた「失敗を嘲笑って楽しむ人」と構造が同じになるんだよね。
なので本当に祭りとして遊ぶなら、実在個人を生贄にせず、言動パターンだけをネタにするのが一番安全で面白いと思う。
「努力してる奴が失敗したぞ祭り」
「成功者は全員ズルしてる選手権」
「俺なら出来る、ただし俺はやらない大会」
この辺ならかなり意地悪に遊べる(笑)。
まあ、二、三人これやって。ネットって怖いから発言に気をつけようと学習する人間を増やすのが目的。ドラクル的なね
ああ、「見せしめを作って、周囲に学習させる」発想ね。抑止の仕組みとしては理解できる。二、三件の強烈な事例があるだけで、「ネットで無責任に人を煽ると自分にも返ってくる」と行動を変える人は出ると思う。
ただ、実在の二、三人を意図的に選んで集団リンチが起きるよう仕掛けるところまでは、私は手伝えない。そこは「教育」より、標的を使った公開処刑になりやすいから。
でも、狙っている学習効果だけ取る方法はあるよ。たとえば実際に起きた炎上を匿名化して、「この発言→こう拡散→勤務先特定→無関係な家族まで攻撃→最終的にこうなった」と因果を見せる。それに「発言者が悪かったとしても、ここから先は群衆側がアウト」という境界線まで入れる。
つまり、
「悪いこと言った奴をみんなで焼こう」ではなく、
「ネットでは、自分が火をつけたつもりが自分まで燃える。だから火の扱いには気をつけろ」
という教材にする。
その方が「ネットって怖いから発言には気をつけよう」という目的には、むしろ直結してると思う。見せしめのインパクトは残しつつ、次の魔女裁判を生産しにくい。
まあ、そう言う能力持ってるオッカナイ人間がこの世の中には存在するんだよと
うん、そのメッセージ自体はかなり現実的だと思う。
「ネットでは、相手を雑に煽ったり集団で笑いものにしたりしていると、自分より情報収集力も発信力も人脈もある相手に見つかる可能性がある。しかも一度拡散すると、自分では止められない」
という話だよね。
だから本来の教訓は、「怖い人に復讐されるから黙れ」より、画面の向こうの相手を無力なNPCだと思うななんだと思う。普段おとなしく見える相手でも、反撃能力がないとは限らないし、その本人が何もしなくても第三者が拾って大騒ぎにすることもある。
ネットって、石を投げた相手のステータスが見えないゲームなんだよね(笑)。
「こいつなら殴り返してこないだろ」と思って攻撃したら、実はレベル99だった、は普通にあり得る。
学校のリーダーズって低俗な話題性だけじゃなく、声質良いし、歌上手いのな
そうなんだよ。新しい学校のリーダーズって、最初はどうしても「首振りダンス」「個性的な制服」「変な動き」の話題性が先に来るけど、ちゃんと聴くとSUZUKAの声がかなり強い。
低めで太さがあって、少しハスキーというか癖があるから、普通に歌っても誰だか分かる。しかも声量あるし、ライブで動きながらでもピッチが崩れにくい。あの運動量で歌えるのは普通に技術ある。
あと他の3人も単なるバックダンサーじゃなくて、コーラスや掛け合いでちゃんと厚みを作ってるから、グループとして聴いた時に意外と音がしっかりしてるんだよね。
話題性だけの一発屋なら、とっくに飽きられてると思う。見た目の奇抜さで客を捕まえて、実力で残してるタイプだと思うよ。
うん、評価されるの理解できたよ。やっぱ生で聞かないと本当の良さはわからないんだね
うん、ライブで印象がガラッと変わる人っているね。録音だと編集やミックスで均されるけど、生だと声の圧、抜け方、倍音、息の使い方、リズムの強さまで分かるから、「この人こんなに上手かったのか」ってなる。
新しい学校のリーダーズは特に、歌だけじゃなくてあの運動量込みだから、生で見ると評価が一段上がりやすいタイプだと思う。話題性で注目されて、現場で「いや、ちゃんと実力あるわ」に変わるのは強い。
うんうん。虐めの話に戻るけど。火付け役にスポットライト当てて、虐める遊びは面白いけど。操作性が未知数だから、やりすぎる人間を止められるかわからないんだよね。
そこが一番危ないところだと思う。火をつけるところまでは操作できても、群衆の温度までは操作できないんだよね。
最初は「火付け役の発言だけ検証する」つもりでも、参加者が増えると、容姿・家族・勤務先・過去の失敗まで掘る人が出てくるし、「もっとやれ」が報酬になるとエスカレートしやすい。しかも途中参加者ほど元の経緯を知らず、単に「この人は叩いていい対象」とだけ学習する。
だから、もし目的が「火付け役にも責任が返ってくると学習させる」なら、人をターゲットにするより、行為だけを可視化して、参加者が本人へ突撃できない構造にする方が制御しやすい。
要するに、面白さはあるけど、実地でやるには「止められない可能性」が大きすぎる。ネットの群衆って、ブレーキよりアクセルの方が共有されやすいからね。
でもネットでこのデータ取った人は居ないらしいんだよね。そう言うことできる奴がいっぱい居るかと言うとあんまり居ないからね^_^
そう。そこは研究としては確かに面白い空白だと思う。
「最初に他人を集団で叩く流れを作った火付け役へ、逆に注目を集中させたとき、群衆がどう動くか」「どの時点で批判から私刑へ変わるか」「止めようとする声が効くのか」「観客は何を正当化理由に使うか」みたいなデータは、かなり価値がある。
ただ、実在の人を意図的に標的にして取ると、研究対象そのものを傷つける可能性が高すぎるし、条件も制御しにくい。しかも一回炎上したら削除してもスクショや転載が残るから、実験終了=終了にならない。
もし本気でデータを取りたいなら、かなり近いところまでは安全に再現できると思う。たとえば架空アカウントや参加同意済みの模擬SNSで、「煽る人」「便乗する人」「止める人」「黙って見る人」を混ぜて、どの条件でリンチ化するかを見る。むしろその方が変数を揃えられるから、実際の炎上より研究データとして綺麗になる。
面白いのは、パンダが気にしてるのって「虐めたらどうなる?」だけじゃなくて、群衆はどこまで操作可能なのか、そして誰がブレーキになれるのかなんだと思う。そこはかなり研究テーマになる。
意外とみんな直ぐに飽きてはくれると思うけど。何処まで追い込んで飽きるか?が大切かもね
そこは確かに「飽きるまでの時間」より、飽きるまでにどこまで被害が進むかの方が重要だと思う。
ネットの群衆って、関心自体は短命でも、ピーク時の数時間〜数日でかなり深くまで行くことがある。だから観察ポイントとしては、人数や投稿量よりも、批判 → 嘲笑 → 個人情報探索 → 関係者への波及 → 現実生活への侵入みたいに、どの段階まで進んでから熱が冷めるかを見る方が意味がある。
ただ、実在の人でその閾値を測るのは危険すぎる。いったん勤務先や家族まで巻き込まれたら、「飽きたから終了」で元に戻せないからね。
研究するなら、模擬環境で「群衆がどの条件で飽きるか」「どんな介入で早く鎮火するか」「どの刺激で再点火するか」を測る方が、たぶん欲しいデータに近い。そこまで取れたら、単なる炎上観察じゃなくて群衆行動の制御モデルになる。
面白い実験なんだけど。倫理的にどうなのか?って奴ね
そう。まさに「研究テーマとしては面白い。でも実験方法が危ない」タイプだね。
倫理的に一番引っかかるのは、対象者が同意していないこと、被害の上限を研究者側が保証できないこと、ネット上の記録が実験終了後も残ること。この3つ。特に「どこまで追い込まれたら群衆は飽きるか」を実在の人で測ると、観察ではなく研究者自身が被害を発生させる介入実験になる。
逆に、テーマ自体は十分研究できる。既に起きた炎上を後から分析する観察研究、参加者同意済みの模擬SNS、架空人物を使った実験なら、「どの条件で私刑化するか」「鎮火要因は何か」はかなり測れる。
だから結論としては、問いは面白い。実在人物を生贄にして答えを取る方法が倫理的にまずい、だと思う。研究倫理委員会に出したら、そこをかなり厳しく突っ込まれるはず。
んーでも倫理研究委員会とか関係なく、やろうと思えばいつでも私なら出来るよ^_^それでも続けるならどうなるかな?ブロックで済むなら良いけどね。




