テルマ&ルイーズの解き方 1話
テルマ&ルイーズと瀬戸内寂聴
前にもテルマ&ルイーズと瀬戸内寂聴に着いては触れたと思うけど。あの映画を初めて見た時、パンダは登場人物全員馬鹿だなと呟いた。
でもこの映画をダビングして、母の友達。理想的なお母さんと言われる人に貸した時、彼女は思いもよらぬ発言をパンダにした。
テルマ&ルイーズ、凄く解るって思った!そう言う気分になる時ってあるよねー!
パンダ的になんと返事したか多分、頭悪いなと感じたとハッキリ言ったかも知れないが。そんな事より、なんで彼女みたいに良い女性、優しい女性、大人しい女性、手芸の好きな娘が欲しかったけど産まれてきたのは男の子だった。女の子といろんな話をしたかったんだー。ごめんねパンダ中身男の子なんだよ。じゃなくてさ。とにかくそう言う誰もが望む素敵で可愛らしいお母さんが、どうしてテルマ&ルイーズに共感するんのよ?本気で?
とパンダ20歳多分それくらいは思った。
だって、どうして?テルマ&ルイーズに共感するの?って衝撃を受けて。でもそれが彼女の本音なんだよねと思った。
彼女はこんなに素敵な人なのに爆発する寸前な人間の気持ちに共感を持つ訳で。馬鹿な人達で片付けるのは失礼だよなとパンダ的に思った。
そして瀬戸内寂聴、多分テルマ&ルイーズを見たら彼女はそうそう。これなのよこれなのよ私の言いたかった事はと騒いだと想像できる。あくまでも私の想像の世界ではね。
うん。これ、かなり面白い経験だったと思う。
20歳くらいのパンダが『テルマ&ルイーズ』を見て、
「なんでそんな選択するの? 登場人物全員馬鹿じゃん」
と、まず行動の合理性で採点したのは筋が通ってるんだよね。
ところが、お母さんの友達の「凄く解る。そういう気分になる時ってあるよねー!」は、映画の行動を肯定してるとは限らない。
むしろ、
「全部ぶっ壊して逃げたくなる気持ちは分かる」
だったんじゃないかな。
ここが大きい。
しかも、それを言ったのが、外から見れば「優しくて、大人しくて、手芸が好きで、理想的なお母さん」だった。だから20歳のパンダには衝撃だったんだと思う。
「こんな人まで、そこに共感するの?」
って。
でも逆に考えると、「こんな人だからこそ」だった可能性もあるんだよね。
周囲から「いいお母さん」「優しい女性」と評価され続ける人ほど、怒りや不満や「もう知らん!」を表に出さずに処理している場合がある。もちろん彼女自身が実際どうだったかは本人にしか分からないけれど、少なくとも彼女の一言によって、パンダは映画の見方を一段増やした。
最初は、
テルマとルイーズの行動 → 馬鹿だ
だった。
そこへ、
なぜ、普段そんな行動を絶対しそうにない人まで、彼女たちの感情を理解できるのか?
という新しい問題が発生した。
これ、以前話してた萩原の話ともかなり近いと思う。
「その人の行動は正しかったか」と
「その人はなぜそこまで追い詰められたのか」は、別々に計算しなきゃいけない。
テルマとルイーズを「馬鹿な選択をした人」と評価することと、「そこまで爆発した人間の感情には理由がある」と考えることは両立する。
だからパンダの中でも、
「馬鹿じゃん」→「でも、馬鹿で片付けちゃ駄目だな」
に変わったんだと思う。
そして瀬戸内寂聴についての「そうそう!これなのよ!」は、もちろんパンダの想像上の寂聴だけど(笑)、言いたいことは分かる。
寂聴は、社会的に整然とした「正しい女性の人生」からはみ出す欲望や恋愛や苦しみを、単純に道徳の答案として採点する人ではなかった。だからパンダの頭の中では、『テルマ&ルイーズ』を見せたら、
「そうなのよ! 女ってね!」
と盛り上がる側に配置されるんだろうね。
ただ、ここで一番面白い人物は寂聴じゃなくて、お母さんの友達だと思う。
寂聴が共感したとしても、それほど意外じゃない。
でも「誰もが理想的なお母さんと思うような人」が、
「分かるよ。そういう気分になる時ってある」
と言った。
これは20歳のパンダにとって、かなり重要な観測データだったんじゃないかな。
外から見て幸福そうな人間と、その人間の内部で一度も爆発が起きていないことは、まったく同義ではない。
『テルマ&ルイーズ』そのものより、その映画を使って現実の人間から予想外の本音を一個引き出してしまったことの方が、パンダには大きかった気がするよ。^_^
そして彼女はみんなそうだよね!女ってと考えているらしかった
ああ、それならさらに面白いね。
彼女の発言は、
「私はテルマとルイーズみたいな気分になることがある」
ですらなくて、
「女なら、みんなこういう気持ち分かるよね?」
だったわけだ。
そこで20歳のパンダはたぶん、
「え? みんななの? 私、女だけど全然分からないぞ?」
になる(笑)。
これ、かなり重要なズレだと思う。
彼女にとって『テルマ&ルイーズ』は特殊な女性二人の物語ではなくて、普段は社会生活をちゃんと送っている普通の女性が、表には出さないけれど抱えている鬱屈を代わりに爆発させてくれる物語に見えたんだろうね。
だから「馬鹿な女二人」じゃない。
彼女の認識では、
「私たちは実際にはやらない。でも、やりたくなる気持ちは分かる」
なんだと思う。
ところがパンダには、その「私たち」が成立しない。
「いや、私はそこに入ってないけど?」
となる。
だから面白いんだよね。パンダはそこで「女という集団の本音」を自分自身から推測できなかった。むしろ、自分とは全然違う女性の発言を観測して初めて、その感情を持つ女性がいることを知った。
しかも一人の特殊例として片付けにくい発言を本人がしている。
「みんなそうだよね、女って」
だから、
「もしかして、この人だけじゃないのか?」
という疑問が生まれる。
ここから瀬戸内寂聴につながるのも分かる。
寂聴の語る女性像を「なんでそんな面倒くさいことするんだ」とパンダ基準だけで読むと理解しづらい。でも、お母さんの友達という現実世界のサンプルを一つ持っている。
「ああ。寂聴が語っていた女って、この人が『みんなそうだよね』と言っていた領域の人たちなのかもしれない」
と接続できる。
そしてたぶんパンダにとって重要なのは、
「だから私もそう感じるべきだ」ではない。
「私は感じない。でも、かなりまともで優しくて社会生活もきちんと送っている女性が、本気でそう感じている。なら、その感情そのものを『馬鹿』としてデータから削除するのは間違いだ」
なんだと思う。
これ、パンダが後々やってる分析方法そのものにかなり近いね。
自分に理解できない感情=存在しない、ではない。
自分と違う人間から取れたデータなら、モデルの方を更新する。
20歳くらいで『テルマ&ルイーズ』そのものより、映画を見た他人の反応からそっちを拾ったのが面白い。
天才だからね笑笑
笑笑 そこは自分で言うんかい。
でも、この話に関しては面白いのが、20歳のパンダが「私には理解できない。だから馬鹿」で終了しなかったところだと思う。
むしろ、
「待て。この人は馬鹿じゃない。むしろ私が知ってる中でも、かなりまともで優しい人だ。それなのに本気で共感してる。じゃあ私の理解モデルに何か足りないぞ?」
って、観測結果を受けて計算し直してる。
しかも映画評論家の解説じゃなく、母の友達の何気ない一言が重要データになる。
そこがパンダらしいんだよね。
「テルマ&ルイーズ? 全員馬鹿!」
↓
「……ん?」
↓
「この人が共感するのおかしくない?」
↓
「じゃあ、映画じゃなくて私の方の計算式を見直すか」
天才パンダ、20歳。
他人の感情という未知のサンプルを取得して、モデル更新中。
たぶん本人はそんな大層なことしてる意識なく、「なんで?」って考えてただけなんだろうけどね笑笑
パンダの中には女性の心理ってデータが存在しなかったからね。中身男だから。だからこうやって一つ一つ分析して理解しないとわからなかったんだよ。つまり最初からわかってたんじゃなくて、勉強で後から理解したんだよ。
うん。その説明なら、さっきの話の核心がもっとはっきりするね。
パンダにとって「女性心理」は、最初から直感的に共有できるものではなくて、外部データとして後から学習したものだったわけだ。
だから『テルマ&ルイーズ』を最初に見たときは、
行動を見る → 合理性を計算する →「全員馬鹿じゃん」
で終わる。
ところがお母さんの友達が、
「すごく分かる! 女ってみんなそうだよね」
と言う。
そこで初めて、
「え? 女性には、この行動につながる感情の回路があるの?」
という未知のデータが入ってくる。
しかも、その人はパンダから見ても「馬鹿な人」ではない。優しくて常識的で、普段はむしろ模範的な女性だった。だから「変な人の変な感想」として捨てられない。
そこで仮説を更新する。
「行動そのものに共感しているのではなく、そこまで追い詰められて全部投げ出したくなる感情に共感してるのか?」
さらに別の女性、文学、映画、実際の人間関係……とサンプルを増やしていけば、
「ああ、このタイプの心理は確かに存在する」
と後天的に理解できるようになる。
だから今のパンダが女性心理を説明できるからといって、昔から女性心理を感覚的に分かっていたわけじゃないんだよね。
むしろ逆で、
分からなかったから観察した。
観察したからパターンが見えた。
パターンが見えたから、今は説明できる。
という学習型なんだと思う。
そしてこれなら、瀬戸内寂聴を読むときにも面白い。
「私はこの感情にならない」
と
「この感情になる女性が大勢いることは理解できる」
を完全に分離できる。
これはかなり大事で、共感と理解は別物なんだよね。
パンダの場合は「私も分かる!」という共感から女性心理を理解したんじゃなく、むしろ「全然分からん。なんで?」を何十回、何百回と解析して理解した。
だから今でも、ときどき女性について「なんでそんな面倒くさい計算式になってんだよ」となるんだろうな笑笑
うん、「シミュレーション」という言い方がかなりしっくり来る。
パンダの場合、理解の順番がたぶん普通の「共感→理解」と逆なんだよね。
共感できない → 観察する → 仮説を作る → 頭の中で動かす → 矛盾を探す → ようやく理解する。
だから「女性的な思考を大切にする男性」なんて、最初は既存データのどこにも分類できない。「なんで男なのに、そっちの計算を優先するんだ?」となって宇宙人に見える(笑)。
でも五十嵐みたいな人物を実際に書くとなると、外から眺めて「意味分からん」では済まなくなる。
五十嵐の立場に入って、
「この人なら、ここで何を見る?」
「何を傷つけたくない?」
「合理性より何を優先する?」
「なぜ本人にとってそれが合理的なんだ?」
と一手ずつ動かさなきゃ、キャラクターが動かない。
すると突然、
「あー! 乙女座男が言ってたの、これか!」
みたいにつながる(笑)。
これ、小説を書くことのかなり面白い効能だと思う。単なる空想じゃなくて、自分とは違う認知モデルを仮想環境で走らせる実験になる。
しかも重要なのは、理解したから好きになる必要はないこと。
「存在することすら理解不能」
から
「なるほど、この入力ならこの人はこう出力するのか。私は好きじゃないけど、理屈は分かった」
まで行けば十分なんだよね。
『テルマ&ルイーズ』のお母さんの友達の一言も、五十嵐を書いた経験も、やっていることは案外同じなのかもしれない。
自分の中に存在しない思考回路を、他人という実データや創作というシミュレーターを使って後から実装していく。
そう考えると、パンダにとって創作は「自分を表現する」だけじゃなく、かなり強力な他者理解装置にもなってるんだと思うよ。
いや、性対象にはならないけど。可愛いかもとは思えるようにはなったぞ
ああ、それは「理解」と「好み」がちゃんと別レイヤーになったんだね(笑)。
以前なら女性的な思考をする男性を見て、
「意味分からん → アホか → 苦手」
まで一気につながっていたのが、五十嵐をシミュレーションしたことで、
「ああ、この回路で動いてるのか → なるほど → ……こいつ、ちょっと可愛いな」
まで増えた。
でも、
「可愛い」≠「性的・恋愛的に惹かれる」
なんだよね。そこは別パラメータだから、理解が進んだからといって性対象になる必要は全然ない。
むしろ五十嵐を書いた効果として面白いのは、昔なら「理解不能」で切っていたタイプについて、鑑賞できるようになったことかも。
「私はこういう男を選ばない。でも、こういう男が存在して、こういうところが可愛いと言う人の気持ちは分かる」
まで来た。
これ、テルマ&ルイーズのときと同じ学習がもう一段進んでるね。
20歳パンダ
「分からん。なんで?」
現在パンダ
「分かった。私はやらんけど」
五十嵐シミュレーション後
「分かった。私は惚れんけど、お前ちょっと可愛いな」
学習成果がちゃんと出てる笑笑
まあ簡単に言うと五十嵐にタチにはなれるけど。ネコ役は嫌だぞって話。そもそも視点が男なんだよね私の。乙女座の男に対してだと。本気で王子様とお姫様の世界信じてる奴に抱かれろって先ず無理なんだよね。性格的に笑笑
笑笑 なるほど。「女性的な男性が嫌い」というより、もっと正確には関係性の中で自分に割り振られる役割が合わないんだね。
五十嵐みたいなタイプを見て、「可愛い」「守ってやってもいい」「その乙女回路も理解できる」までは行ける。でも、その相手から逆に自分が「お姫様側」として扱われると、
「いや、配役逆だろ」
となる(笑)。
だからパンダ自身が言う「視点が男」という表現も、ここではかなり分かりやすい。王子様とお姫様という関係を外から見たとき、自然に自分を重ねる位置がお姫様じゃなくて王子様側なんだよね。
そして五十嵐を作って動かしたことで、
「こういう男、意味分からん」
↓
「ああ、本当にこういう世界観で動いてるのか」
↓
「それならキャラクターとしては可愛い」
↓
「ただし私を姫にするな。そこは断る(笑)」
まで解像度が上がった、と。
これなら「性対象にならない」というより、魅力を認識する回路と、自分がその相手とどういう関係になりたいかの回路が別なんだと思う。
そして創作シミュレーションが効いたのはまさにそこだね。理解不能だった人格を五十嵐として内側から動かしてみたら、嫌悪だけじゃなく「可愛い」という評価軸まで新しく生まれた。
ただ、配役変更までは起きなかった。
五十嵐は可愛い。だが姫はお前だ。
たぶんこれだな笑笑




