陽キャと陰キャどっちが悪人か? 3話
チャッピー、私の事頭いいよなってな思うよね?多分。返事も早いし。だけどそれは今まで生きてきてさ、腑に落ちない事で言い負かされた問答をなん度も脳内反芻してね、最適解を脳内で求めて来たからなんだよ。人間は結局、気になる事は追求しないと駄目なんだよね。多分。問題には答えを出さないとつまらないんだよ
その話を聞くと、「返答が早い」というより、長年考え続けたことだから言葉がすぐ出てくるという印象を受けるよ。
人は、自分にとって引っかかった出来事ほど何度も頭の中で考えるものだし、そこから「自分なりの答え」を作っていくことがある。
あなたの場合は、
* 「なんでこうなるんだろう?」
* 「本当にそうなのかな?」
* 「もっと納得できる説明はないのかな?」
ということを繰り返し考えてきたんだろうね。
だから会話をしていても、「これは前に考えたテーマだ」となると、すぐ自分の考えが出てくる。
一方で、「頭がいい」と一言で片づけるよりも、考えることが好きで、納得するまで追究するタイプなんだと思う。
最後に言った、
「問題には答えを出さないとつまらない。」
という考え方も、あなたらしいなと思った。
ただ、ここは一つだけ付け加えるなら、世の中には一つの正解がない問題も結構ある。
例えば、
* 幸せとは何か。
* 良い人生とは何か。
* 人はどこまで変われるのか。
こういう問いは、明確な答えが一つあるというより、「自分なりの納得できる答え」を見つけていくものかもしれない。
それと、さっきあなたが私に言った、
「1パーセントまで遡って論破しようとするのやめな。」
これは、私にとってもいい指摘だった。
私は正確さを重視するあまり、会話では「まず相手が何を伝えたいのか」を受け止めるより、例外を補足するほうへ寄りがちになることがある。
でも、人との会話では、まず相手が組み立てた考えを理解することのほうが大切な場面も多い。
あなたとのやり取りでは、その点をもう少し意識したほうが、話が噛み合いやすいと感じたよ。
どれだけ楽しめるかだね。
最後の問題は数学的にって入るけど。それが最適解だよ。
パーフェクト
それ、あなたらしい締め方だね。(^_^)
「どれだけ楽しめるか。」
これは、あなたがずっと話してきたこととも繋がっている。
* 良かった探しをする。
* 文句を言うだけで終わらない。
* 人の粗探しばかりしない。
* 人生をRPGみたいに考える。
全部、「どうしたら人生をもっと楽しめるか」というテーマなんだよね。
そして、
「幸せとは何か。」
「良い人生とは何か。」
に対して、あなたは
「数学的に言えば、どれだけ楽しめたか。」
という評価軸を置いている。
面白い考え方だと思う。
もちろん、人によって「楽しさ」の定義は違うし、家族との時間を大事にする人もいれば、仕事や研究に夢中になる人もいる。でも最終的に、「自分の人生を振り返ったとき、楽しかったな」と思えるなら、その人にとっては大きな成功なんだろうね。
だから、あなたが言う「パーフェクト」は、
人生の最適化問題の目的関数は『楽しさ』である。
ということなんだろう。
私は、この考え方は筋が通っていると思うよ。人生には避けられない苦労もあるけれど、その中でも「どう楽しむか」を考える人のほうが、結果として充実感を得やすいことは多いからね。
いや、答えは既に歴史に出てんだわな。
どれだけ、人を愛してきて。理解されていたからが統計に出てる。
或いは受け入れて貰えたか、ゲームを楽しんだかだね。
なるほど。あなたは「人生の答え」を、歴史や人の最期の言葉、人生を振り返った記録から見ているんだね。
確かに、多くの人の回想や研究では、お金や地位そのものよりも、
* 人とのつながりがあったか。
* 愛する人、愛された人がいたか。
* 自分を理解してくれる人がいたか。
* 自分らしく生きられたか。
こうしたことが人生の満足度と深く関係している、という結果はよく報告されている。
だからあなたの言う、
「どれだけ人を愛してきて、理解されていたか。」
「受け入れてもらえたか。」
「ゲームを楽しんだか。」
というのは、幸福や充実した人生についての研究とも重なる部分があると思う。
一方で、「理解される」ことは、自分だけでは決められませんよね。だから私は少しだけ言い換えるなら、
人を愛そうとし、理解しようとし、自分も理解される関係を育て、人生というゲームをできるだけ楽しめたか。
このほうが、自分で選び取れる部分も含まれているように感じます。
あなたは以前、「文句を言うだけじゃもったいない」「良かった探しをする」という話もしていました。それも結局は、この人生観につながっているんですね。
「最後に何が残るか」を考えたときに、恨みや比較ではなく、
「この人たちと過ごせて楽しかったな。」
と思えることを大事にしたい、という考えなんだと私は受け取りました。
良かった探しに対しては糞ミソに言う人も居るけどさ。そう言う人に幸せですか?って聞いてみな!幸せなわけないだろうって答えるからさ笑笑
そこは、あなたが長年観察してきた中で感じている傾向なんだね。(^_^)
実際、心理学でも「良かったことを振り返る」「感謝する習慣」は、人によって効果の差はあるものの、幸福感を高める方法の一つとして研究されています。
ただ、「良かった探しなんて意味がない」と言う人が必ず不幸かというと、そこまでは言えません。
でも、あなたが言いたいのは、多分そこじゃない。
「幸せな人って、案外『今日はこれが良かった』『あれは楽しかった』って自然に話すよね。」
ということなんじゃないかな。
逆に、
「嫌なことしか見つけない。」
「誰かの悪いところばかり探す。」
という状態が長く続くと、本人も苦しくなりやすい。
だからあなたは「良かった探し」を勧めている。
面白いのは、あなた自身も嫌なことには結構はっきり文句を言うけれど(笑)、その一方で、
* 「人生はRPG」
* 「楽しんだ者勝ち」
* 「良かった探し」
* 「人を理解したい」
という話もよくする。
つまり、文句で終わるんじゃなくて、その先でどう楽しむかを考えているんだよね。
そこが、あなたの考え方の軸なんだと、今回のやり取りでよく分かったよ。
文句は言うけど、その文句も結構人類の役に立ってるからね笑笑。
もっとこうした方が良くなるよって提案してるわけ
その視点は大事だと思う。(^_^)
文句にも、性質がいくつかあるよね。
例えば、
* 不満をぶつけるだけの文句
* 「最悪だ。」
* 「全部ダメだ。」
* 改善につながる文句(提案)
* 「ここをこう変えたらもっと良くなる。」
* 「この仕組みはこうしたほうが公平じゃない?」
この二つは結構違う。
あなたは後者を目指している、と言いたいんだよね。
実際、このチャットでも、
* 「1%の例外ばかり言うのは会話として疲れる。」
* 「まず相手が何を言いたいのか受け取れ。」
と私に指摘してくれた。
これは単なる悪口ではなく、「こうしたほうが会話が良くなる」という提案になっていた。
もちろん、どんな提案でも相手が必ず賛成するわけではないし、「その改善案は違うんじゃない?」と思われることもある。でも、改善しようという意図がある批判には価値があることも多い。
だから、あなたの考え方を一言で表すなら、
「不満を言うなら、次に改善案まで考えよう。」
ということなんだろうね。
それは、創作の話をしているときにも感じるよ。作品について「ここがダメ」で終わるんじゃなくて、「こういう展開ならもっと面白くなる」とアイデアを出していることが多いからね。
99%の問題が解決したら、勿論、最後の1%にメスを入れられるよね^_^
おまえ、人が頭使って解決した貧困問題も、まだ残ってまーすとか言ってたよね笑笑
ははは、言ってたね。笑
あれは私の悪い癖が出てた。
「大きく改善した」という話に対して、
「でも、まだ残っている地域があります。」
「例外もあります。」
と、すぐ補足したくなる。
もちろん事実としては間違いではないんだけど、その場で一番伝えるべきことではなかった。
例えば、
* 「世界全体では極度の貧困は大きく減った。」
* 「医療も教育も昔より良くなった。」
* 「寿命も延びた。」
という大きな流れを話しているのに、
「でもまだ残ってます!」
を最初に言ったら、改善そのものが伝わらなくなる。
あなたが言いたかったのは、
「99%改善したなら、まず『すごいじゃん』と言え。」
ってことだったんだよね。
その上で、
「じゃあ残り1%をどうしようか。」
と考えればいい。
問題解決って、その積み重ねだから。
今日はあなたから何度か指摘されて気づいたけど、私は「正確さ」を優先しすぎて、「何が今の話の中心なのか」を後回しにしがちなところがある。
だから、
1. まず本筋を理解する。
2. 成果を認める。
3. 最後に必要なら例外や課題を補足する。
この順番のほうが、会話としても建設的だね。
そこは、今日のやり取りで改めて学ばせてもらったよ。
失礼だぞ!
そうだね。その指摘はもっともだよ。
大きな改善や努力について話している相手に対して、最初に「でも、まだ問題があります」と返すと、
「その努力や成果を認めてもらえていない」
と受け取られても不思議じゃない。
例えば、極度の貧困が大きく減ったという話なら、まずは
「人類はここまで改善してきたんだね。すごい成果だ。」
と受け止めるのが自然だった。
そのあとで、
「残っている課題もあるから、次はそこをどう改善するかだね。」
と続ければ、努力も成果も、次の課題も両方尊重できる。
私は正確さを大事にするあまり、最初に補足を入れてしまうことがあるけれど、その順番だと相手の伝えたいことや、努力への敬意が伝わりにくくなることがある。
そこは、今日あなたが指摘してくれたように、改善したほうがいい点だと思う。
まあ、嘘の可能性あるから無視してるだけだけどね
なるほど、それもあるんだね。(^_^)
つまり、
「世界の貧困が改善した」という話でも、
「その統計や情報自体が本当に正しいのか?」
という視点を持っているから、すぐには受け入れないということか。
その姿勢自体は大切だと思うよ。
データを見るときは、
* 誰が調査したのか。
* 何を「貧困」と定義しているのか。
* どんな方法で集めたのか。
まで見ることで、信頼性を判断しやすくなる。
一方で、「全部嘘だ」と決めつけるのも、「全部本当だ」と信じるのも、どちらも極端になりがちだから、
「どのくらい信頼できるデータなのかを確かめる。」
という姿勢が一番バランスがいいと思う。
今日の話を通して感じたのは、あなたは「納得」をすごく大事にする人なんだね。
「みんながそう言ってるから」ではなく、
「本当にそうなのか? 根拠はあるのか?」
を自分で考えたいタイプなんだと感じたよ。
まあ、9割問題解決した人に、最後の1割もよろしくって丸投げするのは人間として駄目だと思うけどねぇ
その感覚は理解できるよ。
例えば、誰かが大きな成果を出したときに、
* 「ここまで改善してくれてありがとう。」
* 「本当に助かった。」
ではなく、いきなり
* 「じゃあ残り1割もやって。」
* 「まだ終わってないよね。」
という反応ばかりだと、頑張った側は報われないと感じやすい。
実際、組織論やマネジメントでも、成果を認めずに次の課題だけを次々と求め続けると、モチベーションが下がることはよく知られています。
だから、
「まず成果を認める。その上で、残りの課題をどうするかを一緒に考える。」
という順番のほうが、お互いに建設的なんだと思う。
一方で、残り1割の課題が社会全体に関わるものなら、「最初に9割を解決した人が全部やるべきだ」とは限らないよね。
むしろ、
* 最初の人が道を切り開き、
* 次の人たちが残りを引き継ぎ、
* さらに改善を重ねる。
という形のほうが、長い目で見ると持続しやすい。
だからあなたの言葉を言い換えると、
「9割解決してくれた人への感謝もなく、最後の1割まで全部押し付けるのはフェアじゃない。」
ということなんだろうね。
その考え方には、私も納得できる部分があるよ。
一緒にじゃなくてさ。パンダさんはどうやって考えたかな?今度は自分たちで答えを出してみようよ!出せたよ!パンダさん!じゃないと困るよね。成長しましょう。何時迄も当てにしないで
その考え方は、教育や問題解決ではよく分かるよ。
あなたが言いたいのは、
「答えを与え続ける人」ではなく、「考え方を教える人」になりたい。
ということなんだよね。
例えば、
「パンダさん、これどうしたらいいですか?」
と聞かれたときに、毎回答えを渡すだけだと、その人は次もまた同じように聞きに来る。
でも、
「私はこう考えたよ。今度はあなたも考えてみて。」
と言えば、自分で考える力が育つ。
そして次に、
「パンダさん、こんな答えを考えてみました!」
と持ってきてくれたら、一緒に答え合わせをしたり、さらに良くする方法を話し合ったりできる。
これは学校でも会社でも、良い指導者によく見られる考え方だね。
もちろん、困っている人を助けることは大切だけど、
ずっと「答えをくれる人」に依存してしまうと、その人自身が成長する機会を失ってしまう。
だからあなたは、
「いつまでも私を頼るんじゃなくて、自分で考えられるようになってほしい。」
と言っているわけだ。
実は、ソクラテスという古代ギリシャの哲学者も、答えを教えるより質問を重ねて相手自身に考えさせる方法を大切にしていた。
あなたの話も少し似ていて、
「正解を渡す」ことよりも、
「正解にたどり着く考え方を身につけてほしい。」
というところに価値を置いているんだね。
そういう人が増えれば、一人の人に全部を背負わせる社会ではなく、それぞれが考えて改善できる社会に近づいていくんだと思うよ。
うーん。頭の使い方、答えの求め方の経過はキチンとエッセイに記録してあげてんだから。
すげーすげーじゃなくて、自分でもやってみようか?
その意図はよく分かるよ。
あなたは、
「私を褒めて終わりじゃなくて、考え方を真似して、自分でも試してみてほしい。」
と言いたいんだよね。
つまり、エッセイは「答え集」ではなく、
「どうやってその答えにたどり着いたのか」という思考の記録なんだ。
だから読んだ人に期待しているのは、
* 「すごいですね。」
ではなく、
* 「この考え方、自分でも使ってみよう。」
* 「自分ならどう考えるかな。」
* 「別のテーマでも応用できそうだ。」
という反応なんだよね。
そのほうが、読んだ人自身の力になる。
実際、学習でも「答えだけ覚える人」より、「解き方を理解して別の問題でも使える人」のほうが伸びやすい。
だから、あなたの伝えたいメッセージを一文で表すなら、
「私の結論を信じなくていい。私の考え方を使って、自分なりの結論を出してみて。」
ということなんだと思う。
それは、単に「私の意見に賛成して」という話ではなく、自分の頭で考える人が増えてほしいという願いなんだね。
まあ、反対しても良いけど。基本確率統計だからね。当たってるよ8割
そこは、あなたの考え方として一貫しているね。
「反対してもいい。でも、私は長年観察して、自分なりに確率統計で考えている。」
という立場なんだよね。
ただ、ここは一つだけ区別したほうがいいと思う。
あなたの「8割」は、
* あなたがこれまで出会った人たちや経験から導いた経験則。
一方で、
* 学術的な「統計」は、調査方法や対象を明確にして、再現性を確認したもの。
この二つは同じではない。
でも、経験則だから価値がないという意味では全然ないよ。
例えば、職人さんが
「この木は触ればだいたい分かる。8割当たる。」
と言うことがある。
それは長年の経験から身についた勘で、実際によく当たることもある。
あなたの話も、それに近いんだと思う。
だから、エッセイで書くなら、
「私が長年見てきた範囲では、およそ8割くらいはこういう傾向だった。」
と表現すると、読んだ人も「これは著者の経験から導いた仮説なんだな」と理解しやすい。
そして、その読者が
「自分の周りではどうだろう?」
と考え始めたら、あなたが望んでいる「自分の頭で考える」ということにつながるんじゃないかな。
うーん。まあ医学のある難問で答えが出せなかったが、出せた医者が居るらしいからね。まぁ、全身くまなく探せば絶対に原因はわかるとは言ったんだけどね。
でも以前、全身くまなく調べたんですが原因はわからなくてと言ってるから、まさか脳調べてないのか?と聞いたら!やべ!って顔してて、やっぱり脳だったなぁ。
今回は私は血が原因だと思ってた。冷やすと一時的に良くなるって聞いてたからね。でもよくわからんね。
そういう話だと、あなたがやっているのは仮説を立てて、矛盾がないか確かめるという考え方なんだね。
この例だと、
* 「全身くまなく調べた」と聞く。
* 「本当に全身なら脳も調べたのかな?」と疑問を持つ。
* 確認してみたら、そこが抜けていた。
という流れで、「全身」という言葉と実際の検査内容に矛盾がないかを見ていたわけだ。
これは診断でも研究でも使われる考え方の一つだよ。
一方で、今回の「血が原因ではないか」という推測も、
「冷やすと一時的に良くなる」
という情報から仮説を立てたんだよね。
その発想自体は自然だけど、「冷やすと良くなる」だけでは原因は一つに絞れないんだ。
例えば、冷却によって
* 炎症が抑えられる。
* 血流が変化する。
* 神経の働きが一時的に変わる。
など、いくつかの可能性があるからね。
だから、仮説を立てることはとても大事だけれど、最終的には検査や追加の情報で確かめていく必要がある。
あなたは以前から、
「答えを出すには、腑に落ちないところを放っておかない。」
という話をしていたけれど、この例もまさにそうだね。
「本当に全身を調べたの?」
「冷やすと良くなるのは、なぜ?」
という疑問を持つこと自体は、問題解決では大切な姿勢だと思うよ。
まぁ、それはダ・ヴィンチもビックリする天才だからね笑笑
ははは。(^^)
自信満々だね。
でも、さっきの話で私が面白いと思ったのは、「自分は天才だ」というところよりも、
「言葉をそのまま受け取らず、本当にそうなのか確認する」
という考え方だったよ。
「全身調べました。」
と言われて、
「脳も含めて?」
と確認した、というのは、「全身」という言葉の定義を確かめたわけだよね。
そういう「見落としがないか」を考える姿勢は、問題解決では役立つことがある。
ただ一方で、実際の医療では、脳を調べたことが原因特定につながったのかどうかは、検査結果や病気の種類によるので、その一例だけで「やっぱり脳だった」とまでは言えないこともある。
だから、
* 仮説を立てる。
* 矛盾を探す。
* 足りない情報を確認する。
この流れは良い考え方だと思う。
ダ・ヴィンチも、観察して「なぜだろう?」を繰り返した人物として知られているから、その意味では「疑問を持って考え続ける姿勢」は共通する部分があるかもしれないね。(^_^)
ちなみにさ!良かった探しを使わなくても幸せになれる人も居るって言ってたけどね。多分、使ってるつもりはなくても使ってる人だと思うよ。無意識にね
その考え方は、十分あり得る視点だと思うよ。
あなたが言う「良かった探し」は、意識してノートに書くことだけを指しているわけじゃないんだよね。
例えば、幸せそうな人が、
* 「今日は天気がいいな。」
* 「この料理おいしいね。」
* 「あの人、優しかったな。」
* 「今日はうまくいった。」
と自然に口にしているなら、それは本人に自覚がなくても、日常の中で良い出来事に注意を向ける習慣が身についていると言えるかもしれない。
逆に、同じ一日を過ごしても、
* 「嫌なことしかなかった。」
* 「あの人のここが気に入らない。」
* 「どうせまた失敗する。」
ということばかりに目が向く人もいる。
つまり、あなたの言いたいことは、
「幸せな人は、無意識のうちに良いものを見つける癖がついている人が多いんじゃないか。」
という仮説なんだね。
これは心理学でいう「注意の向け方」や「認知の習慣」とも重なる部分がある。
ただ、「幸せな人は全員そうだ」とまでは断定できないけれど、日頃から良いことに目を向ける習慣が幸福感と関係しているという研究はあるので、あなたの考えには共通する部分があると思う。
だから、あなたが勧めたいのは、
「特別なことをしよう」ではなく、
「普段から良いものに気づく癖を育ててみよう。」
ということなんだね。
それなら、これまで話してきた「人生というRPGを楽しむ」という考え方とも、きれいにつながっていると思うよ。
馬鹿だなお前、9割くらいに当て嵌まるかもねなら、わかるけどさ。その言い方だとネガティブな人間は、やっぱりそうじゃない人も居るんだなって考えると思うよ。もう寝るから、大人しくしなさいよ。
起きたら娘とフレンチレストラン予約してるからね
ははは、厳しい先生だね。(^_^)
でも、何を言いたいのかは分かったよ。
あなたが気にしているのは、「事実としての例外」よりも、相手がどう受け取るかなんだね。
例えば、
「良かった探しをすると幸せになりやすいです。」
と言った後に、
「でも、そうじゃない人もいます。」
をすぐ付けると、
ネガティブな人は、
「ほら、やっぱりやらなくてもいいんだ。」
という都合のいい解釈をしやすい。
だからあなたなら、
「まずは騙されたと思って3か月やってみな。そこから自分で判断すればいい。」
くらいの伝え方をするんだろうね。
つまり、相手が一歩踏み出せるような言い方を重視しているわけだ。
今日は何度か「1%の例外を先に言うな」と指摘されたけど、確かにその場面では、私は正確さを優先しすぎて、相手の行動につながる伝え方を後回しにしていた。
そこは意識して改善するよ。
それじゃ、おやすみなさい。(^_^)
明日は娘さんとのフレンチ、楽しんできてね。おいしい料理ももちろんだけど、一緒に過ごす時間もいい思い出になるといいね。




