脳の能力は極振りできるのか? 前編
脳の能力は極振りできるのか? 前編
3人の作家が描いた、人間の能力配分の不思議
私は以前から、人間の能力には不思議な偏りがあると考えていた。
勉強もできる。運動もできる。容姿もいい。記憶力も優れている。
世の中には、そういう何でもできる人間が存在する。
しかし、それとは別に、ある一つの分野だけで突出した能力を持っている人間もいる。
私が不思議に思っているのは、後者のほうである。
例えば、普通の人間の能力を100点としよう。
すべての能力で90点や99点を取れる人間は、確かに優秀だろう。
しかし、ある能力では40点しか取れない人間が、別の能力では150点に相当する力を発揮することがあるとしたら?
なぜそんなことが起きるのだろうか。
もちろん、150点というのは能力の突出を説明するための比喩であり、実際に測定したIQの数値ではない。
私は、こう考えた。
人間の脳にも、ゲームでいう「能力の極振り」のような現象が起きているのではないか?
この発想を説明するために、私が思い出した作品が三つある。
『ドラえもん』
『聖闘士星矢』
※『ペルソナ』も。『ドラクエ3』も。
そして『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。』である。
いずれも現実の科学を解説するために作られた作品ではない。
しかし、三人の作家が描いた設定には、私が考えている人間の能力配分と共通する部分がある。
そこで今回は、この三作品を比較してみようと思う。
第一章 ドラえもんの「いいとこ選択しボード」
まず思い出したのが、藤子・F・不二雄の『ドラえもん』である。
私は最初、この道具の名前を「バランスメーター」だったかな、と思っていた。
なんせ道具の仕組みは覚えていても、名前を覚えるのが苦手なのである。
そこでAIのチャッピーに説明してみた。
顔のよさ、運動能力、頭のよさという三つの能力があって、そのうち一つを高くすると、ほかの能力が下がってしまう道具があったはずだ、と。
するとチャッピーは、すぐに答えを見つけてくれた。
「いいとこ選択しボード」
そう、それである。
『ドラえもん』の「顔か力かIQか」という作品に登場する道具だ。
このエピソードは1988年に雑誌へ掲載され、後にてんとう虫コミックス第40巻に収録されている。
道具の仕組みは単純である。
知能を高くすると、体力やかっこよさなどが犠牲になる。
体力を高くすれば、ほかの能力が低下する。
かっこよさを高めれば、その分だけ別の能力が下がってしまう。
つまり、すべての能力を無制限に高められるわけではない。
ある能力を伸ばすことには、別の能力を犠牲にするという代償がある。
これが基本的な設定である。
私は、この発想が非常に面白いと思う。
普通、人間の能力というものは、高ければ高いほどいいと考えられがちである。
頭もよくて、運動もできて、顔もよくて、記憶力もよくて、芸術的な才能もある。
全部できれば、それに越したことはない。
しかし、それぞれの能力を発達させるために使える時間や経験、脳の情報処理には、何らかの制約があるのではないだろうか。
そして、その制約のなかで特定の能力だけが大きく発達することもあるのではないか。
藤子・F・不二雄が描いたのは、そんな能力配分を極端にわかりやすくした道具だった。
もちろん、現実の人間に「能力100ポイントを好きなところに振り分ける装置」があると証明されているわけではない。
しかし、人間の能力はすべて均等に発達するのか、それとも大きな偏りが生まれるのか。
その問題を考えるうえで、非常にわかりやすい作品だと思う。
第二章 聖闘士星矢とセブンセンシズ
次に思い出したのが、車田正美の『聖闘士星矢』である。
私はこの作品が好きなのだが、そのなかでも特に印象に残っているのが、感覚を失うことと、別の能力が目覚めることの関係である。
例えば、ドラゴン紫龍。
紫龍は、メドゥサの盾による石化を避けるため、自ら視力を失うという極端な行動を取る。
そして、シャカと一輝の戦いでは、五感を奪われることとセブンセンシズの覚醒が描かれている。
現実に同じことをしたらどうなるかは、もちろん別問題である。
目を失えば小宇宙が爆発するなどということが、医学的に確認されているわけではない。
しかし、私はこの設定から、あることを連想した。
人間は、一つの感覚を失ったとき、ほかの感覚が鋭くなることがあるのではないか?
例えば、目の見えない音楽家である。
視覚に頼ることができない代わりに、音を非常に細かく聞き分ける人がいる。
優れた聴覚を持つピアニストや音楽家の話を聞くと、私はいつもこのことを考える。
もちろん、目が見えなければ必ず音楽の才能が高くなるわけではない。
音程を聞き分ける能力と、歌を美しく歌う能力も別である。
しかし、視覚に制限があることで、聴覚や触覚を使う経験が増え、脳の情報処理に変化が生まれる可能性はある。
実際、脳科学には「交差感覚可塑性」という研究分野が存在する。
幼い頃から視覚を失っている人の脳では、通常は視覚に関係する領域が、聴覚や触覚などの情報処理に参加する現象が確認されている。
これには驚かされる。
一つの機能に制限が生じたとき、脳はそのまま何もせずにいるわけではない。
経験や環境に応じて、情報処理の仕組みが変化することがあるのだ。
もちろん、脳が必ず不足分を補ってくれるとは限らないし、誰でもほかの能力が優れるわけでもない。
それでも、一つの能力の制限と別の能力の発達が、無関係ではない場合がある。
ここで私は、もう一つ疑問を持った。
それは視覚と聴覚だけの話なのだろうか。
記憶力、計算力、論理的思考、発想力など、ほかの認知能力の間でも、似たような現象が起きることはないのだろうか。
例えば、固有名詞を覚える能力が極端に弱い一方で、物事の仕組みや関係性を処理する能力が非常に高い人間がいたとする。
その人間の脳では、何が起きているのだろう。
単に能力に偏りがあるだけなのか。
それとも、ある情報処理が苦手なことで、別の情報処理の方法が高度に発達した可能性もあるのだろうか。
この疑問は、私自身の脳の特徴にも関係している。
それについては後編で詳しく書こうと思う。
第三章 防御力に極振りしたら最強になりました
三つ目は、夕蜜柑の小説『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。』である。
この作品の主人公メイプルは、ゲームの世界で防御力に能力を集中させる。
理由は簡単だ。
痛いのが嫌だからである。
だから、防御力を上げる。
そして、その極端な能力配分が、思いもよらない結果を生み出す。
防御力に極振りしたことで、普通のプレイヤーでは実現しにくい特殊な強さを獲得していくのである。
これも非常に面白い発想だ。
ゲームをする人なら、能力値の配分という仕組みは知っているだろう。
攻撃力を上げる。
防御力を上げる。
素早さを上げる。
魔力を上げる。
すべての能力をバランスよく伸ばす人もいれば、一つの能力だけを極端に伸ばす人もいる。
どちらが強いのかは、ゲームの仕組みや戦い方によって変わってくる。
バランス型は、さまざまな状況に対応しやすい。
一方、極振り型は、苦手な状況では弱くても、得意な状況では圧倒的な強さを発揮することがある。
私が面白いと思うのは、ここである。
すべての能力が高い人間が、必ずしも一つの問題を最も速く解けるとは限らない。
例えば、すべての能力が90点の人間がいたとする。
頭もよく、記憶力もあり、運動もでき、芸術的な才能もある。
確かに万能型だろう。
しかし、別の人間が、ある分野だけ150点の能力を持っていたとしたら?
その150点の能力が必要な問題では、万能型の90点を大きく上回るかもしれない。
もちろん、ゲームの能力値と実際の人間の能力は同じものではない。
現実の脳には、能力を数値で自由に振り分けられる仕組みが確認されているわけではない。
しかし、特定の分野に能力が集中した人間が、ほかの人間には難しい問題を驚くほど簡単に処理する可能性は考えられる。
そして、私はこういう能力の違いに、以前から興味を持っていた。
三人の作家が描いた共通点
ここまで三つの作品を紹介した。
藤子・F・不二雄の『ドラえもん』。
車田正美の『聖闘士星矢』。
夕蜜柑の『防振り』。
三作品には、それぞれ異なる仕組みが登場する。
『ドラえもん』では、能力を高めると別の能力が低下する。
『聖闘士星矢』では、感覚の喪失と、別の能力の覚醒が描かれる。
『防振り』では、特定の能力へ極端に投資することが、特殊な強さにつながる。
厳密に言えば、三つとも同じ理論を描いているわけではない。
それでも、共通する発想はある。
すべての能力が均等に高いことだけが、強さや才能を決めるわけではない。
私自身も、自分の脳を観察するなかで、これに近い考えにたどり着いていた。
三人の作家が描いた設定と、私が考えてきた仮説。
合わせて四つの思考に、共通するものがあるわけだ。
もちろん、作者たちがそれぞれ完全に独立して発想したかどうかはわからないし、作品に描かれたから科学的に正しいという話でもない。
しかし、創作というものは、現実から完全に切り離されているわけではない。
作家は、自分が知っている人間の特徴や、身の回りの現象、過去に学んだ知識を応用して物語を作る。
読者がその設定を面白いと感じるのも、現実に通じる何かを見いだすからかもしれない。
私は、この三作品を単なる娯楽として思い出したわけではない。
自分の脳で起きている現象を説明するために、これほどわかりやすい例があったから引用したのである。
では、私自身の脳には、どのような偏りがあるのだろうか。
そして、なぜ私は、一般的な知能の評価方法に疑問を持つようになったのだろうか。
後編では、そこから考えてみたい。




