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「君から感じる力は常人ならざるもの、というのはよくわかる。僕が出会った”神”を自称するモノらの中でも特上のものだ」
マイケルは目を伏せ、メアリーに下がる様に右手を振るった。その様子に一瞬だけ心配そうな視線を向けたが、ルークに肩を叩かれてすぐさま反転。
眼下に存在する、敵に対してマイケルは”黄色いレインコート”を脱ぎ捨てた。
「君には目障りに感じるだろう? “名づけられざりしもの”の模倣など、ニャルラトホテプの一部である君には。でも……それもここまでだ。
マイケルは髪を右手でかき上げた。
口元にはしてやったり、という笑みを浮かべている。
《星の娘》(ローラ)に対して恐怖など感じていない様に思える。実際は、どうかは些細な問題だ。相手にそうでないと見せれればいい。
「答えを教えよう」
マイケルは右手の”鍵穴”に”赤い鍵”を刺した。
「これは、君が――父が僕を”君”に変容させるために贈ったものだ。最初、ネッドから言われた時に即座にキーガンの前で『切り札』だと使う程、僕は他人を信用しちゃいない。
しかし、これを此処で使おう」
《星の娘》(ローラ)の動きが少し止まる。興味深そうにマイケルを見ている。
感情など《星の娘》(ローラ)に存在しているのは分からない。目の動きもなければ、口の動きも読めない。ポーカーフェイスというよりは仮面を相手にしているのだから。
「なぜ? そう君は思うだろう。例えば……、恐怖により教義を変え、君の配下になる、という事もあるかもしれない。
しかし、同時に思うだろう。そんなはずはあり得ないと」
マイケルは右手に刺さる鍵に左手を掛ける。
一つの動作だけで”扉”は開けられる。
「僕の母という記憶は少なからずどこかに残っている。こんな事は”しないだろう”と。それはどちらを期待したものなのか、僕は分からない。
この鍵を使う事を想定して渡したのか、使わない事を想定してシナリオを書いたのか。僕の様な”人間”には理解なんてできやしない。
かだからさ、――」
マイケルは鍵を回す。
「君を倒すために、扉を壊そう」
扉が開かれた。
赤い、赤い扉は幾億もの帯状の物体を統べてマイケルの腕から伸びる。
触腕はナイアルラトホテップの意思に合わせてマイケルの手を飲み込む。肌を滑り、ぬらぬらとした一本一本が微かに降り注ぐ星の光と《星》(ステッラ)の明かりを浴びて、白と黒くとを濃くした。
《星の娘》(ローラ)の髪が扉へと向かう。扉から漏れる膨大な力を制御するために、自らの手を伸ばす様な物だ。
財による奉納は済まされている。次に、マイケルの命を与える事で、それは昇華する。
であるから、《星の娘》(ローラ)は、マイケルに乗り移る準備を開始した。
北風は一条の光を伴って暗闇を切り裂いていた。
何者も寄せ付けない神速。
大地を統べる様に通り過ぎる風は、一切の駆動音を殺している。虫たちがその存在を知るのは通り過ぎた後だ。草木がざわめくのは、その風が流れた後だ。
光を放つわけではない”彼女”は最高速で大地を滑る。複雑な地形をなぞる様に、上下に振れながら飛ぶのではない。最小の動作で地面と平行に駆けている。
一つの翼の羽ばたきで、百メートルは優に進んでいる。時速に換算すれば音の壁を簡単に超えているのは分かった。目を開けている事すら本来は出来ない状況だったが、、彼女には問題がなかった。
皮膚が分厚いとか、頑丈だとかそういった事ではない。”風”が彼女を守るのだ。何者からも寄せ付けない、”ハスター”の名の下に。
機械で作られた翼を見て眷属は笑うだろう。人の所業であると罵る物がほとんどだろう。神の作り出した物であるならば崇める対象になるが、眷属の最下層に存在する家畜と同等のものが神の真似など、唾棄する事だろう。
それでも”彼女”は駆けている。たった一度の力の行使を許された身に、『神』以上の高揚感を持っていた。
エヴァンジェリンは期待は重い物だと思っていた。他人を縛る物だと、他人の未来を奪う物だと。
しかし、世界を救うんだ、とささやかれて、『心の踊らない』者はいないと思った。
力の使い方は”理解”できた。
たった一つの力だけを極限にまで高めればいい。それ以外に力を振るう必要がないのだと。
速く。
誰よりも速く。
何よりも速く。
扉を破壊するために。
前に構えられた右手にナイフがある。
刃渡りの長い、シースナイフ。切るために特化した形は”風”の加護を得て、目標を一撃で破砕した。
目の前を高速の物体が飛びすぎて、空へと舞いあがった時、マイケルは「あぁ、」と一言を口にした。
「さよなら、父さん、母さん」




