ラットマン討伐作戦②
カトレア学園は、カドキワ国の中心街にあり、皇族や貴族、市街地の大商人の娘だけが通うことの出来る女学院である。
一般教養から花嫁修業までがカリキュラムに組み込まれており、卒業した際には一端の淑女となるように英才教育を施される。
この学園に通う女学生は周囲の男性から見れば憧れの的。
高嶺の花であった。
しかし、連日ラットマン事件が立て続けに起きたため、学園の多くの授業は休講となり、現在は複数の教師と、一部の学生のみが登校している状況である。
カトレア女学生連続殺人事件
通称、ラットマン事件。
そのはじめの犠牲者となったのは中等部に通う14才の少女。
その遺体の第一発見者となった教師は戦慄した。
身体に目立った外傷はないにも関わらず、腹だけがすっぽりと抜け落ちていたのである。
まるでネズミに喰われたかのように。
その後、一人目の犠牲者が出た3週間後に2人目の犠牲者がうまれてしまった。
確実に同一犯であると、一目でわかるやり口。
同じように、身体が喰われていたのだった。
そして、遺体の表情から、その行為は「生きたまま」に行われたと断定された。
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「この状況でも授業を実施する学園も、送り出す親もすごいと思わない?」
金髪ショートカットの高等部の貴族の女子
エミリー=カルバドスは言った。
「仕方ないですわ。『快楽殺人者などに惑わされない、強い精神をもった淑女に』などと言う学園長の言葉を聞いて、私たちがお休みしてしまえば、お父様たちの立つ瀬がないですもの。」
エミリーの言葉をきき、同じ高等部の同じクラスメイト。長い銀髪をポニーテールにしたラピス=カルテットはそう答えた。
「強い精神を持った淑女になれても、死んだら意味ないと思うんですけど〜!」
「エミリー。言いたいことは分かるわ。私も本当はとても怖いですもの。早く捕まれば良いですわね。」
「ラピスは本当危ないかもよ〜!殺された子、みんな美人だったそうだもん。」
「もう!おどかさないでちょうだい!」
「ま、ともかく早く捕まって前みたいな学園に戻ればいいよね〜」
「犠牲になったお二人とも、一人でいるところを狙われたようですし、エミリーも私といれば安心ですわよ。」
「捜査官はなにやってるのかな〜普段パパがたくさん献金してるんだから、早くなんとかして欲しいよぉ」
放課後、教室でぺちゃくちゃと話す二人のもとに一人の男が寄ってきた。
「おい、お前たち。こんな時間までなにをしている。早く帰宅をしなさい。」
「あわ!ナミカワ先生!ごめんなさい。今から帰るところでした!」
「エミリーに、ラピスか……エミリーはともかくラピスまでなにをしているんだ。」
「エミリーはともかくって!先生、ひどい〜」
「正常な判断ですわよ。エミリー?」
「むーラピスまで……!わかったよ〜じゃあ今から帰りまーす!先生しつれいします!」
「今はラットマン事件でこっちもてんやわんやなんだ。面倒なことが増える前にさっさと帰宅するんだぞ」
「「はーい」」
エミリーとラピスは帰り支度をして教室から出て行く。
「まったく、あいつらは」
誰もいなくなった教室。ナミカワ先生は、2人がさっきまで座っていた椅子と机を整理し始めた。
「本当にあいつらは…どんどん……どんどん美味しそうになりやがる……。次は…まとめて……2人同時に……いや、片方から……それで片方の顔を見ながら……」
ぶつくさと独り言を話しながら、ナミカワは椅子に残った2人の残り香を嗅いでいた。
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次の日、ホームルーム
エミリーとラピスのクラスに転校生が入ってきた。
名前はメーレン。スラッと伸びた手足、美しく気高く伸びた黄金の髪。何より気品と強さを感じさせる凛々しい顔立ち。
「な…な……」
ラピスは、美人揃いのカトレア学園でもトップクラスの淑女を自負している。事実、他学校で頻繁に行われる「カトレア学園の美人ランキング(非公式)」でも、上位にランクインしたことがある。
しかし、そんな彼女はメーレンをみた瞬間に声なき声をあげていた。
「うひぁ〜ものすごい美人の転校生だね。流石のラピスもあの子にはびっくりじゃ……ってどうしたの!?」
エミリーとラピスは隣同士の席である。授業中であってもこっそりお喋りをすることも少なくなかった。主にエミリーが勝手に話しかけるだけだったが。
これまで授業中に何度もラピスに躊躇なく話しかけてきたエミリーだったが、今回は流石に動揺した。ラピスの頬から、一筋の涙が溢れていたのである。
「ふぅ…ぐぅ……はぅぁ」
(ちょっちょっと!どうしたのラピス!あの子あなたの知り合いか何かなの?)
まるで生き別れの姉妹に会えたかのような感涙だった。こんなラピスは今まで見たことがない。
「あぁ……いえ、違います。今日初めて、初めて見た方です。」
(じゃなんで泣いてるのよ?)
いつもと逆でエミリーが小声だ。
そんなエミリーに構うことなく、ラピスははっきりと言った。
「あぁ……メーレンさん。あまりに可憐で……嗚咽してしまいました……」
エミリーが机からずり落ちる音が教室に響き渡った。
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ホームルームのあと、メーレンは複数の女学生から質問攻めにあっていた。
「メーレンさんのご実家は何をされていらっしゃるの?」
「髪の毛きれい!何か使ってるの〜教えてー!」
「私のお父様、クシャナラス家の当主はご存知?よろしければ今度家へあそびに来ないかしら?」
メーレンは一等捜査官に至るまで、これまで様々な潜入捜査をこなしてきた実績がある。当然、このような場合の対処にも、精通している。
「皆さま、沢山のご質問ありがとう。ただ沢山ご質問頂いちゃったのだけれど、学校に来たばかりで私もみんなのこと知らないの。良かったら色々と教えてくださらないかしら?」
メーレンは淑女ではない。厳しい訓練、任務、血生臭い戦いを経験してきた国家武力の構成員だ。
しかし、若い女性でもある彼女は、そんな自分の「美貌」という武器が、いかに有効であるかを知っている。
そして、キャリアホルダーと戦うためにはプライドを捨て、自身が持つあらゆる武器を活用しなければならないことも。
「最近、おそろしい事件が……あったでしょう?こんな時期に転校することになって怖いの。良かったら色々きかせてほしいわ。」
そんな風にして、メーレンは情報収集を開始した。それは概ねうまくいっていたが、どうにも気になることがあった。
「亡くなってしまった方は…どんな方だったのでしょう?ご両親も悲しまれているでしょうね。」
メーレンが質問する。
女生徒A「ラットマン、恐ろしい事件ですわ。ご両親も悲しんでいたと聞きますが、直接お話させていただいことがなくて、私に実感は余りありませんの。」
女生徒B「亡くなった人って確か中等部の子と、高等部では隣のクラスの子が犠牲になったって聞いたよ。隣のクラスの子は最近あんまり学校に来てなかったみたい」
女生徒C「実は私、5年ほど前に初等部で同じクラスだったことがありましてよ。今は疎遠になっていましたが、とても綺麗な子で……性格もおだやかな子でしたわ。」
どの生徒の回答も、学友が殺されたというのにあまり実感が沸いていない。精神操作系のキャリア?単独犯ではないのか?様々な推測が及ぶ。
「ありがとう、みんなのおかげで気持ちが楽になりました。」
そこで授業開始のベルがなる。メーレンは話を切り上げ、授業を受ける支度をはじめた。
しかし、少し遠巻きに涙を流しながらこちらを見ているあの少女は一体なんなのだろうか。気になったが、今は近寄る隙がなかった。まぁこれからゆっくり、確かめてみるか。
「では、転校初日で悪いがメーレンくん。この公式はわかるかね?」
授業を続けていたナミカワがメーレンを指した。
ナミカワ。27歳。学卒後すぐにこの女学院に赴任し、以降目立った問題行動は起こしていない平々凡々な数学教師だ。しかし、メーレンはそこに異常な気配を感じとっている。
「ええ。以前、習ったので承知しております。」
メーレンは立ち上がり黒板の前へ進む。メーレンはぎろりとナミカワを睨みつけた。
ナミカワは近づいてくるメーレンから目を離せない。見られていた。凶器とも言える美貌をもった、若くまだ幼さの抜けきれない瞳が、汚れを知った男の濁った瞳を真っ直ぐに凝視する。熱い。ナミカワは身体の奥が熱くなっていくのを感じている。
「……ん、オホン。では、式と解を記述してみなさい。」
メーレンはつらつらと黒板に板書しながらナミカワの異変を感じていた。やはりこの男おかしい。まだ証拠は無いが、おそらくラットマン被害者と接触している。
しかし、コイツ自身がラットマン、実行犯だとするとあまりに対応が中途半端だ。殺人事件が起きた学院へこの時期に転校生などと、どう考えても怪しいだろう。
そう思考しながら右手は淀みなく進み、数式を解き終えていた。
「うむ。正解だ。ではそ」
「はぐぅ……さすがメーレン様…!」
ナミカワの発言を遮るようにデカめの声で嗚咽が聞こえてきた。才色兼備の淑女として名高い、今その地位の瀬戸際にいるラピスだった。
「(ちょっと…!あんた声大きいわよ……!)」
隣に座ったエミリーは小声で静止する。しかし、ラピスには届いていないようだ。
「ラピスくん。授業中は静かにしたまえ…」
「はい!失礼いたしました!これはお見苦しいところを大変申し訳ございません。」
「ありがとうございます。ラ…ピスさん?でしたか。あなたのような素敵な方に、お褒め頂いて光栄です。」
メーレンはそう言って微笑みかけると、ラピスはあわわわと口をグニャグニャにし、顔がトマトのように朱に染め。
「…ふひっ!」
そのまま卒倒した。
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「大変申し訳ありません。エミリー。」
「いいのよ。別に。でも、あなたがあそこまでおかしくなるの初めて見たわ。」
倒れたラピスを医務室に運び、エミリーはそのままラピスが落ち着くまで付き添っていた。どうせならこのまま授業が終わるまで時間を潰したい。
「私も不思議です。あんなに心を動かされる人がいるなんて。」
「まさか同性が好きなタイプだったとはねぇ。」
「なんでしょう。好き?そうなのかしら?でもこれが恋というものなら、悪くないのかもしれません。私、とっても心臓がドキドキして、自分を抑えるだけで精一杯ですの。」
これは重症だなー。とエミリーは嘯く。
ラピスのことは幼少期から知っているが、まさか女の子が好きだったとは。
いや、お互いにずっと女の子ばかりに囲まれた世界にいて、ほとんど男性との接触が無かったのだ。17才という思春期に、同性ばかり集められた女学院ではけっして珍しい事例では無い。少し過剰な気もするが。
メーレン。とてつもない美人だけど、なんでこんな時期に転校生なんだろう。
エミリーはメーレンという人物が、今後も学園に大きな影響を与える予感のようなものを感じていた。
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「おかえりなさい。学校はいかがでしたか?」
メーレンが家に帰ると、アトレスが出迎えた。一人暮らしの長いメーレンは家に12歳程度の少年がいることに妙な違和感を覚える。
「ああ、初日にしては大体の情報は手に入った。とにかく、このまま今日中にいくつか作戦を立案する」
へー。とメーレンに聞こえないような小さな声で、アトレスが声をもらす。
「早いですね。犯人の居場所や次の犯行のヒントが分かったということですか?」
「犯人の居場所や次の犯行がいつになるかは分からないが、犯人のおおよその目星はついている。」
「なぜ犯人がわかったんですか?」
「そこまで君に教える必要があるか?君は私の指示でラットマンを討伐してくれれば良い。だが、想定していた2対1の形にするのは難しいだろう」
「というと?」
「犯人の能力は、遺体の損傷から物理的な攻撃系だと判断されていたが……精神になんらかの異常を発生させるタイプである可能性がある。」
「なるほど…精神系のキャリアなんですか。だとすると、僕のキャリアとはすごく相性が悪そうですね。」
「ああ、君の肉体がキャリアに守られていても、精神攻撃に耐性があるか分からない。万が一、対面した時点で相手の条件を満たしてしまうと君が操られてしまう可能性もある」
メーレンは棚のカップにコーヒーを注ぎ、椅子に座った。
「こうなると君の存在意義も怪しくなってくるが……これ以上の被害を出すわけにもいかない。とにかく、今の情報と手駒でやつを捕らえる方法を探すしかないな」
メーレンは考えた。おそらくこの事件、最初に殺された捜査官も犯人について事前に気付いている。そしてその犯人の情報を誰にも話さないまま殺されたとは考えにくい。
誰かに「あいつが疑わしい」という情報を漏らした後で殺されたのであれば、その対象の人物に、真っ先に嫌疑がかかる。なのに、奴は日常生活を普通に送っているようだった。
この状況、キャリアの詳細がわからないまま迂闊に手を出すと初めの犠牲者の二の舞になる可能性が高い。しかし、うかうかしていると女学生が殺される。対処をしないわけにはいかない。
そんな風に思考がぐるぐるとループし始めた頃、そばでニコニコしていたアトラスが口を開いた。
「犯人が分かっているのに手を出せないのは、僕が負けるかもしれないからですよね。」
深く思考を巡らせていたため、メーレンはアトラスが話しかけていることにやや遅れて気がついた。
「ん?…ああ、さっきも言ったが君とヤツのキャリアは相性が悪い。確実に気づかれない奇襲なら可能性はあるが、指定範囲で作動するパターンのキャリアであればそれも無意味だ。」
「なるほど、相手に気づかれず、かつ近寄らず、一撃で仕留めればいかがですか?」
「まるでそれが可能なような言い方だな。」
「石とかを投げて当たれば、相手が精神系キャリアしか持っていない生身の人間である限り、一撃で倒せると思いますよ」
メーレンはこれまでアトラスに抱いていた不気味な違和感について考えを少しあらためた。何をいうかと思えば、石を投げて当てるなど、子供の発想である。
仮に投擲が有効だとして、屋内であれば当てることができない。また、確実にやつが現れるのは人の多い学園だ。屋外にいる時を狙うにしても、他の人間に当たる可能性がある。
仮に当たったとしても、気づかれず、精神攻撃が確実に届かないほどの遠くから投げた場合、石に必殺の威力があるのかも疑問だ。
しかし、アトラスはメーレンの返事を待つことなく、テーブルの上にあったメーレンの銅貨を一枚とり、壁に向けて腕を構えた。
「これはテスト料でもらいますね」
何が、と言いかける前に、アトラスは構えた腕の先、指に挟んだ銅貨を弾き飛ばした。
ピィィィン、という音とほぼ同時、5メートルほど離れた位置から壁に貼り付けたラットマンの絵から衝撃音が鳴り響いた。アパートの壁面は堅牢な石材で建築されている。無論だが、先ほどまで壁にヒビなど入っていなかった。アトラスが銅貨を弾くまでは。
「これなら近寄らずに仕留められそうじゃないですか?」
ばかな。とメーレンは目を疑った。アトレスが身体強化のキャリアを持っているとはいえ、これほどの攻撃力を備えているとは当局も把握していない。
しかも、弾き飛ばしたのはなんの変哲もない「銅貨」だ。硬く堅牢な壁面に衝突したところで、亀裂を入れられるほどの強度はない。高威力のスピードで衝突すれば、銅貨の方が砕け散るだろう。
(こいつ、把握されているキャリア以外にもう一つなにかがある…!しかも、私にそれを隠そうとしていない)
「あ、物を飛ばしたりするのは得意なので、100m以内なら、多分違う的に当ててしまうことはないと思います。なので、屋外に連れ出してもらえれば…」
瞬間、メーレンはアトレスと任務を続行するか、刑を執行すべきか悩んだ。首輪に命じれば、即座にアトレスの首へ毒針が挿入される。
しかし、今見たコイツのキャリア。シンプルな肉体強化ではないことは明白だ。毒針が通用するか、しなかった場合には、私が逆に殺されて任務は失敗。ラットマンは止められない。
「…なので、校舎の屋上で待ち伏せておき……、とメーレン?聞いていますか?」
メーレンは瞬間、悩んだ。
悩んだ挙げ句。
「…ああ。その前に、私の許可なくキャリアを使用するのはやめろ。器物の損傷も、報告対象となる。次に同じ行動をとれば、貴様を先に処刑する。」
メーレンはシラを切った。ここで突発的な行動はできない。
「見せた方が早いと思いまして。わかりました、以後は注意します。」
アトレスの子供にしては不自然な笑顔を横目に、メーレンは思考にふける。
この任務、アトレスという爆弾を抱えながら、残虐な殺人キャリアを相手に操作を進めなければならない。
命がけ。じんわりと汗ばんだ額を、メーレンはぬぐった。
【エミリー=カルバドス】
カトレア学園高等部2年生。ラピス=カルテットとは幼少期からの親友であり、いつも一緒に登下校している。ラットマン事件があってからラピスとともに休みたいと親に相談し許しを得たが、ラピスの両親は厳しく登校を促したため、ラピスには「うちも親が厳しくて~」とウソをつき、一緒に通うことにした。
【ラピス=カルテット】
カトレア学園高等部2年生。エミリーと仲良し。美人ぞろいのカトレア学園の中でも人気が高く、月に一度は女生徒から交際を申し込まれている。両親は厳しく、大貴族の嫁にふさわしい淑女になるよう期待されている。
【メーレン(学生ver)】
21歳。制服を着てみたら案外まだいけたので安心している。10代は士官学校にいたために一般学校に通った経験はない。使命を持たず青春を謳歌する学生たちを見て、少々羨ましい気持ちが芽生えたりも。