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「もう一度訊く。いったい何をしているんだ?」
ステラとレクシオは何も言えないまま顔を見合わせた。
馬鹿正直に「窃盗事件に首突っ込んでました」と言うわけにはいくまい。さて、どう答えるか――。
だが、二人が揃って思考しているうちに先手を取られた。ソーヤが人のいい笑みを浮かべ、こんなことを言ったのである。
「嫌になりますよね。この人たち、そろって僕をいじめようというんですよ」
「あ、あんたねえ!」
真に受けられては困る、ととっさに思ったステラは否定しようと振り返る。が、その瞬間、目の前に黒い影が迫った。間抜けな自分の声がする。
「ステラ!!」
直後に鋭い叫び声が聞こえてきたかと思ったら、背中に衝撃がきた。そのまま彼女は前のめりになって、最終的に倒れ込む。
砂粒が肌をこすり、あちこちに鋭い痛みが走った。そうかと思えば頭上をかすかな風が吹き抜ける。そのとき、嫌な音が聞こえた気がした。
続けて小さな舌打ちが聞こえる。これを聞いてやっと我に返ったステラは顔を上げた。
「いったい何」
しかしまたしても二の句を継げない。
「おっと、悪い。すりむいちまったみたいだな。……まあ油断するおまえもおまえだけど」
けろりとそんなことを言いながら、頬を赤く腫らした幼馴染の顔がすぐそばにあったから。しばらく口をぽかんと開いて言葉を探していたステラはやがて簡潔に訊いた。
「それ、大丈夫?」
ん? と言ったレクシオはそれからいつもの顔で頬をさすった。
「ああ、大したことねーって。でも、最近こんなことばっかだな」
「……すみません」
バッツのときも今回も、その主たる原因は自分にある。下手なことを言えなくなったステラは素直にそう口にした。すると、性格が少しずつ悪くなっている幼馴染は無邪気な笑みを浮かべたまま黙った。
呆れたが、のん気に休憩しているひまもなかった。
改めて身体を起こすと、ソーヤが逃げだそうと身をひるがえしているところであった。しかもアーノルドがいるため、迂闊に追えない。
だが、意外なことが起きた。
「君。ちょっと待ちなさい」
そのアーノルドの口から制止の言葉が放たれた。これにはソーヤも逆らえなかったらしく、素直に振り返る。しかし表情は忌々しげであった。
「なんですか」
実際、苛立ちのこもった声で言う。だが対するアーノルドは動揺ひとつしない。それどころか、目つきがさらに厳しくなった。
「呼びとめて悪い。けど、故意に人を殴るような奴をそのまま帰すわけにはいかないんでね」
幼馴染二人の間を疑問符が飛び交う。
「正当防衛、ですよ」
あくまで彼らによるいじめであることを主張したいらしいソーヤは、しらじらしくもそう言った。だがアーノルドは意外にも、その主張を一蹴した。
「そこのお嬢さんも少年も、何もしていないだろう。それなのに君はためらわず手を出した。これを正当防衛と呼ぶのかい?」
さすがにこんな台詞が飛び出した時点で、ステラもレクシオも察した。この人は何か知っている、と。
「それにね、ソーヤくん」
そして、
「――私は君が、この学院で頻発している窃盗事件の犯人だということを知っているよ」
事実その通りであった。
あぜんとする二人の生徒の横をすり抜け、アーノルドはソーヤの前に立つ。
「どういう意味ですか」
冷たい問いに、男は肩をすくめた。
「言葉通りさ。それに、ここにいる二人を含む何人かが事件の調査を独自に行っていたことも、事実だけなら知っていた」
そう言った彼はソーヤの目の前で清掃員の制服の胸ポケットに手を突っ込む。そして中にある何かをつかんだ彼は、
「悪いが仕事上、君を見逃すわけにはいかないんだよ」
それをゆっくりと引っ張り出した。まるで見せびらかすように。ポケットから出た『それ』を見た三人の顔がそれぞれ、じわりと驚きに染まっていく。
「なん、だって?」
うめくように言ったのはソーヤであった。
アーノルドが取り出したのは、一枚の手帳。開いて持たれたその手帳には硬い文字でこう書かれていた。
『オルドール帝国・軍警察特捜部隊隊長 セドリック・アーノルド』――
「ステラ、レク! どうしたの?」
衝撃の告白に呆然としていると、後ろからナタリー含め捜査班全員がやってきた。が、アーノルドの姿を認めるとみんななかよく足を止める。他方アーノルドはそんな彼らを見て、苦笑いをした。
「……なんで清掃員さんが、ここにいるんですの? しかもソーヤが大人しくなってますわ」
信じられないといったような口調でシンシアが言う。ステラはその問いに、首を振りながら答えた。
「清掃員じゃないんだってさ」
返ってきたのは、訝しげな声である。
「はあ?」
「どういう意味よ。説明求む」
ナタリーとブライスが続けて言った。特に、トニーと一緒になってソーヤを止めようとしていたブライスの声音は剣呑だ。これを受け、今度はレクシオが。
「どうやらこの人、軍警察のお偉いさんらしい」
驚くほどあっさりとそんな暴露をした。再び間抜けな反問の声が返る。
見渡してみると、八人はそろって目を見開いて口を開けていた。いきなりすぎて話についていけていないのはみんな一緒らしい。
だがそんなものはお構いなしに解説を入れてくれたのが、渦中のアーノルドである。
「実際は肩書ほど偉くないよ。軍警察なのにこの系統の事件を任されたのがその証拠さ」
言いながらソーヤの肩を叩くその姿は現状を皮肉っているようにしか思えなかった。
「……ナタリーじゃないですけど、説明していただけませんかね」
珍しく不快そうな顔で言ったのはジャックである。アーノルドはあっさりうなずいた。
「いいよ。機会をうかがっている間に騒ぎを広げてしまったし、そのお詫びだ」
彼は短く息を吸ってから話しだした。
「まずは改めて紹介しよう。私は帝国軍警察・特別捜査部隊の部隊長、セドリック・アーノルドというものだ。清掃員としてこの学院に忍び込んでいたのは、君たちが捜査していたこの事件の犯人を突き止めるためだよ」
「潜入捜査、というやつですね。出会いがしらにあんなことを聞いてきたのも、あなたのお仕事と関係が?」
ナタリーが続きをうながすと、アーノルドはうなずいた。
「そう。でも、あの頃は大っぴらになっていなかったらしいね。おかげでそのときは苦労したけど、やがてある噂が流れ出した」
オスカーが目を細める。
「俺たちが事件をかぎ回っている、という噂か」
「ああ。けど、まあささやかに流れている程度だったし、あんまりアテにはしていなかったんだけどね。でも独自に調べを進めていくうちに、実際に事件の捜査を君たちに依頼したという人物が名乗りを上げた」
心当たりがあった。ステラが目を見開くと同時に、ミオンが叫んだ。
「ルディリアさん!?」
アーノルドは肯定も否定もしないまま話を進める。
「で、犯人を調べるのと並行して君たちの動向も少しうかがわせてもらっていたんだ。けど、まさか本当に犯人を突き止めてしまうとは思わなかったよ。驚きだ」
笑うアーノルドをついついにらんでしまう。
事件を調べはじめたばかりの出来事を思い出した。確かあのとき、ナタリーはステラにこう言った。廊下で出会った清掃員、彼の身のこなしは普通ではない、と。
なるほど。帝国軍直轄の軍警察ならただ者ならぬ雰囲気を漂わせていることについても納得であるし、新しい者が入ることが少ないこの時期に彼が入ってきたのが捜査のためだというのなら驚きもしない。
そんな人がいるとは思わずに、自分たちはずっと、必死になって調べてきていたわけだ。それが悪いとは思わない。ただ、気に入らなかった。
「……あの、アーノルドさん」
唐突に手があがった。
「そいつは、ソーヤは、これからどうなるんです?」
トニーだ。彼の問いにわずかに眉をひそめたアーノルドはそれでも、丁寧に教えてくれた。
「とりあえず軍警察の方で拘束させてもらう。それから帝都警察の方に引き渡すことになるけど、その前に君たちの中の誰かから事情を聴くだろう。
そして君たちが得た情報とこちらで挙がった証拠を使って帝都警察が逮捕状を取り、正式に逮捕だ。窃盗及び傷害罪でね」
そうですかとトニーは言った。そしてそれ以上のことは言わず、ただ口をつぐんだ。それからアーノルドは、今度はソーヤに向けて言葉を放った。
「事情は聞く。そしてこちらでもある程度の情報はつかんでいる。ご家族については、補助をしてもらえるよう国とかけあってみよう。この件に関しては、政府――皇帝陛下および帝国議会にも責任はあるからな」
ソーヤは何も答えなかった。代わりに虚ろな目をトニーに向け、口を開いた。
「……僕は」
そこで一度言葉を止めた彼は、トニーが顔を上げたのを見ると、改めて続ける。
「僕は君の言ったことをきれいごとだと思う。その考えを今後とも改める気はないですよ。――けど、母の気持ちを、もう少し考えるべきだったのかもしれないとは、思いました」
ソーヤがトニーにかけた最後の言葉だった。それからすぐに彼はアーノルドとともに立ちさっていく。十人全員が、二人の背中を呆然と見送った。
――しばらくして彼らは呼び出しを受けた。しかし十人とも行くわけにもいかないので、ジャックとオスカーが代表で応じる。その間残りの面子は特別学習室で待っていた。
ステラは横目でトニーを見る。目に見えて落ち込んでいたが、かける言葉は見つからなかった。
時間を潰していると、やがて引き戸の開く音がした。
「あ。部長おかえり」
黒板の前で立っていたブライスが言うと、ジャックをともなって戻ってきたオスカーは軽く手を上げてそれに答えた。続けてステラも顔を起こす。
「どうだった? なんか言われた?」
問う声は自然とかたくなっていた。グループ取りつぶしという最悪の可能性が、未だ脳裏からぬぐい切れていないためである。
しかしジャックは笑った。
「うん。アーノルドさんから連絡がきたって。それをわざわざ知らせてくれたよ。ついでにそのとき教官は事情を聞いたらしいんだけど」
もったいぶって口を閉じるジャックのあとをオスカーが引きとった。
「どうやら上手いことごまかしたらしくてな。お咎めはなくて済んだ」
「うーん、さすが警察官」
腕をくんでいたナタリーがそんなことを言ってしきりにうなずく。更に、立て続けに訊いた。
「で、その連絡とやらの内容は?」
ジャックが答えた。彼は引き戸を閉めながら、
「――『事情聴取は後日行うことになった。また改めて呼び出すだろうからそのときはよろしく頼むよ。それと今度、事後報告にお邪魔させてもらおう』だってさ」
「……なんかエラソーだねえ」
ブライスが率直な感想を漏らすと、ジャックは苦笑を返していた。そこでステラが口を開く。
「まあ実際、あたしらよりは偉いからね。でも良かった、大事にならずに済みそう」
「うん。そこは安心していいと思うよ」
団長の言葉に、オスカーがさらに付け足す。
「あと、その事後報告とやらのときに、あの二人の依頼人も呼びだすことにしている」
「じゃあ、それが終われば今回のお仕事完了ってことですね」
「そうなるな」
カーターの安堵の声に素っ気なく答えたオスカーはその後トニーを一瞥したが、特に何も言わなかった。
何も言わない人々の中でただ一人、ミオンだけは彼を気づかわしげに見ていたが、ステラ含めだれもそのことには気づいていなかった。そしてそのステラはふと、教室にかけてあるカレンダーを見た。
クレメンツ・フェスティバルは明後日に迫っていた。




