EP 10
『跪け、皇帝。我らは「供給」を支配した』
ルナミス帝国皇帝マルクスは、よろめく足取りで歩いていた。
かつては純白の飛竜が引く豪奢な空中馬車で移動していた彼が、泥にまみれた外套を羽織り、たった一人で街道を歩いている。
魔石の枯渇。ハイパーインフレによる国庫の消滅。そして、兵士たちの離反。
経済という血流を止められた帝国は、たった数日で「ただの巨大な廃墟」へと変貌したのだ。
三日三晩歩き続け、ついに彼の視界に、常軌を逸した強烈な『光』が飛び込んできた。
夜を拒絶する不夜城。ポポロ村だ。
「……これが、あのハズレスキル持ちの人間が創り上げた国か……」
舗装されたアスファルト。空を照らす巨大なプラントの炎。そして、絶望と飢えに顔を歪めていたはずの自国の難民たちが、真新しい作業着を着て、笑いながら夜勤の交代に向かっている姿。
マルクスは、自らの『統治の正解』が完全に敗北したことを悟り、膝から崩れ落ちた。
◆
「いらっしゃいませー! 一名様ですか? お好きなお席へどうぞ〜☆」
村の中心にある24時間営業のファミレス『ルナキン・ポポロ支店』。
そのドアを潜ったマルクスを出迎えたのは、ウサギの耳を揺らすエプロン姿の村長、キャルルだった。
「……余は、ルナミス帝国皇帝マルクス。……ポポロ村の統治者、宮河金吾に降伏を申し入れに来た」
血のにじむ足を引きずり、マルクスは絞り出すように告げた。
ファミレスの奥の席。そこに、赤マルの煙をくゆらせながら、仮想スプレッドシートを空中に展開している金吾が座っていた。
隣ではルルカが、致死量のシロップをかけたパンケーキを白目で咀嚼している。その後ろには、白手袋をした人狼の執事ヴァルグが影のように控えていた。
「遅かったですね、皇帝陛下。……馬車の一台もチャーターできなかったんですか?」
「……皮肉はよせ」
マルクスは、金吾の前の席に重々しく座り、そして深く頭を下げた。
「余の完敗だ。武力も、財力も、すべて貴様の『泥』が上回った。……余の首は好きにしろ。だが、民草には手を出さないでやってくれ。彼らはすでに、貴様の配給に頼らねば生きていけぬのだ……」
君主としての最後のプライド。己の命と引き換えに、国を残そうとする哀れな懇願。
だが、その張り詰めた空気を、キャルルさんがお盆を持ってぶち壊した。
「はい、お待ちどおさま! ルナキン特製、あったかおでん定食と、特盛り人参サラダだよ! ……おじいちゃん、足がボロボロじゃない。無理しちゃメッだよ」
キャルルさんは、皇帝の前に湯気を立てる食事を置くと、そのまま床にしゃがみ込み、マルクスの血まみれの足にそっと手を当てた。
淡い月の光が彼女の手から溢れ、皇帝の肉体の疲労と傷が、一瞬にして癒やされていく。
「な、なんだこれは……!? 貴様、余を殺すのではないのか!?」
「えっ? お腹すかせてボロボロのおじいちゃんを殺すなんて、そんなひどいことしないよ! 天は自ら歩いてきた人を助けるんだから! ね、金吾くん?」
キャルルさんが、純度百パーセントの無償の愛で、俺を振り返る。
……またこれだ。帝国を滅ぼした元凶の男を、「ただのお腹をすかせたおじいちゃん」として扱い、全回復させてしまう狂った算盤。
「……金吾くん」
キャルルさんは立ち上がり、ポケットから小袋を取り出した。
「おじいちゃん、悪い王様だったかもしれないけど、自分の命を投げ出してでもみんなを守ろうとしたんだよね? ……だったら、もう許してあげて。仲良くしてあげてね。……はい、コーヒー飴。お仕事、ご苦労様」
俺の目の前に、一粒のキャンディが差し出された。
敵のトップを処刑して完全掌握する絶好の機会に、「仲良くしてあげて」というバグだらけの要求。
だが、俺はこの女の狂った算盤に惚れ込んだ男だ。
「……」
俺は無言でキャンディを受け取った。
口に放り込み、奥歯で思い切り――
ボリッ。
硬質な破砕音が、ファミレスの店内に響き渡る。
口内に広がる強烈な苦味と甘みが、俺の脳細胞を限界まで加速させる。
俺は赤マルを灰皿に押し付け、分厚い書類の束を皇帝の前に放り投げた。
「……マルクス皇帝。あんたの首なんて、一円の価値もない」
「な、なんだと?」
「あんたを殺せば、帝国は無政府状態になり、治安維持のコストが跳ね上がる。……だから、生かして使ってやる」
俺は、書類の表紙を指で弾いた。
「『ルナミス帝国』という法人は、本日を以て『ポポロ石油公社(PPC)ルナミス支社』へと吸収合併(M&A)される。……あんたの新しい役職は『支社長』だ」
「……し、支社長……?」
「あんたの『組織運営の才能』は評価している。だから、これからは俺の作ったインフラと新通貨を使って、俺のために死ぬ気で働け。……俺の言う通りに経済を回せば、帝国の民草はもう二度と飢えることはない。全員に仕事と、温かい飯と、明るい夜を約束してやる」
ヴァルグが、契約書を開き、万年筆をマルクスに差し出した。
「優れた経営者は、感情ではなく数字に従うものです、マルクス支社長。……これが、あなたが民を救う唯一の『最適解』ですよ」
マルクスは、震える手で万年筆を受け取った。
彼は理解したのだ。
目の前の男は、国を滅ぼしたのではない。古い世界を買い取り、完全に『リニューアル』してしまったのだと。もう誰も、この黒い泥がもたらす圧倒的な豊かさからは逃れられない。
「……余の、いや……私の、負けです。社長」
マルクスは契約書にサインし、そして、熱いおでんの汁をすすりながら、声を上げて泣いた。
それは屈辱の涙ではなく、己の民が救われたことへの、抗いがたい安堵の涙だった。
「ひゃはは! これで世界のパズル、一つ真っ黒に塗りつぶしたね!」
糖分を摂取し終えたルルカが、無邪気に笑う。
「金吾くん! おじいちゃんとお友達になれたんだね! えらいえらい!」
キャルルさんが、嬉しそうに俺の頭を撫でてくる。
「……勘違いしないでくださいよ。俺はただ、一番儲かる算盤を弾いただけです」
コーヒーの残り香を噛み締めながら、俺は不敵に笑い、窓の外を見た。
闇を照らす炎。煙を吐く煙突。
ポポロ村はもはや村ではない。世界を喰らい尽くす、巨大な機械の心臓だ。
だが、俺はこの時まだ気づいていなかった。
俺が掘り起こした『黒い泥』の匂いが、世界の底で眠る『最悪のバグ』――魂と石油を喰らう機械の王を、目覚めさせてしまったことに。
<第二章:完>




