第四章 暗影(3)
震える肩をリチャードに支えられながら、マリアはその場を立ち去った。リフローネは、彼女へかける言葉も見つからないまま、静かにそれを見送ることしかできなかった。
降りだした雨が強まり、水滴が窓を滴り落ちていく。眼下の景色は白く滲んでいた。中庭に咲く花は、打ち付ける雨粒に何度も身を震わせながら耐え続けている。外の壁を激しく叩く雨音だけが、言葉を失った薄暗い回廊を重苦しく覆っていた。
一人回廊に佇むリフローネ。やがて彼女も、自身の部屋へと戻ろうと歩き出したその時、回廊にぽたぽたと水滴が落ちる音を聞き、思わず振り返った。
「ハンス王子・・・!」
彼女の前には、全身ずぶ濡れのハンスが立っていた。栗色の癖毛が濡れて顔に張り付いている。ローブの裾から、水滴が床へ落ちていた。
「ああ、貴女は・・・リフローネ王女でしたっけ」
彼はローブの袖で眼鏡を拭いてかけ直した。
「どうも、お見苦しい姿をお見せしちゃって・・・。城へ戻る途中に、雨に降られてしまって・・・」
彼はそう言って、大きなくしゃみを一つした。
「大変・・・!身体が冷えてしまいます。どうぞこちらへ」
リフローネはハンスを促して自分の部屋へ招き入れ、彼にタオルを渡した。
「ああ、ご親切にどうも」
ハンスはありがたくタオルを受け取ると、ごしごしと自分の顔を拭いた。そしておもむろにローブを脱ぎ、そのまま上着の裾に手をかけた。
「あ・・・!」
慌ててリフローネはハンスに背中を向けた。ハンスはしばらく自分の体を拭いてから、リフローネが後ろ向きで固まっていることに気が付いた。
「あ・・・ごめんなさい、つい・・・」
慌てて謝るハンスに、ナジャが素早く新しいタオルを差し出した。
「その、本当に申し訳ない」
上着の代わりにタオルを羽織って、ハンスはすまなそうにリフローネへ謝った。
「いえ・・・謝ることなどございません」
心なしか顔を赤らめたリフローネは、おそるおそる彼の方へ向き直った。まだ心臓は早鐘を打つように鼓動していた。
「いやあ失敬、あんなことがあって、動揺しているみたいだ」
「え・・・何か、あったのですか?」
意味ありげな彼の言葉に、リフローネは思わず聞き返した。
「図書館の僕の部屋に、留守中に盗賊が入ったようなんだ。戻ったら、僕の研究内容がすべて持ち去られてしまっていて。研究が完成した矢先だったのにね。だから急いで城に戻って、姉さんに知らせようと思ったんだけど、途中で雨に降られてしまって。いやあ本当に、ついてない」
「盗賊・・・!?」
「研究内容はすべて頭に入っているので、特に支障はないけどね。うーん、しかし、盗賊があんな物を盗んで、一体何の得があるのやら・・・」
不思議そうに首をかしげるハンスを横に、リフローネとナジャは顔を見合わせた。
ハンスの研究は、魔導の「代償」を別の「何か」で代替するものだったはずだ。それを狙ったのだとしたら、ただの盗賊ではあるまい。背後に、何者かの影を感じずにはいられなかった。
「ともかく、ハンス王子をお部屋までお送りいたします」
「ああ、ありがとう。早く着替えないと、風邪をひきそうだ」
ハンスはナジャに付き添われ、リフローネの部屋を出て行った。
彼が行ってしまった後になって、リフローネは彼に「封呪の法」のことを聞き忘れたことを思い出した。




