第五章 フレスデンの戦い(5)
若き将ハドリヌスは、はっとして目を覚ました。薄暗い天幕の中。ぼんやりと見えるのは、簡素な机と、眠り込んでしまう前までそこに広げていた戦略図。蝋燭は燃え尽き、皿の上に蝋が固まってこびりついている。
彼は寒さを感じ、外套の襟を留め直した。
ここ数日、彼はろくに眠っていなかった。理由はもちろん、目の前の戦略図が表している。
ハドリヌスにとって今回の戦いは、初めての大いくさであった。若き将は戦意に溢れていた。彼は、自らフレスデンの攻略に名乗りをあげ、1万の軍勢を率いてフレスデンまで攻め入ったのだ。
そこまではよかった。しかし、セルヤム軍が現れて状況が一変した。落ちそうだった城は落ちなくなり、逆に自分達の方が守る側となったのだった。
今は、対岸とフレスデン城の両方に睨みを利かせながら、待つよりなかった。何を待っているのか?ハーラント城の陥落と、祖国の勝利の報せをだ。ハーラントが敗れれば、セルヤムも戦う理由を失い退くしかなくなる。それまで敵を釘付けにできれば勝ちなのだ。
そこで彼が気にしなければならなかったのは、兵糧の計算であった。この軍勢をして、あと何日持たせられるのか?当初は長期戦を想定せず、フレスデンの町からの略奪もそう多くはしていなかった。また、敵将が才ある者と見え、帝国軍が現れるや否や速やかに町の住民ごと食料を持って城へ引き上げていってしまった。さらに、持ち込めない分は焼き払っていく徹底ぶりで、そうした訳でそもそも略奪すること自体が難しかった。
天幕の外が白み始めていた。そろそろ夜が明ける頃のようだ。
ハドリヌスは、日が登るまでの間、少し横になろうと思い、椅子から立ち上がった。
その時、にわかに天幕の外が騒がしくなった。「敵襲!」と叫ぶ兵士の声も聞こえる。
まさか、王国軍が、強引に河を渡って攻め込んできたというのか?しかしそれにしても、外の騒ぎ方は尋常ではない。
ハドリヌスは、天幕の外へ飛び出していった。
外へ出た直後、目の前に現れたのは警備をしていた兵だった。驚いたような顔をしてハドリヌスを凝視していた。
「何事だ!?」
「お、逃げ、くだ、さい」
そのまま、兵士は地面へ倒れ込んだ。背中に、短刀のような武器が刺さっているのが見え、ハドリヌスは驚いて辺りを見回した。
朝靄の中、紫色のターバンを巻いた兵士達が味方へ襲い掛かっているのが見えた。味方の兵は、叫び声を上げながら雪の積もった地面に次々と倒れていく。
ハドリヌスは咄嗟に天幕の中へ戻り、立て掛けていた剣を手に取る。しかし、四、五人の敵兵が天幕の中へなだれ込んで来て、槍を突き出して彼を取り囲んでしまった。
「逃げ場はない。降伏せよ」
兵士の一人が、はっきりと聞こえる声でそう言った。
あっけなかった。あまりにも鮮やかな敵の奇襲で、本陣は制圧されてしまったのだ。
ハドリヌスは力なく剣を捨てた。ガラン、と乾いた音を立て、剣は彼の足元へ落ちた。
なぜだ。なぜこうなった。帝国の将として、あまりにも不甲斐ないではないか。
自分は十二神の一人の末裔ではあったが、嫡流ではないため、家は大した身分ではなかった。今の地位を得るまで、それこそ並大抵の努力ではなかったというのに。
運命は、自分を見捨てたというのか?正統な血を持たぬ者が大それた夢を抱くことなど許されないのか?
失意に塗りつぶされた胸の奥に、沸々と憤怒の感情が沸き立ってくる。
敵兵が近づいてハドリヌスの体に触れようとしたとき、彼はにわかに屈み込んで足元の剣を拾い上げ、近づいた兵士へ斬りかかった。太刀筋は敵兵の正面を捉え、斬られた者はそのまま地面へ倒れ込んだ。と同時に、ハドリヌスも幾本もの槍に刺し貫かれ、地面に倒れ、事切れたのであった。




