第三章 動乱の幕開け(4)
「伝令です!」
リフローネたちが広間を去ったあと、ほとんど間を置かずに一人の兵士が飛び込んできた。
「南門の避難が遅れております!このままでは、帝国軍に追いつかれる恐れがあります!」
兵士は息を切らせながら、口早に奏上した。
「わかった。手の空いている者を直ちに救援へ向かわせる。私も出よう」
報告を聞き、ヘルンが直ちに対応に動く。
「父上、行ってまいります」
息子の言葉に、公爵はうなずいて応えた。
「頼んだぞ。くれぐれも油断するな」
「心得ております」
ヘルンはそう言って頭を下げ、足早に広間を出て行った。
後に公爵は、この時ヘルンにもリフローネと同じように女神の加護を祈らなかったことを悔やむことになる。しかしこの時は、目の前の危機へ対処することに、すっかり気を取られてしまっていた。
城を出たヘルンは急いで馬に飛び乗り、数名の騎兵を率いて南門へ続く道を走り下りていった。
坂の上からは、城門の外の様子がはっきりと見て取ることができた。
先刻湖の向こうに見えていた軍勢は、今はもう城壁のすぐ近くにまで迫ってきていた。
ヘルンたちが南の城門へ到着した時、まだかなりの数の領民が城門の外に取り残されていた。その後ろには、猛烈な勢いで迫りくる敵兵の姿が見えた。
「衛兵、前へ出るぞ!」
ヘルンの掛け声に呼応し、二十名ほどの歩兵が城門の外へ走り出て、横隊を組んで盾を構えた。
「押し返せ!」
続く号令に、兵たちはオウ!と声を上げ、隊列を保ったままゆっくりと前進を始めた。逃げてくる民たちをすり抜けさせつつ、敵軍の先頭にぶつかって、盾と槍でこれを押し戻して行く。さらにヘルンと騎兵たちが前方へ出て撹乱する。これで、何とか民の避難が完了するまで敵を留め置くことに成功した。
「衛兵、そのまま下がれ!」
取り残されていた民たちがすべて城門の内側へ逃げおおせたことを確認し、ヘルンは歩兵の撤退を命じた。歩兵隊は、隊列を崩さずに後退を始める。敵兵は追撃の構えを見せるものの、ヘルンが睨みを利かせてそれを許さない。
両者が睨み合い、このまま城門への撤退が完了するかと思われた。
その時、敵兵の中から全身黒い鎧に身を包んだ一人の騎士が進み出てきた。
背に短めの深紅のマントをつけている様子を見ると、身分の高い騎士であるようだが、黒鉄の兜で覆われていて、その顔までは見ることはできない。右手には一振り、赤銅色の槍を携えていた。
(何者かわからぬが、かなりの手練れのようだ)
一見しただけだが、全身から異様な威圧感を感じ取り、ヘルンは注意深く、黒い騎士の前に対峙した。そしてよく響く声で、名乗りをあげた。
「我が名は、ヘルン・リュディシュ・ハーラント。ハーラント公国の公子である!」
こちらが名乗れば、作法に乗っ取り相手も名乗らざるを得ない。この者が何者かを確かめてやろうと思った。
「・・・ロキだ」
低く、くぐもったような声で、漆黒の騎士は短くそう名乗った。
(ロキだと?)
カレンツァ帝国の十二神の一人ロキは、生死を司る神と言われている。この騎士は確かにそう名乗った。一体この者は、ロキの子孫の家系とでも言うのであろうか。それとも、死神を気取っているだけなのか。
正体を知ることはできなかったが、いずれにしろこの場を収めるまでもう少し時間を稼がねばならなかった。
「ロキよ、そなたが誰であろうとも、城内に一歩たりとも入れることはできぬ!近づく者は、このヘルンの槍が悉く刺し貫くと心得よ!」
敵背後の兵たちは、ヘルンのこの言葉に少なからず気圧されたようであった。しかし、漆黒の騎士は全く動じる様子はなかった。
黒い騎士は、勢いよく馬腹を蹴って、ヘルンへ攻めかかってきた。
黒い疾風の如く猛然と突き進んでくる敵を睨みながら、ヘルンも負けじと馬を走らせ、正面からぶつかっていった。
両者の槍が、激しく交わる。
ヘルンは、初手で押し負けてはならぬと強く突き返したつもりであった。が、思いの外相手の槍が重く、彼の槍は大きく弾かれた。
予想外の手応えに、ヘルンは少なからず驚いた。相手の槍は、まるで何か得体の知れぬ力を纏っているかのようだ。再び打ち込んできた槍撃も、強烈な衝撃を彼の腕に叩き込んできた。
繰り返し撃ち合ううちに、やがて槍だけでなく鎧にも、その得体の知れぬ力が備わっていることがわかってきた。
何度かヘルンの槍が騎士の体に届くことがあったが、強い力に弾かれ、鎧に傷一つつけることができなかった。
(これは・・・手強いぞ!)
騎士自身の腕前も高く、その上不思議な力に守られているとなると、どう攻めてよいかわからない。冷静なヘルンの胸中にも、徐々に焦りが生じつつあった。
ハーラントの衛兵たちはすでに城門近くまで撤退していたが、ヘルンが苦戦している様子を見ると、加勢に向かおうとした。しかしヘルンはすぐさま大声でそれを制した。
「衛兵、動くな!これは一騎討ちだ、手出し無用だ!」
動き出そうとした兵たちは、指揮官の命令に反応しその場に固まった。
それでいい。こちらの兵が動けば、向こうの兵も動く。
今や相当の数の敵兵が、黒い騎士の背後に集結しつつあった。ここで乱戦になってしまったが最後、城門に引き返す間もなく飲み込まれ、そのまま城壁内へ雪崩れこまれてしまうだろう。
夕陽が、大地を赤く染めていた。
黒い鎧が陽光を受けて鈍く輝いている。
お互い睨みあった後、意を決してヘルンが動いた。
馬を全速力で走らせ、矢のごとく相手に迫る。
黒い騎士も素早く反応し、槍を鋭く突き返した。・・・が、その動きはほんの僅か相手に遅れることとなった。
ヘルンは、沈み行く夕陽を背にしていた。彼は、両者が交わる寸前に、その夕陽を自身の背に隠した。そしてまさにお互いが衝突する瞬間に、ヘルンの右肩から覗いた夕陽が、黒い騎士の視界を遮ったのだ。
手練れのロキが遅れたのは刹那の時だったかもしれない。だがもうその時には、ヘルンの切っ先がロキの喉元へと届いていた。
鋭い金属音が、大気を震わす。と同時に、騎士の兜が勢いよく中空を舞った。
兜の下から、鮮やかな銀色の髪が露になり、風にたなびいた。騎士の後ろで、弾かれた兜が鈍い音を立てて地面に落ちた。
かけられた術のせいか、頭部に傷を負わせることはできず、兜を弾き飛ばすだけに留まったようだ。だが、ヘルンの渾身の一撃を受けた衝撃は、騎士の槍先をずらす効果を得た。
ロキの槍は、ヘルンの胸を外れ、右の肩当てを弾き飛ばしていた。
ヘルンの右肩に、じわりと赤黒い染みが広がる。
「勝負は・・・預けておく!」
今が頃合いと、ヘルンはそう宣言し、急いで城門へ引き返した。
ヘルンが城門をくぐると、衛兵は即座に門を閉ざした。
重い音を立て、城門は閉じられた。危ないところだったが、彼らは何とか撤退を完遂することができたのである。
後に残されたロキは、まだ衝撃の余韻が残っているのか、額を左手で覆っていた。その顔は、何を思ってか複雑に歪んでいた。
あるいは、惜しんでいたのかもしれない。
かのような好敵手は、二度と現れぬだろう、と。




