↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宿題ですよ、朔夜部長! ~怪物上司と腹ペコ秘書の社内事件記録~  作者: 上山流季
第一話「認めてください、朔夜部長!」
PR
11/11

1-10・エピローグ ~うなぎと共に去りぬ~

 私は会社を早退し、朔夜(さくや)氏の呼んでくれたタクシーで自宅へ帰り着いた。うなぎを持って。

 荷物を全部床に、うなぎだけはテーブルに置いて、ソファに腰掛ける。硬い。職場の高級ソファに完全に慣れてしまった。家のソファはまるでお煎餅だ。

 天井を仰ぎ見る。私は、落ち込んでいた。大きな失敗だった。

 薄野(すすきの)さんにも、米川(よねかわ)さんにも、合わせる顔がない。

 薄野さんは、まだいい。納得しての異動だ。きっと彼女の人生は、朔夜氏の言うとおり新しい部署でリスタートする。

 しかし、米川さんはどうだ? 仕事を続ける限り、朔夜氏の言うことに逆らえない人生って。私が抗った恐怖政治を米川さんには適用するってこと? 全然理解してないじゃないか、あの怪物上司。脳内コマンドが『支配』『圧力』『利用』『管理』しかないのか? いくら今回の犯人だからといって、ここまでの仕打ちを受けていいはずがない。

 意識的に深呼吸をしてみる。が、駄目だ。

 漂ううなぎのいい匂いに、どうしても心が惹かれてしまう。

 身体を起こし、早めの晩御飯を見つめる。

 テーブルの中心に置かれた、緑色の風呂敷包み。結び目を解くと、高級感のある四角い器が黒い光りを放っていた。まだほんのり温かい。蓋を開けると、白飯の見える隙間もないほど大きなうなぎがドンと乗っていた。

 生唾を飲み込む。この食欲を、もはや止められなかった。

 割り箸を取り出し、パチン、と開く。

 箸先でうなぎを崩し、一口分にする。タレの絡んだ白米と共に、口に運んだ。

 ふっくらと焼き上がったうなぎに、濃いタレの味が絡む。なんてことだ。一口食べたら、もう止まらない。二口、三口。頬張るたびに食欲と元気が湧いてくる。

 なんて美味しいんだろう。

 目に涙が滲んでいた。美味しかったし、嬉しかった。朔夜部長はこんなに美味しいうなぎを差し入れた上、早退の許可までくれる人なのだ。一方で、事件をうやむやに終わらせて、米川さんを絶対服従させる人。そのために被害者であるはずの薄野さんを異動させる人。おかしいだろ。温度差で風邪を引きそうだった。

 気が付くと、黒い重箱は空になっていた。まさにぺろり(・・・)、至福である。

 満腹になって落ち着いてくると、急に『なんとかなるか』という気がしてきた。

 そもそも、米川さんと朔夜氏、両者間の問題だ。私の出る幕ではない。米川さんは米川さんの行動の責任を引き受けるだけだし、朔夜氏は、それを利用するだけ。私はそれを知っているだけ、見ているだけ。どうすることもできないし、どうにかすべきではない。それは私の仕事ではない。

 RIP、米川さん。今後のご活躍をお祈り申し上げます。

 食器を洗い、洗濯機を回し、ついでにお風呂に入ってしまうことにする。夏は暑いのでシャワーで済ませ、ジャージとTシャツに着替え、扇風機の前で髪を乾かす。しばし身体の熱気を冷ましてから、やれやれと立ち上がって洗濯物を干した。

 現在時刻、驚きの午後八時。

 あとは、もう寝るだけ。それまで自由時間。アニメを見てもいい。マンガを読んでもいい。ゲームで遊んでもいい。なんなら、仕事をしても――……

 頭に朔夜氏の顔が浮かぶ。職場に一人残してきてしまった。本当なら、九時までオトモする予定だったのに。

 彼はまだ残業しているのだろうか?

 床に置かれた仕事鞄を見やる。立ち上がり、鞄からノートパソコンを取り出す。テーブルの上に開いて電源を付け、メーラーを起動させる。

 朔夜氏宛てのメールに本文を打ち込もうとして、一瞬、指が止まる。

 いや、確認するだけだ。まだ残業しているのかどうか。

『お疲れ様です。まだ会社ですか? ご帰宅の場合、返信は不要です』

 朔夜氏にメールを送信すると、ため息とともにパソコンを閉じた。これでいい。マンガでも読んで待っていよう。今夜中に返信がないことを祈る。

 直後、メーラーの通知音が響いた。

 慌ててパソコンを開き、宛先を確認。朔夜氏だ。

『お疲れ様。体調はもう大丈夫? 来週からもよろしくね』

「即返信ってことはまだ職場やないかい!」

 勢いよくツッコんだら、ふつふつと怒りが湧いてきた。

 ジャージと柄付きTシャツを脱ぎ捨て、無地の白Tシャツとビジネスカジュアルボトムに着替える。パソコンを鞄にしまい、適当な靴下を履き、スニーカーへ足を突っ込み、家を出た。

 駅で快速に飛び乗り、座るのも惜しく、立ったまま過ごす。

 駅から外に出た途端、ベタつく熱気が襲い掛かってくる。振り払うように職場へ走った。息が切れ、汗が滴り、頭が熱暴走を起こしそうに暑い。

 裏側通用口から社屋へ入り、エレベーターへ。この隙に呼吸を整え、今度は財務管理部・部長室へ向かって薄暗い社内を駆ける。私の動きを感知して、廊下の電気がついたり消えたりした。

「朔夜部長ォァッ!」

「うおっ」

 いつものように眼鏡をかけ、部長室デスクに座って仕事をしている朔夜氏と目が合った。

 現在時刻、午後八時半。

「ど、どうしたの……? 体調は、もう大丈夫そう……?」

「うなぎパゥワーで、なんとか」

 私はローテーブルに鞄を置き、ソファに座り込んだ。汗でベトベトだ。折角お風呂に入ったのに。それでも、室内はエアコンがほどよく効いて快適だ。なんなら、ちょっと暑いくらい。

 朔夜氏がデスクから立ち上がり、ソファの隣に腰掛ける。

「もしかして、走って来たの? どうして? 議事録は、来週でいいよ?」

 私は呼吸を整え終わり、朔夜氏のほうを向いた。

「朔夜部長。今日は何時まで残業するご予定ですか?」

「十時くらいまでかな」

「九時ですらないんかい! どのくらいの頻度で残業されてます?」

「週四か五くらい」

「ほぼ毎日やないかい!」

 私は、朔夜氏の前でクソデカため息をついた。

「帰りましょう、朔夜部長」

「いや、俺はもう少し……」

「新しい宿題を用意してきました」

 朔夜氏は一度、名残惜しそうにデスクを見てから「なに?」と私へ向き直った。

「動画配信サービスにおいて、配信されているアニメを最低一つ以上完走してください」

「そ、それ、俺にメリットある?」

 過去一当惑している朔夜氏に私は笑顔で頷いた。

「もちろん! 私も、同じタイトルを視聴します。出勤したら、まず、私とアニメの感想を語り合ってください。一日一話、週五ペースです」

「それを続けたらどうなるの?」

「社員たちとの話題が、ひとつ増えるでしょう」

 朔夜氏は顔をしかめた。コストとメリットが見合わないと感じているのだ。

「いいですか、朔夜部長」

 目を見て、言って聞かせる。

 私の武器は自信と威厳に満ちた的確な説明。『このプレゼンターは自分の知らない世界の魅力を教えてくれる』そういうワクワク感だ。

「現代日本において、流行りのアニメを押さえておくことは営業戦略としてマストです。仕事が出来るだけでは駄目なんです。仕事以外の人間味の部分、たとえば共通の話題で白熱したとき、人間は他者に惹かれます。朔夜部長にはそれが欠けている」

「誤解だったら申し訳ないんだけど、君は、俺に人間的な魅力が足りないって話をしてるのかな?」

「そのとおりです」

 朔夜氏は、ポカンと呆けた顔つきになった。

「……受けたことのない評価だ」

「しかし! 私からの宿題をこなせば、あなたは! 人間的な魅力を増していく! いま受けた不名誉な評価を覆せる! かも! しれません!」

 朔夜氏は黙って俯いた。考えている様子だ。

 営業から聞いたテクを思い出す。まず、考えさせる時間を与えては駄目だ。

「朔夜部長、パソコンはもう閉じても大丈夫ですか?」

 尋ねながら立ち上がると、朔夜氏は「自分でやる」とソファを立った。作業を保存し、シャットダウンさせ、画面を閉じる。

「忘れ物はありませんか~?」

 自分の鞄を手に尋ねると、朔夜氏はパソコンを鞄にしまい、ハンガーのジャケットを羽織り、帰り支度をし始める。

「眼鏡眼鏡」

「おっと」

 かけていたブルーライトカットの仕事眼鏡を外し、ケースに入れてから引き出しにしまう。

「電気消しまーす」

 足早に入口まで駆けてくる朔夜氏。

 私はエアコンを止め、最後に電気を切った。二人、並んで廊下を歩く。

「何のアニメが見たいかは、朔夜部長が選んでくださいね」

「最近のアニメをよく知らないんだけど」

「では、候補をリスト化して明日にでも送ります」

「今日。今夜中」

「薄野(すすきの)さんのオススメ本は、もう読み終わりました?」

 朔夜氏は一拍黙って「まだ途中」と言った。

「じゃ、アニメのリストは明日で構いませんね」

 言い返せなかったらしく、朔夜氏は舌打ちした。

「ほかには? ほかの宿題。並行してやったほうが効率が良い」

「宿題はひとつずつです。過度な効率化は仕事人間度が高いですよ~?」

「でも、本だけだとすぐヒマになっちゃうよ」

 私は「うーん」と考えるフリで朔夜氏を焦らした。

「じゃあ、こうしましょう。気になるアニメの一話をいくつかザッピングするんです。その中で、一番気に入ったアニメを継続視聴する。これは毎日アニメとは別枠です」

「わかった。報告会はどうする?」

「ただ見るだけで大丈夫です。たまに感想は聞きますけど。アニメ以外でも大丈夫ですよ」

「たとえば?」

「映画とか、ドラマとか、マンガとか、ゲームとか。それこそ本でもいいと思いますよ」

 朔夜氏はため息をついた。

「注文の多い秘書」

 どの口が言ってるんですか。

 社屋を出る前、我々は警備室に立ち寄り、もう帰ることを告げた。

 警備の人は「今日は早いね!」と笑顔で言った。

 早くはないだろ。

 私は満面の笑顔で「今後は控えさせます」と宣言した。

 朔夜氏と警備の人は、驚いたように顔を見合わせた。

 外に出ると、むっとした熱波に煽られる。

 我々はそのまま最寄り駅まで歩いていく。

「さて、朔夜部長。残業は毎日一~二時間に調整して、帰宅後はアニメを見るなどしてくださいね。週に一日は定時退社デーとします。特に、財務管理はいま閑散期ですからね」

 朔夜氏が頭(かぶり)を振った。

「信じられない……」

「休日の宿題として、カフェ巡りも実装予定です」

「クラクラしてきた」

「そういえば朔夜部長、晩御飯には何を食べました?」

「まだ。これから」

「今すぐ何か食べに行きましょう!」

 このあと、朔夜氏と入ったファミレスでサイドメニューを複数頼んだら「うなぎを食べたあとなんだよね?」と驚かれることとなる。

 こちとら全力疾走のあとで、小腹が空いてるんですけど!?

 なにが問題なんですか!?

 割り勘のつもりだったのだが、朔夜氏は笑いを噛み殺しながら伝票を手元に引き寄せた。

「鴻(おおとり)さんって本当に面白いね」

 もちろんデザートも注文した。




◆第一話「認めてください、朔夜部長!」 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。