第86話 ヒメネスの凱旋
未来世界への帰還は、結局年明けまで待たなくてはならなかった。
当初の計画では、この昭和30年代の日本に未来人たちによる強固なベースキャンプを設営し、今後の調査、外交の要とするつもりだったがそうもいかず、最小限の人数を残していくことしかできなかった。
もっともヒメネスの立場からいえば、彼女は最初から今回の遠征でアゲハとの決着をつけるつもりだったわけであるから、これは想定の範囲内であったろう。
日本政府要人たちに見送られて、船団は昭和35年の空へ昇っていった。
この時代の人間からすれば「もう来なくていいぞー」が本音だったろう。実際この時点では、次の来訪についての具体的な計画は(少なくとも公には)何もなかった。
前年6月の合戦から数か月のあいだ、ユキナガとハツはほぼ制限のない中で生活することができた。
それはリンドウから『出ていきたいのならば好きにしていいんだよ』と、暗に言われているような状態だった。牢獄の扉は常に開きっぱなしだった。
しかしそれでも、夏目ユキナガと田中ハツは彼らが生まれた未来世界へと帰っていった。
未来世界において救助隊の編成に時間を要した都合で、出発した日から約3か月後の時間へ、リンドウ船団とアゲハの生存者は帰還した。
乗員の家族へは政府からの説明がされていたので、ユキナガはそこまでの混乱はなく故郷に帰り、元の生活に戻ることができた。(ただそうはいってもいろいろなことがあった)
ハツは当面、夏目家で暮らすことになった。
帰還から1か月後に行われたリンドウ船団の解散式にて、ヒメネス博士は久しぶりにその姿を見せた。
式典はヒメネス博士の凱旋をたたえる宴となった。
未来世界にはアゲハ社が残存しているが、リンドウの一部門として吸収される方向で協議が進んでいた。
アゲハ側の生存者は多数いる。彼らには彼らの言い分がある。しかし彼らの言葉は時代という形のない、よくわからないものに押しつぶされていくだろう。それが敗北というものの具体的な意味合いだった。
この日横須賀の式典会場には10万の群衆が集まったとされる。
大きな壇上でヒメネス博士は自分のことを讃える人の波を眺めた。彼女の傍には騎士グスタフが控える。
「ヒメネスは少しずつ表舞台から姿を消していく。そんな選択肢もゆくゆくはあるのかもしれない。しかし今は不可能だ。この世界はマリア・ヒメネスをいまだ必要としている。グスタフ、どうかこれからもこのわたしに力を貸してくれ」
「もちろんです」
群衆の中に紛れて、ペドロがヒメネス博士を見上げて微笑んでいることに気づいた。ヒメネス博士は寂しそうに微笑みを返した。
ペドロさんはそのときどうなるのか。ヒメネスの言葉を心の中で反芻しながら、グスタフは思った。
それから彼女に尋ねた。
「あなたはこれでいいのか?」
「泣きたいときは一ノ瀬アンがヒメネスの代わりに泣いてくれる」
この日、この世界に新たな王が誕生した。
元々一つだった企業が二つになり、そしていま時を超えて再び統合される。国内において他の追随を許さぬ超極大企業として。
そしてヒメネス博士は、時代の主導権というものを握ることになった。祭り上げられた。
解散式はユキナガも呼ばれた。今回の戦いにおける功労者の一人として。
あのときユキナガは敵将ムニョスを助けようとした。それは彼にとってリンドウもアゲハもない、一人の人間としての行動だった。しかしそれは美談として祭り上げられた。政治の道具とされた。
リンドウはアゲハを救おうとした。戦場という極限の場において、リンドウは人間であり続けた。
ゴンゾーも呼ばれていた。戦闘機で出撃して敵陣深くまで斬り込んだ彼が撃ち落とした敵機の数は二けたに登ったという。それはロッテおばさんの死により激高した結果であり、エースと呼ばれるに値する戦果だった。
カメラマンたちはゴンゾーに笑顔を求めたが、彼はその要求には応えなかった。
「笑えるわけない」
ゴンゾーは救いを求めるように傍らのユキナガにつぶやいた。
式の後半では戦死した者たちの栄誉を称える場面があった。大きなスクリーンに亡くなった人たちの在りし日の姿が映し出された。
ロッテおばさんの笑顔がスクリーンに流れた。それを見ても民衆は静かだった。だれも彼女がどんな人間だったのか、何をしてくれたのかを知らない。
うつむいていたゴンゾーが顔をあげて、彼女の笑顔を見上げた。ゴンゾーの顔がゆがんだ。その目は涙にあふれた。彼はロッテおばさんに向けて笑おうとしたのだと思う。彼女の励ましに応えようとしたのだと思う。でもできなかった。
同じく壇上に立っていたハツとミユは、ロッテおばさんにいつまでも拍手を送っていた。
ヒメネス博士は群衆に笑顔で手を振り続けていた。王者の笑顔。彼女はユキナガに近づいてきた。
「ユキナガ氏、今日の式典でこっちの要望どおりに振る舞ってくれたこと、改めて礼を言うよ。不満だったろうに」
「不満なんて何もないです。ヒメネス閣下」
「ほら、ちょっと怒っているときのやつ」
ユキナガはため息をひとつついた。
「ヒメネス博士、もし僕に功績というものがあるのならば、その見返りとして、褒美を与えてはくれませんか?」
「うん、何かしら報酬はあたえるつもりだったよ。もっと言えば、合戦のあと、あの昭和34年の世界で、わたしは君とハツちゃんにプレゼントをあげたつもりだった。」
「あなたの言葉の意味は理解しているつもりです。ただ、あの数か月の日々で僕の心ははっきりと決まった」
「聞こうか」
「時間移動の権利をください。いまは法律で規制している。誰でも彼でも好き勝手に時間旅行はできない。認可されているのは国や一部の大企業だけだ。その特別な権利を僕個人にください。まあその術はいまの僕にまだありませんが」
「時空移動の認可?」
「時空移動船を僕は持っていませんけどね。始めてみたいことがある」
ヒメネスはユキナガの瞳の奥を覗き込むように見つめた。
「ふむ。どうやら君はわたしの商売敵となるわけだ。いいだろう。歓迎するよ。夏目ユキナガ。君に時間移動のご免状を与えよう」
式典の後、ヒメネス博士と騎士グスタフだけになったとき、グスタフはつぶやいた。
「知識に富み、野心にあふれている。自分の願いを叶えるためならばいかなる危険も恐れない。そしてそれと同時にとても老成して見える。夏目ユキナガ。どういう男なのか」
「ユキナガ氏とハツちゃんはこの世界のゲームチェンジャーとなりうる存在。ながい付き合いになりそうな気がするよ」
この時期、ひとりの詩人が書き残した。
人々の鬱屈した気持ちを晴らすすべが、わたしにはわからなかった。それは不可能に思えたものだ。
しかしマリア・ヒメネスは自らの英雄的な行いによって、明らかな答えをわたしの前に示した。
そうか、時をさかのぼればよかったのか!
それだけでよかった。それが唯一の方法だった。
そうすれば我々は闇を抜け出すことができたのだ。
ユキナガはその新聞記事を始めから最後まで読み終えてから、びりびりと破って投げ捨てた。
一年後、ユキナガは高校を卒業した。




