第61話 記憶
「クララ、わたしから離れないで。大丈夫よ!」
「お姉ちゃん、パパとママは?」
「わたしたちはムニョスに騙されたんだ。甘かった。こんなことになるなんて」
ヒメネスは小さな女の子を抱きしめて辺りを見回す。生きる可能性を探そうとする。
小型の時空移動船の中、激しい振動。室温が上昇して、アラームというアラームがすべてけたたましく鳴っていた。小さな窓の外はオーロラのような光と闇の束が荒れ狂っている。
その全てが、ヒメネスが乗る船の陥った致命的な異常を示していた。
「友達のような顔で近づいてきた悪魔め。あの男はこのチャンスをずっと狙っていた」
「お姉ちゃん怖い」
「こっちよ」
移動船の後部は一番強度がある。助かる可能性が1%でもあるとすればその場所だった。
手をつないで駆ける姉妹。
何かが破裂した音。
船が割れた。引き裂かれた。
その衝撃で、二人は強く握っていた手を離してしまった。
船は真っ二つになり、姉妹はそれぞれに取り残された。
「クララ!」
「お姉ちゃーん!」
最後の声はかろうじて届いた。
二つに裂けた船は光の激流に飲み込まれて、あっという間に互いに遠ざかり、見えなくなった。
ヒメネス博士は自らの叫びとともに、夢から醒めた。
リンドウ丸船内の個室。仕事用の机で彼女はいつのまにか眠ってしまっていた。
「マリア、大丈夫だよ。夢を見ていたんだね」
傍らには夫のペドロが寄り添っていた。
「ありがとう、ペドロ。平気、わたしは平気だよ」
「お茶にしようか?」
いつもは機関室で荒くれた部下を相手に大声を張り上げることが多いペドロ親方。
紅茶を上手に入れる物静かな姿を見せるのはマリア・ヒメネスに対してだけだった。
「家族の夢かい?」
「楽しい思い出もたくさんあるのに、夢に見るのはあの日のことばかりだ」
「優しい人たちだった。小さな可愛い君の妹。きっとマリアの幸せを祈っている」
「でもわたしは幸せの文脈にはいない」
「そんなことない」
一日がはじまる。ふたりはそれぞれの職場へ向かう。ペドロはリンドウ丸機関室。ヒメネス博士は司令塔。
ヒメネス博士がエレベーターで司令塔である第一艦橋に到着すると、乗員たちが敬礼で出迎える。堅苦しいことは苦手であるが、規律も大切なので、仕方がない。
敬礼をといて、ヒメネス博士は陽気に声を上げる。
「おっはよー。今日も、しくよろで~す」
乗員たちの表情が少し緩んだ。
さっそく各部署の長からの報告に目を通す。自分の夫からのものもそこには含まれる。
今朝は新たに指示、決断すべき事柄はなく、一区切りがついたところで少し休憩をとることにする。
休憩室で一人でコーヒーを飲むヒメネス博士。休憩中の彼女に声をかけることが許されるのは騎士グスタフだけというのが、暗黙の慣例になっていた。
ヒメネス博士に身に覚えはなかったが、声をかけられてとても嫌そうな顔を見せてしまったことがあったのだろう。
わたしはこんな立場に着くべき器じゃない。彼女はあらためて自嘲する。
おどけてもおどけても、すべてを見透かされているのだろう。
「おはようグスタフ」
「おはようございます。ヒメネス博士」
堅苦しさ120%のグスタフであったが、ヒメネス博士が休憩をしているときは仕事の大事な話はほぼしない。へたくそな世間話をしてくることさえある。
ヒメネス博士を誰よりも案じてくれる忠実なる騎士。
「グスタフはクララを覚えている?」
「忘れるわけがないでしょう。わたしにも懐いてくれていた。あの頃のわたしは今よりいかつい姿で、小さな子供には怖かったと思うのですが」
「そんなことはないさ。クララは君の前の姿が好きだったよ。案外愛嬌があった」
司令塔に戻る廊下で、ヒメネス博士は独り言のように傍らのグスタフに語り掛けた。
「マリア・ヒメネスには責任がある。わたしが、時代をさかのぼる方法を見つけた。見つけてしまった」
「それは人類史に残る偉大な発見です」
「わたしが生み出したものは新たな争いの火種だ。停滞感に満ちてはいてもこの百年、人は平和を保ち続けることができていた。人類が成長したからではない。戦う理由に乏しかったからだ。その消極的な平和は、わたしが新たな金脈を見つけたことにより破られた。人は再び自分の利益のために争い始めた。奪うものと奪われるものが次々と入れ替わる時代。わたしは新たな均衡を作る責任がある」
午後には田中ハツのワームホール機能を使って、アゲハ号に移動する。
『一ノ瀬アン』に姿を変えて、ムニョス男爵の腹心としての職務を果たす。
この1年、家族を奪った男のもとで働き、みるみる頭角をあらわし、ヒメネス博士にとっては明確な敵であるアゲハ船団を内部からコントロールしようとした。
彼女が復讐を果たすその日のために。
(正直、一人二役は死ぬほど面倒くさかった。この前の名古屋でなんていったりきたり最悪だった。でも、あともう少しだ)
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