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第29話 祝砲

 ユキナガとヒメネス博士の科学談義がおわり、博士は去った。


 ハツが尋ねた。

「ユキナガくんは勉強が苦手だといっていたような。あれは嘘? 天才科学者と専門的な話について互角に渡り合っているように見えたけれど」


「学校の成績はひどいよ。さっきみたいな科学や物理についての本は前世で野球選手を引退した後にまあまあ読んでいたから、あのくらいならばなんとか理解できた。でもあんな内容を学校のテストではやらない。懐かしいな。『フェルマーの最終定理』なんかも夢中になって読んだ」


「フェルマーの最終定理? 聞いたことがない単語」

「まじか。ああでもそうか、そういう知識もこの世界では失われているんだろうな」


 ちなみに時空をさかのぼるエンジンの呼称だが、最初『磁力エンジン』と呼んだら、(磁力やないかい!)と人々からものすごい拒否反応があったそうだ。


 太陽フレアの磁気嵐によって取り返しのつかない損害を受けた人類にとって、磁力という言葉はやはりイメージが悪かったのだ。


 それで『マグネティコエンジン』とひとひねりした名前にしてみたら、(ほな磁力ちゃうかー)と、全く同じ内容のものが今度は割とすんなり受け入れられた。


 人というやつはいつまでたっても。


 リンドウ丸の船内へ入り、ユキナガとハツは甲板に出てみた。


 あたりのようすがよく見える。


 港内にはたくさんの見物人が詰めかけていた。


 何隻もの軍艦がリンドウ丸の周辺に佇んでいる。総勢8隻の時空遠征艦隊。


 艦の後ろの方を見ると、ヒメネス博士が言っていた『ゼンマイ式マグネティコエンジン』のプロペラ部分がゆっくりと回転を始めていた。近くでみると巨大だった。


 まわるにしたがって、プロペラの周りがなんだか歪んで見える。磁力エネルギーをチャージしているのだ


 突然、大音量の音楽が始まった。音はリンドウ丸のスピーカーからだった。湾内のあちこちにも数個の大型スピーカーがあるようだった。


「なんだ? このアイドルの曲っぽい音楽は」

「ぽいというか、アイドル曲そのもののようです」


 ハツの視線の先をユキナガがたどると、そこにはメイド服姿でツインテールの小柄な少女がいた。


 それは出航を華やかに彩る人気アイドルAIヒューマノイドみゆみゆのミニライブだった。


 甲板の一段高いところに簡易的なステージが作られていた。


「みゆみゆー!」

 ファンの歓声が船まで届く。


 リンドウ丸ではなく完全にみゆみゆが目当ての見物人が大勢いた。


「みんなあー、大好きだよう! みゆみゆ行ってくるねえ!」

 軽やかに踊るみゆみゆ。鼻にかかったふわふわな歌声が湾内に響き渡った。


「あ、この曲、ストーンズのアレンジだ。いいね」

「ストーンズ?」


「むかーしのバンド。ローリングストーンズ。なるほど再発見した貴重な音楽をいろんな擦りかたしているんだな。初期のストーンズはこういうアレンジも似合うな」


 大きな空砲が鳴った。最初の一発を皮切りに湾内の戦艦が次々に空砲を発した。


 出発のときを告げていた。祝っていた。空が砕けたかのような轟きと煙。


 見送りに来ていた人々から歓声が上がる。


 戦艦の一隻が先駆けとして浮かび始める。


 リンドウ丸の巨大なプロペラ。いっぱいまで回しきったゼンマイ型磁力エンジンが解放されて逆回転を始めた。


 磁力が逆流して、重力が逆流して、そして時間が逆流する。


 これは失われた歴史を取り戻すための、時代の大分岐点。


 リンドウ丸が振動とともに浮上を開始した。


 他の船たちとともに晴れ空に向かって高度を上げる。


 その壮大な光景を目の前にして、少年はつぶやいた。

「僕は野球のある時代で生きたい」


 彼はこの時代に戻ってくるつもりはない。


 ハツがもういちどみゆみゆの方をみると、歌い終わった彼女が放心したように立ち尽くしていた。


 空や、人々や、海を、みゆみゆはぼんやりと見つめていた。

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