第23話 ユキナガ大いに語る
5人の面接官は椅子にのけぞったり、ペンを揺らしたり、それぞれの姿勢でユキナガの話を聞いた。
「歴史、文化、僕たちがとりもどすべきものはたくさんあります。そしてそのなかには、今の人間がその存在すら忘れてしまったものがあります。とても大切にしていたのにそれが何だったか思い出せない。でもその喪失によって心は確実に傷ついている。水の足りない草花のようにくすんでいる。僕がその一つと考えるもの、中心と考えるもの、それが野球です」
ユキナガの言葉に、面接官の一人が聞き返した。
「……野球?」
それはその面接官にとって意外な単語のようであった。おそらくは初めて聞く単語だった。
ユキナガは話を続ける。
「野球です。僕の少ない経験の限りでいえばこの世でもっとも楽しい遊び。あんなに面白いものはない。人がその一生をかける価値のあるもの。ただここで僕がみなさんにお話をするうえで強調したいのは、『見る娯楽」としての野球です。学生野球にプロフェッショナルの野球。それを見ることが生きがいだった人々がかつてはたくさんいました。僕が野球を特に好んでいたので野球に偏った言い方をしてしまっていることはお許しいただきたいのですが、ほかにも世界的に人気があったサッカー、日本でいえば相撲だって根強いファンがいました。たくさんのアマチュアスポーツとプロスポーツは長い間人々の心をときに慰め、ときに奮い立たせてきたのです。それらが衰退していった理由はいろいろです。それぞれに異なるものもあれば共通するものもあります。プロスポーツに限って言えばそれを求める民衆の熱意は変わらなかったのに、見せる側、提供する側が、人を楽しませるという本分以外のことに捉われすぎてしまったということです。いま失われた娯楽を取り戻そうという動きはあります。映像作品だったり、書物だったり。それも大事なことでありますが、みるスポーツというものがそこに含まれていないことが自分としてはとても不満があります」
別の面接官が口を挟んだ
「運動不足はよくない。みんなで楽しむレクレーションも大事だ。そういったものの重要性は理解しているつもりだが」
「そうですね。この時代のみなさんのスポーツに対する認識はそんな感じだ。そしてそこで留まっている。仕方がないことなんです。かつてこの日本にプロ野球が芽生えた時も同じ現象が起こりました。野球は若者が心身を鍛えるためのものであって、それを見世物にして金を稼ぐなどというのはけしからん。そういう考え方をする人が多かったです。プロ野球が生まれてもしばらくはその状態だったそうです。そのため学生野球のほうがプロ野球よりも人気がある時代というのは結構長かったみたいです。日本でその状況を変えるには一人の天才の出現を待たなければならなかった。そう、長嶋茂雄です」
「ちょっと」
また別の面接官がユキナガの話をさえぎった。
なんだろう、これからが熱いところなのに。
「もうだいたいわかったから大丈夫かな。歴史についての話を聞きたかったのだが君は話したくないようだ」
「え、いま話してたじゃないですか」
「してないよ。君は歴史の話をしていない。年若いから仕方がないのだろうが、君は歴史の本質というものがまだ分からないのだろう。かといって合格するためには何かを話さなければならない。それでいろいろと絞り出した努力は認めるが、ここは作り話の上手さを審査する場ではないんだよ」
「僕は作り話なんてしていません」
「そうはいってもねえ。みなさんこの子の言っているようなことをいままで聞いたことがありましたか」
面接官たちは笑みを浮かべて首を振った。
「野球なんてゲームを聞いたことがない」
「他人が運動している様子を金を払って見るなんて商売がなりたつわけないだろう。まああったとしてだ。それがけしからんとまでは思わないが、確かにあまり品のある商売ではない」
ユキナガは椅子から立ち上がった。反論した。必死だった。試験に受かりたいからだけではなく。
「たしかにそういう考え方が存在するのは自然なことだと思います。それが日本のいいところだとも思います。しかしそれが変わることによって、見るスポーツの隆盛によって生きる力をもらえた人がいたんです」
僕のように。
「もういいよ、リアリティを増すためにとっさに架空の人物を作り上げたんだろうが、長嶋茂雄なんて人はいなかったんだろう?」
耳を疑った。
あの長嶋茂雄だぞ。彼がいなかっただって?
その虚しい言葉にユキナガはなんだか足の力が抜けてしまって、椅子にへたりと座り込んでしまった。
ことの顛末をハツに話し終えたユキナガは、寂しそうに笑った。
「そして不合格。いろんなこと考えながらふらふら歩きまわっていたら、同じような君に会った」
「くやしいね」
「……うん、悔しい」
二人はそれからベスパに乗って、海が良く見える場所まで行ってみた。そこからはリンドウ丸やほかの戦艦が良く見えた。
「もう帰るしかないよね。あなたの故郷に」
ハツは夜に移り変わっていく空を見上げながらつぶやいた。
彼女の瞳と似た色の空だった。




