今世を生きる
「ん……」
重い瞼を開け、ぼんやりと視界に入ってきたのは見慣れた天井だった。
「……ここは」
「お嬢様、お目覚めになられたのですね!」
そう声を上げた私付きの侍女……ミアに尋ねる。
「婚約パーティーは?」
「一週間前に終わりました」
「……一週間!?」
起きあがろうとして身体がだるいことに気が付く。
「お嬢様は一週間高熱でお倒れになっていらっしゃったのですよ。
王太子殿下の腕の中でぐったりされているお嬢様を見た時は血の気が引きました」
「……腕の中!?」
「はい。王太子殿下がお嬢様をこの部屋までお運びに」
「……全く覚えていないわ」
「熱を出されたのは、初めて馬車に乗られた時以来ですからね。今はゆっくりお休みになってください」
こちらお水です、と渡された冷たい水を「ありがとう」と受け取り、渇いた喉に流し込む。
確かに飲み込む際に喉が痛く、咳き込みながらも無理矢理飲み干した。
「大丈夫ですか」
「えぇ。少し喉が痛むだけよ。……お母様達は?」
「とても心配されていらっしゃいます。お嬢様がお目覚めにならないかと、伯爵様と御坊ちゃまも仕事が手につかないと」
(全く過保護なんだから)
私は息を吐いて言った。
「私は大丈夫ですとお父様とお兄様に伝えて。それから、私のことはご心配なさらず仕事はきちんとこなしてくださいとも。
後お母様を呼んでいただけるかしら? ……あっ、風邪を移してしまったら大変ね」
「お医者様からはどなたかに移るものではなく、疲労によるものとのことです」
ミアの言葉に、私は安堵の息を吐く。
「そう……、良かった。では、お母様を呼んでくれるかしら?」
「かしこまりました」
「それと、貴女達にも迷惑をかけたわね」
その言葉に、ミアは怒ったように言う。
「迷惑なんて! むしろお嬢様は普段から私共に気を遣いすぎなくらい一人で何でもやってしまわれるのですから、こういう時くらい私共に頼ってくださいませ」
「ミア……」
(そうかもしれない)
前世で王女だった私は、一人で何でもこなさなければと思っていた。
国王陛下と王妃殿下の間にようやく生まれた自分が王子でなかったことから、散々陰で悪口を言われるのをよく耳にしていた。
だからこそ、胸を張っていなければと思っていた。
ハロルドが仕えてくれてからは大分違ったけれど、それでもどこかで自分は王子ではないこと……国王にはなれないことにコンプレックスを感じていた。
(でも今は違う)
私はもう、王女ではない。
私は、“クレア・ワイト”ではなく、“クレア・オルコット”として生きている。
だから。
(もう少し、肩の力を抜いて良いんだ)
「……ミア」
「はい」
私の頭に固く冷たいタオルを当ててくれた彼女にもう一度礼を言う。
「本当にありがとう」
「! ……はい」
彼女は笑みを浮かべてお礼を受け取ってくれると、「奥様を呼んで参ります」と言って部屋を後にする。
その姿を見送ってから、ふーっと長く息を吐いた。
(……確かにミアの言う通り、風邪なんて引いたのは記憶を取り戻した時以来ね)
健康管理は身体の資本だと思っていたけれど。
(疲労からの風邪で一週間も眠ってしまっていたなんて……)
しかも王太子に運ばれて……。
「ってもしかして私……」
唇にそっと手を当て、頬に熱が集中するのが分かる。
(彼にキスされて泣いてそのまま気絶してしまった!?)
信じられない、何という失態……!
(しかも絶対に彼に誤解を与えてしまったわ)
そう考えてから気が付く。
「……いや、誤解を与えたくらいが丁度良い、のかも」
だって私は、所詮“仮”の婚約者、でしょう?
それに、とあの日のことを思い返す。
(私がレスター様とお話しをして部屋から出た時、彼はキャロル様をエスコートされていらっしゃった……)
どうしてあの場にいたのか。それは彼も同じだけど。
(でもきっと、彼は会場にいない私を探してくれていた)
だからこそ、彼が敵対視しているのであろうレスター様と一緒にいる私を見た時、悲しげに顔を歪めていたんだわ……。
そして。
(私に口付けをした)
衝動的だったのだろう。
私が泣いているのを見てハッとしような顔をしていたし、優しい彼らしく、口付けも時間こそ長いように感じたけれど、決して荒々しい感じではなかった。
それに、気絶する寸前、彼は確かに言った。
『……また君は、僕から離れて行ってしまうんだね』
(間違いない)
彼は、前世の記憶を取り戻し始めているんだわ……。
「……レア、クレア」
「!?」
驚き声の方を見ると、お母様の姿があった。
そこで初めて、物思いに耽っている間にお母様が部屋に入ってきていたことに気が付く。
「も、申し訳ございません、お母様。気が付かずに……」
「大丈夫よ。まだ本調子でないのでしょう。
顔が赤いわ。ゆっくり休みなさい」
そう言ってくれたお母様の言葉に甘え、起こしかけていた上半身を再度ベッドに沈める。
お母様は微笑みを浮かべて言った。
「本当、何年ぶりかしらね。貴女が熱を出すなんて」
「……申し訳ございません」
「あら、どうして謝るの? 貴女は十分過ぎるほど頑張っていたわ。
私達が心配になるくらい、貴女はいつも……、そうね、どこか違う世界を見ているように思えたの」
「えっ……」
思わず声を上げた私に、お母様は首を横に振って笑って言った。
「なんて。そう思ってしまうほど、貴女はある日突然……、それこそ、馬車に乗って高熱を出した時を境に、別人のように大人びて。
少し寂しく感じてしまうところもあったくらいだけど、それでも貴女はここまで大きくなってくれた」
「!」
不意に頭を撫でられた手が、前世のお母様を思い出される。
(……そうだわ、私)
記憶を取り戻してから、今世で一度も家族に甘えたことがなかったかもしれない。
そう気が付いた私に、お母様は言葉を続けた。
「だから、こういう時こそ私達家族を頼って。
貴女には、私達がついているわ」
「…………!」
その言葉に、視界が涙でぼやける。
驚いたような顔をしたお母様を見ながら、震える声で口を開いた。
「……私、王太子殿下を、傷付けてしまいました」
「……うん」
相槌を打ってくれるお母様に、ポツリポツリと今抱えているこの気持ちを吐露する。
「王太子殿下は私のことを想ってくれているのに、私は、その手を取れなくて」
「うん」
「彼はいつだって、私を大切にしてくれたのに、私は……、彼に、相応しくないと、そう思って」
「うん」
「私は、どうしたら良いのでしょうか。どうしたら、彼を……、幸せに、してあげられるのでしょうか」
差し伸べられたその手を取るのは、きっと容易いのかもしれない。
だけど。
(もし彼が、完全に前世を思い出してしまったら、きっと私に幻滅する)
だって私は、自ら差し伸べた手を彼が取る前に裏切る真似をしたのだから。
やるせ無い気持ちを、固く握った拳に込める。
するとお母様は、握りしめた私の手をほぐすように開いてから、その手に何かを置いた。
「……これは」
「お手紙よ」
そう言われ、差出人を見れば、そこには“ハロルド・カーヴェル”の文字があって。
驚き顔を上げた私に、お母様は微笑んで言った。
「本当は、本調子になってからとお父様とお話ししていたけれど、この際きちんと王太子殿下のお気持ちを知った方が良いわ。
そのお手紙を読んだらきっと……、答えが出るのでは無いかしら」
ちなみに私達は見ていないけれど、と笑ったお母様に向かい、自身の頬を伝っていた涙を拭うと礼を述べる。
「ありがとうござ……、いえ、ありがとう、お母様」
「!」
私の言葉に、お母様は驚いたように目を見開くと、やがて温かな笑みを浮かべてくれたのだった。
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予想では残り半分を切ったところですので、引き続きドキドキハラハラ、楽しんでお読みいただけましたら幸いです。




