最終話 京都追憶
月日は流れ、明治十年の四月某日。
京都新報に珍しい記事が掲載された。
写真付きの記事である。
新聞を開いた彼女は「あら」と目を見張った。
写真の人物が見知った男性だったのである。
その男は椅子に座り、洋装に身を包んでいた。
黒い羅紗の三つ揃いだ。
断髪した髪を頭部後方に撫でつけているため、額が見えた。
眼差しは鋭く、唇はきりりと結ばれている。
写真であっても優男と分かる顔立ちだった。
フロックコオトを纏い、襟元からは白いスカアフが覗く。
その装いからは中々の洒落者と伺えた。
写真には『土方歳三近影。明治二年、函館にて』と説明が添えられている。
「副長さんじゃない」
彼女は呟き、記事に目を通した。
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写真の人物、土方歳三については逸話も多く知られている。
生前の異名も多い。
曰く、新撰組の鬼の副長。
旧幕府陸軍を率いた常勝将軍、壬生狼の立役者とも言われていた。
この記事の読者には思い当たる方もいるだろう。
そして今日、土方氏について快く思わない方も多いことを記者は存じている。
その上で、敢えて筆を執った次第である。
記者は京都生まれの京都育ちである。
この都の景色が好きである。
貴船の川床、嵐山の紅葉と季節に応じた四季がある。
神社仏閣においては言うまでもない。
京都には千年の歴史がある。
それはいくら西洋化が進んでも、確かに我々日本人が誇って良いことであろう。
新聞社に入社してから、記者は明治維新を一通り学んだ。
その中にはこの京都にまつわる話もあった。
新撰組、更には土方氏の名前もそこに記されていた。
記者がいたく感銘を受けたのは、かの有名な池田屋事変である。
−−新撰組の活躍により京都大火を未然に防ぐことが出来た。
−−その新撰組を実質的に束ねていたのは、副長の土方歳三であった。
この事実を記者は知った。
であるならば、新撰組はこの京都の景観を守ったと言えよう。
断らせていただくが、記者は新撰組を正義とは思っていない。
時代の流れとはいえ、人殺しは人殺しである。
薩長に属する方には恨んでいる方も多かろうと思う。
けれども、その罪を認識した上で彼らの功績を認めてほしい。
歴史上では敗者といえども、新撰組の行いは現在の京都の景観保持に一役買ったのだから。
その点について思うところあり、記事をしたためた次第である。
最後に土方氏について、二つほど他者からの評価を記しておく。
敬称略にて失礼する。
『色は青い方、躯体もまた大ならず、漆のような髪を長ごう振り乱してある、ざっと云えば一個の美男子と申すべき相貌に覚えました』
二本松藩士の安部井磐音の回顧談より。
『歳三は鋭敏沈勇、百事を為す稲妻の如し』
幕府奥医師の松本良順の手記より。
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記事を読み終わり、彼女は目元を緩ませた。
窓の外へと目をやる。
桜が満開の季節だ。
白に近い薄紅が、はらりと風に揺れていた。
「副長さんなら、桜では無く梅がいいと言ったかなあ」
微かに笑った。
写真にもう一度目を通した。
記憶にある副長さんの姿が刺激された。
言葉を交わしたのは十五年近くも前になる。
それでも彼女は覚えていた。
"その窓、綺麗ですよね。陽の光もすっと通ってとっても幻想的なんですよ"
"ああ、そうだな……っと"
ごく短い会話だった。
だがそれがきっかけとなり、その後のやり取りに繋がった。
ほとんどの人には怖い鬼の副長だったと思う。
それでも彼女にとっては優しい副長さんだった。
「あなたのおかげで今も私は京都に住めているんですね」
懐かしく、またほんの少し切ない。
それでも彼女は−−おつうはもう一度写真に目を通し、丁寧に新聞を畳んだ。
立ち上がり壁の時計を見る。
もうじき夫と子供が帰ってくる頃である。
夕餉の仕度にかからねばならない。
"副長さんのこと、話してもいいかしらね"
他愛もない昔話として語り継いでもいいかもしれない。
明治維新の敗者の一人としてではなく。
瀟洒で優しい部分もあった一人の青年として。
ありがとうございました。




