第五十一話 一本木関門
「撃て、撃てえっ! 敵はごく少数に過ぎん、一気に攻め潰せえっ!」
新政府軍の指揮官が檄を飛ばす。
明け方に函館山を落とし、勢いを得ていることもある。
だがその一方で懸念もあった。
早々に拠点確保出来たのは良かった。
だが、まだ敗残兵が少数残っているのである。
散発的な反撃のため、深刻な事態ではない。
けれども背後が安全という保障も無い。
「仮に一本木を抜くのに時間がかかれば、挟撃されるやもしれん」
可能性としては低いが、一応その認識はしている。
そうした事情もあり、新政府軍は速攻を仕掛けてきた。
勢いと兵数にものを言わせ、ひたすら銃弾を撃ち込んでくる。
物資にも余裕がある。
目指すところは単純な力圧しだ。
幸運なことに歳三としては組みしやすい。
「細かい作戦は無しか。馬鹿の一つ覚えのようにただ撃ってきやがる」
冷めた目で戦況を分析した。
なるほど、確かに数は多い。
函館にはまだ後詰めの兵もいるのだろう。
圧倒的な戦力差を考えれば、小技が必要無いのも分かる。
戦術を細かくするほど、破綻する確率も上がるのだ。
だから単純な攻撃に終始してくる。
"前衛が銃撃。後装式スナイドル銃は五連装だ。五発全て撃ち尽くしたら前衛は後退。代わりに後衛が前に出てまた銃撃。これの繰り返しか"
この新政府軍の戦術を下手とは思わない。
数を頼みであればこれでいい。
平地での銃撃戦である。
こちらに柵があるとはいっても、いずれ撃ち倒されるだろう。
だが必ず隙は出来る。
歳三はじっと耐えた。
味方の兵を鼓舞しつつ、敵陣を観察する。
最初の指示は慎重だった。
「正面から銃撃をぶつける間に、左右に僅かに兵を割く。五名ずつでいい」
確かに火力のぶつけ合いではこちらが劣る。
だが朝もやと柵の存在がある。
その二つによる命中率の低下を見込んだ。
そろそろと兵達が動いた。
"これでも正面の攻防はぎりぎり耐え切れるはずだ"
賭けではある。
だが、ここにきてこの程度の賭けは仕方がない。
命が押しければそもそも出陣していないのだ。
数分だけこちらが圧された。
だが、その数分を耐え切った。
「行ける」と歳三が呟いた時だった。
パパパパーンッと複数の銃声が響いた。
新政府軍の正面からではない。
その左右からだ。
「何だっ、今まで攻撃の無かった方角からだと!?」
「まさか伏兵がいたというのかっ。挟撃されるぞ!」
思わぬ方角から攻撃を受け、新政府軍は慌てた。
左右とも五名ずつ、合わせてもたったの十名に過ぎない。
けれども意外なほど効果的だった。
負けるわけが無いという慢心もあったのかもしれない。
足元をすくわれると脆いものだ。
「今だ、撃て、撃ち尽くせっ!」
歳三は声を枯らした。
ごく小規模ながら十字砲火の形になっている。
ここが勝機と見定めた。
間断無い銃火が敵陣を崩し始めたのだ。
優勢になりつつある。
「切り崩すぞ。抜刀隊、俺に続け」
低い声で指示を飛ばし、歳三は抜刀した。
馬に拍車をくれて飛び出した。
加速する。
慌てながらも敵が反応してきた。
何人かの兵が銃口を向けたのが見えた。
「撃て、斬り込ませるな!」と誰かが叫んだ。
"間に合わ……いや、ぎりぎり間に合う!"
止まれば死ぬ。
瞬時の判断力は潜った修羅場の経験の賜物だ。
馬の首に身を伏せ、更に加速。
この思い切りの良さが吉と出た。
動揺したのか、敵の銃口がぶれた。
破れかぶれに放った弾は大きく外れた。
次の瞬間、歳三は敵を刀の間合いに入れた。
「参る!」
馬の突進の勢いを殺さず、斬撃に加算する。
馬上からの一刀が唸り、兵の一人が吹っ飛んだ。
鋭いというより重い。
驚くほど高く血飛沫が上がった。
「う、うわああぁ!」と悲鳴が新政府軍から上がった。
「なんだ、こいつ、たった一人で!」
「だんだら模様の羽織姿……まさかこの男、新撰組の」
「土方歳三!? あの鬼の副長かっ」
答えてやる義理は無かった。
だが高揚しなかったと言えば嘘になる。
新撰組の名は生きている。
この自分を通して生きている。
喋る余裕は歳三には無い。
それに言葉よりももっと雄弁なものがある。
左手で手綱を掴み、歳三は右手で斬撃を繰り出した。
ギィンと鋼が甲高い音を立てる。
「副長に続け! 絶対に死なせるな!」
「土方先生を官軍参謀府に届けるんだ!」
歳三の奮戦の間に、抜刀隊の面々も追い付いた。
文字通り死力を尽くし、新政府軍を追い立てる。
その中には島田魁の姿もあった。
歳三は彼の背中を認め、フッと笑った。
馬を踊らせ、島田の左側に割り込む。
敵の兵士が慌てて後退した。
「島田君、右側は任せていいか」
「応よ!」
「では任せた」
ごく短いやり取り、その間にも歳三の剣は止まらない。
右手一本で驚くほど精妙な剣さばきを見せていく。
袈裟切り、逆袈裟、左から右への横薙ぎ、その逆。
一刀舞うごとに血風が舞った。
"倍程度であれば"
押し返せる。
確信と共に、真上から切り落とした。
相手は銃剣で防ごうとしたがそれも敵わない。
首筋から入った一撃は、骨も肺腑も立ち割った。
ごふ、と血塊を口からこぼしそのまま倒れた。
「鬼か、こいつは……」という呪詛の呻きが微かに聞こえた。
「かもしれんな」
歳三は物言わぬ相手を見下ろした。
いつしか周りに敵兵の姿は無くなっている。
これ以上の被害を恐れ退却したのだ。
流石に追撃の気力は無い。
こちらも皆、荒い息をついている。
「とりあえず一本木は守ったか」
どうにか最悪の事態は逃れた。
水筒を開け、喉を潤す。
新政府軍はまだまだいる。
函館の官軍参謀府へ切り込むまでは、戦闘は終わらない。
歳三は振り返った。
「ここからは俺一人で行く。お前達はよくやった。一本木関門の守備は託したぞ」
有無は言わせない口調だった。
島田を含めた誰もがただ頷いていた。
沖合いから大きな音が聞こえてくる。
軍艦同士の撃ち合いの音だろう。
腹に響く重低音が、ここが戦場だと嫌でも意識させた。
"敵の艦砲射撃だけでも惹きつけてくれれば"
それだけでも有り難い。
「さあ、行こうか。地獄まで」
歳三は馬の首をポンと撫でた。
視線はただ真っ直ぐに前を見据えている。




