第四十六話 無念の撤退
「撃っても撃っても湧いてきやがる。しつこい奴らだな」
歳三は吐き捨てるように言った。
五稜郭から台場山に戻り、ひたすら防戦に徹すること数日。
歳三の戦術は冴えに冴えていた。
新政府軍が退却した間に、五十人ほどの兵を補充。
疲労した兵を休息させ、武器弾薬も補充した。
これでどうにか体勢を整えた。
新政府軍は再び押し寄せてはいる。
だが、台場山を取らせない。
二股口を抜かせることだけは防いでいた。
"胸壁に拠って銃撃"
これが基本戦法となる。
昼夜問わずの小銃の撃ち合いだ。
増援を加え、新政府軍の兵は千人にも至る。
五倍の敵を相手に互角に持ち込めたのは、初戦の勝利が大きい。
「土方さんの指示通り動けば勝てるぞ」
「常勝将軍を信じて、闘い抜くんだ」
一兵卒に至るまで、歳三を信頼しきっている。
この蝦夷共和国になってから、歳三だけが勝ち戦を知っていた。
仙台から蝦夷に到着し攻略した時もそうだ。
先の二股口の戦いもそうだ。
新撰組の武名もあり、歳三は常勝将軍と異名を付けられていた。
"まったく勝手なものだ"
内心では辟易している。
歳三は自分を高く評価していない。
流石に戦下手ではないとは思う。
だが鳥羽伏見以降、ひたすら北へと退却しているではないか。
その中の局地戦にいくつか勝利しただけだ。
真に常勝将軍と呼ばれるならば−−
"流山で近藤さんを救えたはずだ"
ずきりと胸に刺さるものがあった。
気のせいと無視するには鋭すぎる痛みだった。
試衛館の同志であり、共に新撰組を引っ張ってきた男の死は。
未だに歳三の心に黒い染みとなっている。
「ち、妙に昔のことを思い出す」
「どうかされましたか、奉行並?」
独り言を耳にしたのか、部下に尋ねられた。
歳三は「何でもない」とごまかした。
前線に目をやる。
十日前の記憶と目の前の光景が重なった。
同じだ。
山頂を狙って、新政府軍が揃い踏みしている。
振り返り指示を飛ばした。
「これまでどおり粘り強く撃ち続けろ。銃身を冷やす水を切らすな」
「はっ、承知しました」
「頼むぞ。機を見て斬り込む」
声をかけ、木の幹に背をもたせかけた。
銃撃戦だけでは守りきれない。
時折、自ら抜刀隊を率いて敵を散らす。
そのために、歳三は休める時は休んでいた。
まどろみとも言えない浅い眠りを繰り返す。
浅い夢の中で、歳三は浅葱色の羽織を着ていた。
覚えのある特徴的なだんだら模様だ。
新撰組時代の正式な隊服が妙に懐かしかった。
銃声に目を覚ます。
ごく短い夢は終わり、歳三は現実に立ち返った。
「次の交替の時を狙おう。ついてこいよ」
抜刀隊に声をかけた。
皆、歳三に信頼を寄せている。
迷うことなく、皆が首を縦に振った。
戦いが続く。
土煙が流れ、銃声が遠くなる。
北の太陽が西に傾き、台場山が橙色に包まれた。
疲労を考慮してか、新政府軍の前線が退いた。
そうだ、この時を待っていた。
「全員抜刀、突撃! 新撰組の力を見せろぉ!」
全力で叫び、歳三は山道を駆け下りる。
右手に持った和泉守兼定が煌めいた。
充実感と虚しさの両方を抱えたまま、歳三は刀を振り下ろした。
粘り強い銃撃戦に加え、果敢な抜刀隊の突撃。
この組み合わせが新政府軍を苦しめた。
四月二十三日から二十五日にかけて、歳三は大いに戦果を挙げた。
すなわち、新政府軍はぼろぼろだ。
「こちらの死傷者は五百だと……馬鹿な、半数がやられているのか?」
指揮官の声は憤怒と嘆きに満ちていた。
坂の上を振り仰ぐ。
未だに蝦夷方は落ちない。
それもそのはずだ。
蝦夷方の兵の損傷はたったの三十人である。
戦力差を考慮すると、ほとんど奇跡であった。
「二股口は抜かせん」
ここまでくれば、勝って勝って勝ち続けて終わらせたい。
歳三がそう考えたのも無理はない。
しかし、戦全体の趨勢がそうさせなかった。
「退却しろだと?」
歳三は思わず声を荒げた。
伝令兵は一、二歩下がった。
だが伝えてきた指示が変わるわけでもない。
歳三は改めて封書を読む。
間違いなく榎本の筆跡だ。
「新政府軍は函館を攻撃している。故に二股口を捨て、五稜郭へ戻るべし。君の奮戦は見事なれど、孤立しては意味は無し……くそっ、簡単に言ってくれる」
ぎり、と奥歯を噛み締めた。
榎本の考えは理解は出来る。
定時連絡により、松前と木古内が落ちたことも既に知っていた。
伝令によれば、新政府軍の艦隊は函館の湾に侵入してきたという。
弁天台に大砲を据え置き、蝦夷方は必死に反撃した。
その甲斐あって、一度は新政府軍の艦隊は退いている。
"だが、時間の問題か"
無理な抗戦は長く続けられない。
新政府軍は改めて攻め寄せるだけだ。
もはや蝦夷共和国には函館しか拠点が無い。
風前の灯火と言って良かった。
二股口だけが残っても意味は無いのだ。
「戦略的に孤立した二股口を捨てろ。そういうことだな」
「……申し訳ありませぬ」
「いや、いい。お前のせいではない。榎本総裁も悪くない。ただ、ただ、やるせないんだ、俺は!」
叫んだ。
周囲の兵達がびくりと身を震わせた。
歳三は右拳を固めた。
左の掌に強く打ち付ける。
胸中で暴れる感情を叩きつけるようだった。
大きく息を吐く。
「仕方ない。撤退だ。台場山を放棄し、五稜郭へ戻るぞ」
歳三の戦術的な圧勝は戦略的な意味での劣勢に覆された。
後に戦史に残るほどの激戦はこうして幕を閉じた。
四月二十九日、二股口の戦い終結。




