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俺が新撰組だ! 〜土方歳三は最後まで武士です〜  作者: 足軽三郎
第二章 北天燃ゆる 〜土方歳三の生涯〜
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第四十三話 託す者、託される者

 二股口の勝利の一報が届くと、榎本武揚は大いに喜んだ。

 兵数の差を知っていたため、敗北を覚悟していたのである。

 口髭を震わせ、歓喜の声をあげた。


「さすがは土方さんだ。これで初戦は全て取った」


 自然と右拳を握る。

 他の幹部達の表情も明るい。

 だが、油断はしていなかった。

 新政府軍がこれで退くはずがない。

 この時、四月十四日。

 江差に第三陣が上陸する一日前である。


 "松前、木古内、二股口の全てで我々は新政府軍を退けた。だが、損害も大きい。果たして戦い続けられるか"


 榎本の胸中は複雑であった。

 旧徳川幕府への恩義のため、遥か蝦夷まで逃亡してきた。

 薩長何するものぞ、という気概は無論ある。

 けれども、元々賢明な男である。

 時代の流れが開国を余儀なくしていることは承知していた。

 対応の遅い幕府の下では、日本が取り残されていたであろうことも。


 "口には出せないがね"


 矛盾と分かりつつ、政務に励んできた。

 蝦夷の地は本土から海を隔てている。

 この物理的距離を盾に、海軍を矛にして防戦する。

 その間に各諸外国と外交関係を結ぼう。

 そうなれば蝦夷共和国は国際的にも認知され、独立を果たす。

 大まかにこんな目論見を立てていたのだ。

 だが、もはや矛は失われた。

 東洋最強と謳われた開陽丸は座礁してしまった。

 起死回生の甲鉄艦奪取も失敗に終わっている。

 故に、榎本には迷いがある。

 その迷いは他の者には言えない考えを生みだした。


 "惨敗は体面が保てない。だが、一勝でもすれば十分だ。それ以上の戦闘は日本の国力を落とすのみ。ある程度の戦果を交渉材料として、新政府軍と和解に持ち込む。これが最良だろう"


 大きな声ではとても言えない。

 けれど、これが榎本の本音であった。

 歳三や大鳥が聞けば激昂したであろう。

 もちろん榎本は彼らに話す気は毛頭無かった。

 死ぬまで胸に秘めておくつもりである。


 "旧幕府への恩義は私達の抗戦という形で果たせればいい。その後は、この日本という国の為に尽くそう"


 この榎本の考えを裏切りと呼ぶべきか、否か。

 それは個々の考えによるだろう。

 榎本はオランダ留学を経験している。

 大きな時代の流れを肌で感じているのだ。

 個人の努力の限界を知っていると言ってもいい。

 ともかくも、彼は口を開いた。


「まだ気を緩めてはならない。敵には余裕がある。江差方面を警戒せよ」


 どこか虚しさを覚えつつ、榎本は指示を飛ばした。


******


 二股口で勝利を収めた後、歳三は函館に一時帰還した。

 負傷兵もおり、治療のために連れ帰る必要があったのだ。

 念の為、台場山には兵を残している。


「疲れた」


 帰るや否や、どさりと倒れ込んだ。

 従者の市村鉄之助が慌てて助け起こす。


「土方先生、大丈夫ですか。しっかりしてください」


「怪我は無い。さしあたり無事だ」


 歳三は無愛想に答えた。

 市村はまだ心配そうな顔をしている。

「気にするな。戦地にいればこれくらい何ということも無い」と言い添えた。

 市村がようやく表情を緩めた。


「ようございました。二股口の戦いは激戦と速報がありましたので心配しておりました」


「そうか。ともかくも俺は勝った。またすぐに台場山に戻らねばならないがな」


「え……そうなのですか」


「ああ」


 頷き、手短に話した。

 敵が二股口を諦めることは無いだろう。

 兵数と気力を回復させれば、また江差から進軍してくる。

 これを叩く。

 叩き続けねばならない。

 こう話した後、歳三は最後に付け加えた。


「鉄之助。お前は若い。戦らしい戦の経験は乏しいと思う。だから俺はお前には俺の戦の証人になってもらいたい」


「証人ですか」


「ああ。具体的に言うぞ。函館を脱出して江戸に行ってくれ。武州の日野村に佐藤彦五郎という人がいる。あの辺りでは豪農だから、すぐに家は分かるだろう。そこに行って、俺のことを話してきてくれないか」


 市村は固まった。

 余りに突然の命令だった。

 喉が乾き、舌が張り付く。

 歳三は構わず話し続けた。


「佐藤彦五郎は俺の姉の旦那だ。俺から見れば義兄ってことだな。若い時はよく怒られたもんだよ。歳、お前もちゃんと身を立てなきゃ駄目だろってな」


「……」


「もうあの人に会うことは無いだろう。だから、鉄之助。お前に俺の代わりに行ってもらう」


「……そんな、それじゃまるで」


 市村は呻いた。

 それではまるで、歳三が諦めたようではないか。

 故郷に戻ることも。

 佐藤彦五郎なる人物に会うことも。

 そして−−この戦いを生き抜くことも。

 止めてくださいと言いたかった。

 だが、言えなかった。

 市村にも分かったのだ。

 歳三の考えが。

 それは自分を身を案じてのことでもあったから。


「賢いからな、お前は。全部言わなくても分かっているんだろう?」


「ここが、五稜郭が落ちるかもしれない。戦死を回避する為に、その前に江戸に逃げろということですか」


「正解だ。もちろん落城しないよう最大限努力はするさ。だが、確約には遠い。お前は若い。無駄死にすることはあるまい」


「しかし先生を置いておめおめと逃げるなんて」


「命令だ、鉄之助」


 歳三は静かに、だがきっぱりと言った。

 有無を言わせない口調であった。

 市村は黙り込んだ。

 涙が溢れそうになるが堪える。

 自分はあの土方歳三の従者なのだ。

 泣いてはならない。

 この人の前では泣きたくない。


「わ、かりました」


 だから、歯を食い縛り答えた。

 歳三は微かに笑った。


「ああ、そうだ。可能なら千駄ヶ谷にも足を運んでくれないか。今思い出したことがある」


「千駄ヶ谷ですか? 日野からずいぶん離れていますが」


「ん。沖田の奴が、去年千駄ヶ谷で亡くなっている。労咳でな。俺の代わりにあいつの墓参りをしてきてほしい」


 沖田と言えば、一人しかいない。

 新撰組一番組隊長の沖田総司。

 突き一本が三連突きに見えたという天才剣士だ。

 歳三とは試衛館以来の付き合いということは、市村もよく知っていた。

 それだけに心にくるものがあった。


「承知しました。不詳、市村鉄之助、土方先生の命令に従います。今までありがとうございました」


「ああ。すまないな、鉄之助。お前には何も教えてやれなかった」


「いえ、とんでもありません」


 江戸での隊士募集以来、市村は歳三の側にいた。

 交わされた言葉は多くは無かったかもしれない。

 けれども、一番近くで歳三の戦いを見てきた自負はある。

 それだけで十分であった。

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