第四十一話 二股口の戦い
天狗岳からは江差山道がよく見える。
索敵のために、歳三は一小隊を配置していた。
その監視の目に敵が引っかかった。
互いに相手の姿を認める。
だが、交戦はごく短時間に終わった。
「無理せずに退け」と歳三が事前に指示を与えていたためである。
四十人足らずでは大した戦闘は出来ない。
「所詮は賊軍か」
「本隊はこの奥に陣取っているのだろう。しかし、先鋒がこれではたかが知れているな」
新政府軍は気を良くした。
天狗岳をあっさり越え、台場山の麓へ到着。
この時点で午後二時頃である。
まだ日は高く、敵を視認するのも用意だ。
兵力の差もあらかた分かっている。
多少の油断は致し方ないところではあった。
だが、斥候すら放たないのは怠慢だろう。
「いきなり全員で登ってくるか。なめられたものだな」
歳三は唖然とした。
胸壁から慎重に見下ろせば、敵の全容が見える。
ゆっくりとはいえ、相手は密集隊形で前進していた。
こちらの様子を探る気さえないらしい。
小銃を構え、引き金に指をかけている。
"いいだろう"
振り返る。
天狗岳から引き換えした小隊も合わせ、こちらにも百五十人余りの兵はいる。
地の利も事前準備もある。
自分が適切な指示を出せば負けはしない。
その時、チュインと鋭い音が聞こえた。
敵の発砲だ。
胸壁の遥か手前の地面にパッと土埃が舞う。
「俺がいいと言うまで発砲するな。今は敵に勝手に撃たせろ」
この距離ならまだまだ射程外である。
弾薬を無駄にしたくはない。
歳三の指示通り、兵達はじっと身を潜めた。
チュイン、チュインという音が近づいてくる。
風に乗って微かに硝煙の匂いが漂ってきた。
だが我慢強く待つ。
「まだだ。動くな」
じわじわと銃声は大きくなる。
バッ、バッと土埃も近くなる。
山道脇の枝が落ちた。
緑色の葉がぱらぱらと散った。
射程内まであと四歩、三歩、二歩、一歩−−今だ。
「射撃開始。蜂の巣にしてやれ!」
歳三の号令一下、兵達は一斉に銃撃を叩き込んだ。
バッ、と銃口が赤く光る。
耳に残る銃声と共に鉛の弾丸が吐き出された。
こちらからは敵の姿がよく見えた。
つまりは敵もこちらを視認可能である。
「撃て! ここを通せば終わりだぞ!」
歳三は檄を飛ばし、兵を鼓舞した。
戦闘としては単純だ。
狭い山道で向かい合い、互いに小銃を撃ち合うのみ。
新政府軍としては数の利を活かしづらい地形である。
包囲や迂回による遊撃が出来ない。
単純な力押ししか攻め手が無かった。
「ええい、何をしているか。敵は少数だぞ、一気に踏み潰せ!」
「無理です。高所を取られています。じわじわ削っていくしかありません」
「くっ、この地形では側面も衝けぬか」
新政府軍としては面白くない展開だ。
山道が狭いために、繰り出せる兵は限られる。
全兵力による一斉射撃など不可能だ。
これでは火力の差が出ない。
歳三としては狙い通りではあった。
上手く持ち込んだというところだ。
とはいえ、時間経過と共に状況も変わってくる。
「うお、銃身が熱いっ」
「交換だ、交換」
「そんな余裕は無いだろ、俺達には!」
兵達が騒ぎ始めた。
連発により小銃の銃身が熱を持ち始めたのだ。
慌てて最前線の兵が退き、後衛と交替する。
この間に熱くなった銃を水で冷却するのだ。
火薬の爆発と弾丸の擦過は銃身に高熱を生む。
下手をすると火薬の誘爆を招きかねない。
「数名で下の川へ行き、桶で水を汲んでこい。雪解け水ならいくらでもある」
歳三も必死である。
ここで少しでも前進を許す訳にはいかない。
新政府軍は恐らくここまで苦慮しないだろう。
そもそもの人数が違う。
無理やり銃を冷却する必要は無いはずだ。
"運用の差が長期戦になれば効いてくるか?"
歯噛みするが、こればかりはいかんともし難い。
物資の差は埋め難い。
それでもどうにかやりくりし、戦線を維持する。
時間は刻々と過ぎ、やがて日が落ちた。
天候が崩れたのはその時であった。
「雨か」
誰ともなく呟いた。
山の天気は崩れやすい。
さああぁ、と冷たい水滴の群れが二股口に降り注ぐ。
最初は大したことは無かったが、徐々に雨足は強くなった。
視界が雨で覆い尽くされた。
敵も驚いたのか、一時的に銃火が止んだ。
「弾薬を濡らすな! 外套で覆え! 自分の身より武器を守ることを優先しろ!」
声を張り上げ、歳三は指示を飛ばした。
自らも外套を脱ぎ、弾薬を包む。
蝦夷の四月の夜である。
雨に濡れ、身体はがたがたと震え始めた。
歳三だけではない。
こちらの兵は全員がそのような状態であった。
だが、新政府軍はどうか。
「むむ、外套も上物を着ておりますな。しかも防水布で弾薬箱を雨から守っておる」
「ちきしょう、あいつら交代で飯とか食えるんだろうな」
部下達が毒づく通りであった。
物資と人数に余裕がある強みだ。
そうこうする内に、再び敵の銃撃が再開された。
雨を縫って鉛玉が襲ってくる。
ヂュインッと胸壁の一部が砕けた。
「くそ、撃て、撃ち返せ! 手を休めれば攻め崩されるぞ!」
歳三は声を張り上げた。
鬼の形相である。
苦しいのは分かっている。
いやというほど分かっている。
雨による体力の消耗。
過使用による銃身の高熱化。
空腹感。
物資不足が招く無理な運用。
その全てを噛み締めて、尚。
歳三は「戦え」と命じた。
「苦しいのは敵も同じこと。こちらは地の利を得て、ここにいる。どのみち負ければ死ぬしかないのだ。弱音を吐く暇などあるまい」
励ましではなく、脅しに近い。
だが、こう言わざるを得なかった。
冷徹と罵るなら罵ればよい。
鬼と蔑むならば蔑めばよい。
畏怖されることには慣れていた。
非情を以て律さねば、将は兵を動かせない。
「貸せ」
そして自ら戦線に参加する。
負傷兵から小銃を取り上げた。
ミニエー銃の使い方は知っている。
敵目がけて一発撃った。
当たったかどうか確認する暇も無い。
銃口を引き寄せ、銃弾を装填する。
これが後装式ならばと思うことはある。
一々面倒であるし、熱い銃口に触れる必要も無い。
だが泣き言を言う暇も無い。
引き金を絞り、再び銃撃。
肩に重い衝撃がかかる。
「ここは死守するぞ!」
歳三は腹の底から声を絞り出した。
兵達に活力が甦る。
陸軍奉行並が、いや、新撰組副長が自ら武器を取っているのだ。
疲労した身体に鞭打つには十分だった。
「土方さんに恥かかせる訳にはいかねえ、やるぜ、お前ら!」
「おう、雨が何だってんだ!」
銃火が、銃声が、闘志が、意地が、雨をついて交錯した。




