第四十話 敵を待つ
翌日の四月十日。
歳三は全ての兵を率い、市渡村を出発した。
まだ日も出ていない早朝である。
霜柱を踏み、山道を行く。
「先に台場山を取る必要がある」
兵達を急かした。
斥候の報告によると、新政府軍は二股口に向かってきている。
だがまだ五里ほど離れていた。
蝦夷の四月は雪深い。
積雪を考慮すれば、二股口に取り付くのは二、三日はかかる。
その機先を制したかった。
二股口には幾つかの山が連なっている。
その中でも台場山は軍事的に重要な山だった。
「台場山を取れば山道を見下ろせますからね。そこを取れば、高所から銃撃出来る」
「ああ。敵は江差山道を登ってくるしかない。一方的に狙い撃ちも可能だ」
部下に答えつつ、一歩一歩踏みしめていく。
台場山自体の標高は大したことは無い。
だが一本しかない山道はこの台場山に続いていた。
陣地に使うにはもってこいであった。
歳三が前から目をつけていた場所である。
一歩、また一歩を重ねる。
懸命の行軍の甲斐あって、正午には台場山に到着した。
「よし、ここに陣地を張ろう。時間優先だ、荒っぽくてもいいぞ」
即座に命令を下した。
台場山の山頂から下を見下ろす。
険しい山道がまっすぐに下りていた。
これが江差山道だ。敵はここを登ってくるしかない。
「山道の右手は崖。左手は川。巻いて登ってくることは不可能」
歳三は怖い笑みを見せた。
この地の利を最大限に活かすつもりであった。
兵達を鼓舞し、陣地構築を急がせた。
その結果は当初の目論見を超えた。
陣とはいっても、土嚢と岩を積んだだけの胸壁である。
だが、これが台場山の山頂から数えて全部で十六ケ所も築かれた。
それだけではない。
台場山から北西に一里の天狗岳にも三ケ所の胸壁を築いた。
率いた四小隊の内、一つをこちらに潜ませた。
「出来ることはやりましたかね、土方さん」
「敵が山道を登ってきたらその時は」
部下達の士気も高い。
良い傾向だ。
歳三も久々に高揚していた。
「松前と木古内もきっと大丈夫だ。ここで俺達が押し返せば、奴等も慌てふためくさ」
その発言は確信に満ちていた。
当てずっぽうの勘ではない。
新政府軍の兵数も凡そ把握している。
江差に上陸した数が千五百。
その総数を松前、木古内、そして二股口と三つに分けているのだ。
単純に考えて約五百。
"対してこちらは二百にも満たないが"
劣勢は否めない。
だが、この一戦に限るならば勝ち目はある。
与えられた兵は四個小隊。
一個小隊の定員は四十人。
しかし怪我人などで欠員も出たため、その定員を更に割っていた。
二百どころか百五十人前後だ。
数の差を事前準備と地の利で覆せるか。
覆してみせる、と歳三は思っている。
「あとは待機するだけだ。警戒怠るな」
指示を出し、歳三は切り株に腰を下ろした。
戦が始まるまであと何日も無い。
いや、何時間も無いかもしれない。
神経を尖らせつつ、休むべき時は休む。
その間にも他の場所の戦況は届く。
「松前、防衛成功。籠城策を捨て、野戦を選択。小銃の撃ち合いから斬り合いに移行。浮足立った新政府軍を江差へ押し戻す」
「木古内にて戦闘開始。敵兵五百をこちらは二百の兵で翻弄。陸軍奉行指揮の下、狭隘地へ誘導。密集して動きの取れないところへ銃撃を浴びせる」
朗報である。
歳三率いる兵達は歓声を挙げた。
歳三も束の間の笑顔を見せた。
だが、次の情報に顔をしかめた。
「もう第二陣が送られてきたのか。早いな」
「向こうがそれだけこちらを脅威と感じているのでしょう。軍艦に二千人の兵を乗せ、江差に着岸。二股口には更に百人を派遣とのこと」
密偵は顔を伏せたまま、端的に告げた。
歳三は「ご苦労だった」と声をかける。
しかめっ面は変わらないが、弱気にもなっていない。
"合計六百人に増えたか。いいさ、今更だ"
逸る気を抑え、胸壁から見下ろした。
山道にはまだ敵の姿は無い。
振り返り、兵達に指示を出した。
「休める時に休んでおけ。明日には来るだろうからな。死力を尽くす戦いになる」
空を仰ぐと、白い雲が流れている。
見ている内に妙に牧歌的な気分になれた。
時折天狗山からの連絡が来る。
緊張が一瞬高まる。
敵の姿無しの報せに、また束の間の休息を得た。
戦いとは会敵するまでが長い。
待つこともまた戦いの一部である。
日が落ち、闇の中で山中の眠りにつく。
"鳥羽伏見の時もそうだったな"
夜明け前のまどろみの中、歳三は過去を思い出していた。
幕府軍と長州、薩摩、土佐の連合軍が睨み合っていた。
何とも言えない緊張感の中、心臓の鼓動が妙に気になったものだ。
"あの時はまともな銃も無かったが、今は違うぞ"
夢と現実の間で、歳三は猛っている。
静かに猛っている。
あの時、新撰組は火縄銃さえまともに使えなかった。
薩長の使う前装式ミニエー銃に翻弄された。
今は違う。
ミニエー銃を入手し、兵達も使えるようになっている。
新政府軍の装備は更に強化されているかもしれない。
だが、あの時ほどの差では無い。
"戦るぞ、歳"
目を覚ました。
過去の残滓を振り払う。
新撰組の思い出を噛み締めたまま、顔を洗った。
四月十三日、朝のことだった。
太陽が上り、正午に差しかかった。
まず天狗岳で動きがあった。




