第三十四話 座して待つより
「甲鉄艦ですと? 何ですか、それは」
大鳥も知らないらしい。
首を傾げている。
彼に答えたのは、海軍奉行の荒井であった。
穏やかな口調で話し始めた。
「私から説明させていただきます。甲鉄艦とは読んで字のごとく、船の装甲が全て鉄で出来ておりまして−−」
甲鉄艦の元の名はストーンウォールという。
建造された時期は四年前。
アメリカ南北戦争時に、南軍がフランスに発注した。
しかし完成した時には肝心の南北戦争が終わっていたのだ。
そのためアメリカはこの船を徳川幕府に転売。
けれどもその幕府も倒れてしまった。
紆余曲折の末、新政府が代わりに購入した次第である。
「経緯はともかく、性能が桁違いなのです。全長六十メートル、排水量は一四〇〇トン近く。主砲はアームストロング砲を三門、更に接近戦用にガトリング砲が積載されております。間違いなく世界でも一線級でしょう」
説明を終え、荒井は大きなため息をついた。
歳三は船には詳しくない。
だがその寸法だけでも脅威の程は伝わってきた。
自分が見てきた船を思い浮かべる。
同じぐらいの寸法の船といえば、一つだけだ。
だが、あの船は既に。
「開陽丸の方が大きかったのでは。いや、言っても仕方ないことではありますが」
「そうだ、土方さんの言うとおりだ。開陽丸が無事なら甲鉄艦相手でも……」
榎本が悔しそうな声を挙げた。
開陽丸とは旧幕府軍が所有していた軍艦である。
排水量は凡そ二七〇〇トンに達していた。
だが昨年、蝦夷地攻略時に江差でこの船を座礁により失った。
この時点で旧幕府軍の海上の優位は無くなったと言っていい。
「今は無い船のことを思っても仕方ないでしょう」
荒井が榎本を慰めるように言った。
そのまま付け加える。
「無論、敵の艦隊は甲鉄艦だけではありません。他に計六隻の軍艦がおります。こちらとの戦力差は推して知るべし、です」
「軍事力の比較ではやはり劣勢は否めないか。陸軍は覚悟していたが、海軍までもとは」
荒井のダメ押しに対し、大鳥が答えた。
意外にさばさばしている。
ある程度覚悟していたのかもしれない。
歳三はじっと腕組みをしたまま考えている。
先日の榎本との会話を思い起こす。
遅くとも戦いになるのは間違いない。
あとは場所の問題ということだろうか。
榎本と荒井に言ってみることにした。
「厳しい戦いになるのは覚悟の上ではあります。こちらの出方としては蝦夷で待ちますか。あるいは先に叩きますか」
答えたのは榎本だった。
「後者を考えています。敢えて討って出る。いや、それだけではない。甲鉄艦をこちらの物にします」
「は、と言いますと?」
歳三だけではない。
皆がポカンとした顔になった。
「私が説明します」と一人の男が発言した。
歳三が回天の艦長と記憶していた男だ。
「回天丸の艦長の甲賀源吾です。つまりですね、砲撃戦で倒す必要は無い。敵の船にこちらの兵を乗り込ませ、奪い取れば良いのです。西洋で『アボルダージュ』と呼ぶ戦術ですな」
「な……そんなことが可能なのですか」
歳三はあ然とした。
敵の懐に飛び込み、一気に接近戦に持ち込むというのだ。
だが、本当に可能なのか。
榎本が「無論簡単ではありません」と甲賀の後を引き受けた。
一同を見渡す。
「上手く敵の目を欺いて接近出来るか。接近出来たとしても、接舷して兵を送り込めるか。更にその白兵戦で勝利出来るか。周りの敵艦の動きを封じられるか。これらの問題はあります。いざ実行に移した時に、海が荒れていないとも限らない。しかしです」
榎本は咳払いした。
全員が自分を見ていることを確認し、再び話し始めた。
「まっとうな戦いになればどのみち勝ち目は薄い。新政府軍は本土に補給線がある。万単位で兵を送り込むことも可能でしょう。対してこちらの兵士は三千程度だ。持久戦は不利なのは明白。ならば賭けに出る価値はある」
「甲鉄艦を奪い制海権を取り返すために、ですか」
「然り」
大鳥の確認に榎本は短く答えた。
「そうですね、蝦夷の地の利を活かすにしても限界はある」と大鳥は唸った。
彼の視線が歳三の方を向く。
「土方さんの意見を聞きたい。アボルダージュによる甲鉄艦奪取作戦、いかが思われる?」
「難しいところですね。聞くだけでも奇想天外な作戦だ。いたずらに兵を消耗するだけかもしれない」
「というと反対ですか」
「いえ。それを踏まえた上で、やってみる価値はある。船上での斬り合いに持ち込めれば勝機はあるでしょう。それに敵もこんな奇襲は予想していない。このままじっと待つよりはいいと思う」
これは本心である。
どのみち敵は函館目指してやってくる。
五稜郭を拠点としての防衛戦なら、確かにこちらに地の利はある。
けれども裏を返せば、それだけだ。
いくら粘っても援軍は来ない。
兵数の差で押し込まれてしまうだろう。
ならば、余力がある内に賭けに出た方が良い。
歳三は「やるなら今しかない」と進言した。
「決まりだな。それでは荒井君と甲賀君を中心に作戦を詰めよう。今日のところはこれまで」
榎本の一言で会議は終わった。
立席した時、歳三はぶるりと身震いした。
類を見ない合戦になりそうな予感がしていた。




