第三十三話 榎本武揚
"存在感のある男だ"
蝦夷共和国の総裁である榎本武揚と顔を合わせる度、歳三はそう思う。
今もまた同じだ。
五稜郭内の一室で歳三は榎本と対面していた。
西洋風の部屋のため、二人は椅子に座り机を挟んでいる。
歳三は襟を正し、榎本の顔を見た。
榎本はそれほど大柄というわけではないが体格は良い。
彼は旧幕府において軍艦奉行であった。
船の知識だけではなく、諸外国の風習にも明るい。
特徴的な大きな口髭は外国人のようである。
周りの者に口髭について聞かれた時、こう答えたという。
「口髭でもあった方が風格が出るかと思ってね。外国人と比べると、日本人は体格で見劣りするだろう。いざ対面で交渉となった時、見た目で舐められたくはないんだよ」
どこまで本気かは分からない。
だが、榎本は笑顔でこのように答えたという。
この話を聞いた時、歳三は榎本らしいなと思った。
洒落っ気があり聡明、かつ楽観的な男−−これが歳三による榎本武揚の評価である。
改めて表情を引き締めた時、榎本が話を切り出した。
「蝦夷に到着して四カ月が経過したわけですが。少しは落ち着きましたか、土方さん」
「ええ、まあ」
榎本の声は低く伸びがある。
ひとかどの人物の声だな、と歳三は思う。
新政府軍に膝を屈せず、この蝦夷まで旧幕府軍を率いてきたのも頷けた。
歳三は「それまで転戦ばかりでしたからね。慌ただしかった」と言葉を付け足した。
榎本が少し笑う。
「まったくおっしゃる通りだ。仙台でお会いできた時は、驚きましたよ。同時に僥倖だと感じました」
「負け続きでしたがね」
歳三は自嘲気味だ。
謙遜ではなく事実である。
けれども榎本は「いやいや」とねぎらう。
「あの状況下では戦線を引くのは仕方ない。土方さんが軍をまとめてくれなければ、とっくに崩壊していた」
「そう言ってもらえると助かります」
賞賛自体は嬉しい。
だが歳三は少々困惑していた。
仙台での再会は既に終わったことである。
わざわざ持ち出す意味があるのだろうか。
榎本は無駄口を叩く男ではない。
何か意図があるのではないか。
"こちらから探りを入れるか"
手元の酒杯を引き寄せた。
中の日本酒をぐいと飲む。
暦は三月、いまだ函館には春は遠い。
身体を温めるための酒くらいは飲む。
「榎本さん、何か私にご相談したいことがあるんでしょうか。終わったことを持ち出すのはあなたらしくない」
「……お見通しですか。参ったな、これは」
「当てずっぽうの勘ですよ。人はらしからぬ振る舞いをする時、何かに迷っているものだ」
「かなわないね、まったく」
榎本は相好を崩した。
口髭をひとひねりして、天井を仰ぐ。
天井の洋灯の光が二人の影を浮き彫りにしていた。
短い沈黙の後、榎本は口を開いた。
「土方さんは船の上で戦ったことはありますか?」
「船の上? いや、乗ったことはあるが戦ったことはないですね。陸の上だけです」
「ですよね。そうか、百戦錬磨の土方さんでも無いですか」
「軍艦に乗ったこと自体、二回だけですし。わざわざ聞くということは、海戦の可能性があると?」
問いつつ、歳三は違和感を覚えた。
歳三の役職は陸軍奉行並である。
蝦夷共和国の軍制は陸軍と海軍をはっきりと分けている。
歳三に海で戦った経験を聞いても仕方がないはずなのだ。
ならば何故、榎本はこのような問いをしたのか。
「そうですね。まだはっきりとは分かりません。ですが、新政府が雪解けを待って北上してくる可能性は高い。そのための備えは必要です」
「季節的には頷けます。だが、私も海戦を行うことになるということでしょうか?」
「先程の問いの意味ですか」
「ええ」
歳三は頷いた。
榎本は「選択肢として考え中です。詳細は後日」とだけ答えた。
煮えきらない返答ではあったが、歳三も無理には聞かない。
総裁としての立場上、榎本も全てを話せない時もあろう。
「じきに具体的な話になると思います」という榎本の言葉を信じることにした。
「分かりました。いずれにせよ、戦は近いと思っておきます」
「ええ。避けては通れません」
その日の対面はそこまでだった。
榎本の言う『じきに』を知るのは数日後。
主だった首脳陣に招集がかかった。
"来たな"
歳三は襟を正した。
先日の榎本の話を思い起こす。
自分の中でゆっくりと戦意が湧き上がる。
列席者を確認した。
総裁の榎本、副総裁の松平太郎、海軍奉行の荒井郁之助、陸軍奉行の大鳥圭介までは分かる。
だが普段見ない人物も参加していた。
"あれは確か回天の艦長じゃないか?"
記憶と照らし合わせる。
間違いない。
現在、蝦夷共和国は四隻の軍艦を所有している。
回天、蟠竜、高雄、千代田形の四隻だ。
回天はその中でも最大の軍艦である。
艦長の職を軽んじるわけではない。
だが、全体的な政治や軍事行動は艦長の職分に直接関わりはないだろう。
違和感を覚えたのはそこである。
歳三の戸惑いはそのままに、榎本が口を開いた。
「皆揃ったようなので、これより会議を始めたいと思う。まず心得ていただきたい。この会議の内容は非常に重要です。そのつもりで参加してほしい」
ピン、と室内の空気が張り詰めた。
榎本の次の一言で更に緊張感が増す。
「新政府軍が北上してきています。確定情報なので間違いない」
ざわつきこそあったが、動揺はしなかった。
もう冬も終わろうという三月だ。
春を待って攻撃してくることは予想済みであった。
大鳥圭介が挙手した上で発言した。
歳三とは江戸以来、共に転戦してきた俊才である。
局地戦よりは大局を見据えた手堅い戦略が得意である。
「いよいよというわけですか。しかし三月とは若干早い気もしますね。まだ蝦夷では雪解けもしていない。具体的には敵はどの辺りにいるのですか?」
「三月十日に品川を出港し、現在は太平洋を北上中です。あと数日で陸中に停泊する見込みです(陸中=現在の岩手県)」
「そこで一旦補給と兵の休憩を済ませるのでしょうね。であれば、やはり四月に蝦夷へ来る……」
歳三は黙って大鳥の意見を聞いていた。
その日程ならば無理な行軍にはならない。
四月に防衛戦となるなら、想定通りである。
だが榎本の表情が妙に気になった。
いつもの明るさが乏しい。
「恐らくそうなる。問題は敵の所有する船にあります。甲鉄艦が一隻含まれる」
聞き慣れぬ単語に、歳三は眉をひそめた。




