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俺が新撰組だ! 〜土方歳三は最後まで武士です〜  作者: 足軽三郎
第一章 京都にて 〜新撰組、活躍の時〜
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第三十話 幕間

 西本願寺への屯所移転の後、新撰組は京都における存在感を更に増した。

 その一方で時代の流れは更に激しさを増していく。


 翌、慶応二年(=西暦1866年)、第二次長州遠征勃発。

 この遠征で幕府軍はまさかの敗退を喫する。

 長州藩は西洋との貿易で入手した武器を用い、兵制も改革していたのだ。

 幕府の威光は大きく揺らいだ。

 また第二次遠征に前後して、薩摩藩と長州藩は手を結んでいる。

 坂本龍馬の仲介による薩長同盟締結である。


 翌、慶応三年(=西暦1867年)、新撰組は大きく揺れた。

 伊東甲子太郎及びその一党がまとめて脱退した。

 御陵衛士−−天皇陵の警護役−−を拝命し、伊東はこれ幸いに近藤と歳三にかけあったのだ。

 理由が理由であり、流石に認めざるを得なかった。

 だがこの年の暮れ、伊東らは京都油小路で暗殺されている。


 翌、明治元年(=西暦1868年)、新撰組は近代戦に放り込まれた。

 年明け早々、鳥羽伏見の戦いにて幕府軍と薩長軍が激突。

 兵の数で大きく勝る幕府軍だったが、まさかの敗北。

 薩長が採用した新型のミニエー銃の前に、刀や槍では抗えない。

 歳三がこれまでの戦術の限界を実感した時でもあった。


 京都から船で江戸へ引き上げる。

 休む間もなく、甲州(山梨県)へ出陣。

 そこでも敗退。

 敗戦に伴い新撰組の崩壊も続いた。

 歳三と親しい者も次々に脱落していった。


 局長の近藤勇は千葉の流山で投降。

 四月に板橋で斬首されている。

 歳三は必死で投降を止めようとしたが、近藤には届かなかった。


「歳、わしはもう疲れた。新撰組はお前に託す。今までありがとう」


 近藤の首は塩漬けにされ、三条河原に晒された。


 沖田総司は労咳が悪化し、もはや歩くこともおぼつかなくなっていた。

 歳三とは江戸にて別れた。

 最後は千駄ヶ谷の植木屋にその身柄を預けられ、死を待つ日々を送った。

 戯れに刀を握ろうとしても力が入らない。

 庭を見れば一匹の黒猫がこちらを見ている。


「もうあの猫さえも斬れないでしょうね」


 死の間際、沖田はそう言ったという。

 五月某日、病死。


 江戸から宇都宮へ、会津へ、仙台へと歳三は転戦。

 烏合の衆の旧幕府軍をまとめての奮戦。

 戦術家としての才を見せるも数の差はいかんともし難い。

 追い詰められていた。

 しかしこの仙台で一人の傑物と出会う。

 榎本武揚−−旧幕府海軍の副総裁である。


「蝦夷(=北海道)に全戦力を集中させ、立てこもります。賊軍共に一太刀浴びせ驚かせる。その戦果を以て有利な条件を引き出したい」


 榎本の壮大な作戦に歳三は乗った。

 旧幕府艦隊の一隻に乗り込み、蝦夷への海路を進んだ。

 この時点で京都を知る新撰組の隊士は十数人まで減少していた。

 歳三は榎本らと奮戦し、新政府軍から函館の地を奪い取る。

 束の間の平穏を得て、厳しい冬を越えた。

 新撰組も函館新撰組と改名し、新たに隊士を補充している。


 翌、明治二年(=西暦1869年)。

 土方歳三の最後の戦いが始まる。

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[良い点] 榎本は生き延び 土方は花とちる
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