第二十九話 二人の副長
屯所の奥まった場所に牢獄は設置されている。
元はただの部屋だったが、かなり改造されていた。
壁の一面が取り払われ、鉄格子が嵌め込まれていた。
床には荒い筵が敷かれており、寝心地は悪い。
薄暗い空気が漂う場所である。
山南敬助はそんな場所で寝転がっていた。
「山南さん、起きているか」
「ん、ああ、土方君か」
聞き覚えのある声に山南は反応した。
歳三は「邪魔をする」と軽く頭を下げた。
鉄格子越しの対面である。
山南の顔が歪んだ。
「わざわざご足労いただき恐縮だ。して何用かね、副長殿。私を笑いに来たのかい」
「そうではない。いや、自分でも実はよく分かっていない。ただ」
歳三は一瞬言葉を詰まらせた。
ためらいがどこかにあった。
「ただ、明日はもう話すことが出来ないだろう。そう思うと、山南さんと話すなら今夜しかなかった。何を話せばいいのかは……迷っている」
「ふふ、そうかね。それでも嬉しいものさ。最後の最後でようやく私にも話す程度の価値はあったと……そう信じることが出来るからね」
「一応聞いておくが。私を恨んでいるのか」
「まったく恨んでいないと言えば嘘だな」
山南は口元を歪めた。
刺すような視線が歳三に降り注ぐ。
「やはりな。脱走しても死罪まではあるまいと期待して……いや、それならば本気で逃げるか」
「さすが鬼の副長は察しがいい。その通りだよ。私が恨んでいるのはそこではない。負傷をきっかけに私は新撰組で居場所を無くした。いや、君がそのように仕向けたことを−−恨んでいる」
山南の声は大きくはない。
けれども何故か強く響いた。
歳三は黙ってこれを受け止めた。
逃げる気も耳を塞ぐ気も無かった。
「だがね。私も意地を張り過ぎたのだ。京都赴任時とは状況が異なる。町役人との折衝などの私が得手としていたことも、今や君がこなせる。公式の文書作成にしてもそうだ。ならば自分で他の役割を見つけるべきだった。名ばかりの副長職を辞任してでもね」
「……かもしれん」
そこまで山南がへりくだれば、歳三も処遇を再考したであろう。
全ては無意味な仮定であるが。
「土方君、君は正しい決断をした。新撰組は烏合の衆だ。習った剣術も違う。学んできた学問も違う。背景が異なる人間をまとめるには規律しかないのだから」
「理解していただけて嬉しく思う」
「ああ。理解した上で私は、それでも、もはや新撰組にいたくは無かった」
「……そうか」
歳三は山南の気持ちを理解しようとした。
助命することは無い。
けれど、せめて出来る限り分かる必要はある。
事態はもはや変わらない。
だが仲間の命の重みは背負わなくてはならない。
その責任感が無ければ副長は勤まらない。
「話を聞けて良かった」とだけ付け足した。
「ふ……ふふ、土方君、そのような悲痛な顔をするなよ。私はね、君が思っているより汚い人間だ。君は私を殺す権利がある。局中法渡ではなく、私怨でね」
突如、山南の声の調子が変わった。
ただ暗いだけではない。
陰惨な色が混じっていた。
「山南さん、今、何と言った? 何を言っている?」
「脱走の罪に拠らず、君は私を殺す権利があると言ったのさ。ふふ、ふははは、駄目だな。地獄の底まで持っていこうと思っていたが! 追い込まれた今はもはやどうでもいい!」
山南の口がニィ、と歪な形に開いた。
いきなりの変貌に歳三はついていけない。
あ然としている内に、山南は喋り始めた。
暗く澱んだ声が歳三の鼓膜を叩く。
「去年の秋から奇妙な噂が流行っていたろう。土方君、君と薩摩の中村半次郎がお互いを狙っていると。あの噂の出処は私なんだよ」
「……ここにきて下手な冗談はやめろ」
「冗談であるものか。最初はただの悪戯のつもりだった。しかし思ったより広まったのでね。情報屋を使って本格的に噂をばらまいてみたのさ。民衆というのは詮索好きだな。根拠の無い噂でも、面白そうなら信じる。毎日毎日同じ噂を聞いていれば、勝手に信憑性を帯びてくる」
山南は話し続けた。
狂気に取り憑かれたような話し方だった。
目は爛々と輝き歳三をじっと睨んでいた。
「そのうち私は考え始めた。もし、もしもだ。この噂を当人達が毎日耳にすればどうか。最初は馬鹿馬鹿しいと笑うだろう。けれど重ねて聞けば、意識するのではないか。何かの拍子に刀を向け合わないとも限らない。いや、そうなってくれと願い始めたのだよ。この山南敬助は!」
「まさか、ではあの日、人斬り半次郎が私を狙ってきたのは」
「ご名答だ。情報屋経由で君が祇園に行くであろうと薩摩藩に伝えておいた。もっとも中村が実際に君を狙うかは不明ではあったな。上手くいけば儲けもの、といったところさ」
山南の狂気に気圧され、歳三は後退した。
中村が動かなくても別に失敗ではない。
次の同じような機会を狙えばよい。
不確実な策でも回数を重ねれば成功に至るかもしれない。
下手人を見つける術は無く、巧妙な策である。
何と言えばいいか分からず、ただ山南を睨んだ。
「だがね」と山南は言葉を続けた。
「あの夜、君と中村半次郎は斬り合ったが。結果はただの引き分けだった。私は歯噛みしたよ。土方君が死ねばよかったのだ。そうなれば、残った副長として私が立場を得る! 邪魔な君さえ消えれば、私は新撰組で再び居場所を得られたのだよ!」
「だからか。だから策が失敗したと知り、脱走したのか。もはや運にも見放されたと思って」
「ああ。運任せの頼りない策ではあったがね。だが私にとっては乾坤一擲の策だったのさ。嘲笑ってくれたまえ、罵倒してくれたまえ。温厚な人格者などとんでもない。私は、山南敬助は、卑劣な手で私欲を望んだ男だ……」
山南はぜぇぜぇと喉を枯らした。
語尾が掠れている。
その目には涙が浮かんでいた。
悔恨のためか。
それとも自分への憐憫なのか。
歳三には分からない。
ただ分かるのは、もはや山南は心が壊れた人間だということだけだった。
怒り以上に虚しさが募った。
「山南さん。もはやあなたは死んでいく身だ。あなたが私の死を望んでいたと知っても、私は別に何とも思わない」
心を奮い立たせ、歳三は山南と向き合った。
ドクン、と自分の心臓が一つ鳴った。
だが次の一言だけは言わねばならない。
「ただ、あなたが子供達に見せていた優しさだけは……嘘ではなかったと思いたい。それだけだ」
背を向け牢獄を後にした。
山南の返事は無かった。
ただ微かに、本当に微かに嗚咽のような泣き声が聞こえた気がした。
それでも歳三は振り向かなかった。
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翌朝、山南敬助は切腹を遂げた。
白装束に身を包み、腹に短刀を突き入れた。
介錯を行ったのは沖田総司である。
この死を悼み、伊東甲子太郎は和歌を詠んでいる。
春風に 吹き誘われて 山桜
散りて人ぞに惜しまれるかな
山南の死の翌月、新撰組は屯所を壬生から西本願寺に移した。
大がかりな引っ越しであるが大きな問題は無く終わった。
歳三の下準備の周到さのおかげである。
引っ越しが落ち着いてから、歳三は改めて広い境内を見渡した。
白い玉砂利が敷かれた境内は十分な広さがある。
場所としても壬生より落ち着いている。
「ここを拠点にして、新撰組をより戦える集団にする」
誰ともなく呟いた。
慶応元年(=西暦1865年)の三月某日。
京都に春一番の風が吹いていた。




