第十四話 池田屋
無論、勘違いということはある。
近くには他の旅籠もある。
だがこの時近藤は確信していた。
この池田屋に長州藩士は集まっていると。
一網打尽にするため、三名を裏手に回した。
さらに表口で待機するために三名。
これで残りは四名。
「わし、総司、永倉君、藤堂君の四人で踏み込む。狭い屋内だ。無闇やたらに突入する人数を増やすな」
近藤の指示に従い、各隊士が配置についた。
何も近藤自らがという気もする。
だが、この男にはこの男の考えがある。
「総司」
「はい、何でしょう」
「試衛館を思い出すなあ。時々近くの道場とやり合ったもんだ。田舎剣術と馬鹿にした奴等をこてんぱんにのしてな」
「ありましたね、そんなことも」
答えながら、沖田はおかしくて仕方がない。
結局、近藤勇は単純なのだ。
新撰組局長という地位についても、根っこは変わらない。
剣を振るわねば武士ではない。
そう心から信じている。
"それは私もだけれど"
沖田も心中沸き立つものはある。
近藤と同じく、沖田も天然理心流の免許皆伝者である。
この時、数え年で二十ニ歳。
血気盛んな年頃だ。
剣客としての矜持が、この明るい青年には宿っていた。
「行きますか」と沖田はにっこり笑った。
近藤は無言。
ただ進み出た。
池田屋の木戸を拳で叩いた。
奉公人の男が顔を出した。
「御免。京都見廻のお役目につき、新撰組参上つかまつる」
「え、いや、ちょっとお待ちを、お客様が」
男が慌てている間に、近藤はずかずかと上がりこんだ。
人の気配がする。
それも多数、主に二階からだ。
間違いない、ここだ。
一般人であればこれほど濃厚な剣気はしない。
「待たぬ。総司はわしと二階へ。永倉君、藤堂君は一階を頼む。手向かえば容赦なく斬れ」
言うなり二階へ。
表玄関のすぐ奥から二階への階段が伸びていた。
年季の入った階段を一気に駆け上がった。
その時には既に抜刀している。
右手に握るは愛用の長曾根虎鉄。
戦いを予感してか、刀身がぎらりと光った。
"来る"
階段を登り終えた瞬間。
近くの部屋のふすまが開いた。
一人の男がぬっと顔を出す。
癖の強い長州弁が飛び出した。
「いったいなんちゃ、こんな夜更けに」
「近藤勇、新撰組局長だ。参る!」
目が合った。
その瞬間、戦端は開かれた。
相手がぎょっとした顔になり、部屋に戻ろうとする。
近藤には逃がす理由が無い。
大きく踏み込み、刀を担ぐように構えた。
大上段に振りかぶらないのは、頭上の梁に注意したためである。
「ぜあっ!」
気合一閃、小さく鋭く速く袈裟がけに刀を疾らせた。
飛び退く男の袖を掠めた。
男の恐怖に歪んだ顔を認める。
仕留め損なったか、と悔しがるより先に更に前へ。
部屋の中央に進み出た。
「し、新撰組っちゃあああ! 皆、出会ええ!」
男の必死の呼びかけは二階中に響いたはずだ。
逃げるより仲間への呼びかけを優先したらしい。
大したものだ。
だが、その代償は大きかった。
近藤の第ニ撃−−下段からの切り上げが男の顔面を襲っていた。
斬撃、一瞬遅れて血の雨。
天井まで赤い飛沫が舞う。
「ああああ!?」
「喧しいっ!」
男が痛みにのたうつ。
近藤には構う暇など無い。
ドン、と思い切り突き飛ばした。
その時には新手が部屋の奥から飛び出してきた。
もう不意打ちは出来ない。
虎徹を構え直し、近藤は不敵に笑う。
「構わぬ。もとよりそのつもりだ」
近藤は実戦に強い。
道場稽古では沖田に引けをとる。
だが、いざ路上での真剣勝負となればけして劣ることはない。
局長という立場になっても、その地位に驕ることは無かった。
剣客集団を率いるならば言葉より力である。
「新撰組がこげなところに入り込んで、生きて帰さんぞ!」
「囲め囲め、相手は少数じゃあ!」
流石に敵も反応は速い。
酒も多少は入っているのだろう。
にもかかわらず、刀や長脇差をすぐに取り出している。
二人、三人と奥から飛び出してきた。
囲まれてはたまらない。
近藤は柱や襖を利用し、一対一の状況を作る。
「むっ」とかけ声一つ、正面の敵に向かう。
自分の背後では、沖田総司が立ち回っていた。
背中は任せていいだろう。
意識を正面に七割、左右に三割。
"来る"
いたずらに仕掛けはしなかった。
正面の相手が斬り込んでくる。
武器は刀。
姿勢、柄の握り方から刃の軌道を読み切った。
逆袈裟だ。
だが焦りからか踏み込みが甘い。
上体に頼り切った斬撃に怖さは無い。
平青眼に構え、その軌道へと虎徹を滑り込ませた。
キン、と澄んだ音が響いた。
敵の刀は近藤の右側へと叩き落されている。
「ふんっ」
姿勢を極力乱さぬまま、左への横薙ぎを放つ。
手応えは浅い。
軽く胸のあたりの皮膚を削っただけだ。
だが手傷を負ったことで相手はたたらを踏んだ。
左右の敵がどよめく。
「強い……!」と誰かが呻いた。
近藤の背後で沖田が笑った。
「当たり前なこと言ってるなあ、あの人。壬生の狼を束ねる局長が弱いわけないのに」
ハハ、と心底おかしそうに笑う。
その笑顔に怖いものが宿った。
にっこりと笑いつつ、鬼気迫るものがある。
「さてと」と一歩前に出た。
背中越しに近藤に声をかける。
「近藤さん、背中は任せてください。一人も通しはしませんから」
「通さぬだけではないのだろう?」
「あ、バレていましたか。本当、かなわないなあ」
沖田はぐるりと左右を見渡した。
登ってきた階段周りは吹き抜けになっている。
落ちる危険性もあるが、比較的広々としていた。
彼にとってはやりやすい。
「これならやりやすいかな。じゃあ行きますね」
「おのれ、新撰組がなんぼのものちゃ。なめくさってくれやがってッ!」
沖田の飄々とした態度が癪に触ったのだろう。
長州藩士の一人が激昂した。
長脇差を腰だめに構え突進する。
技量もくそも無い。
気迫だけの体当たりに近い。
"見える"
対する沖田は冷静そのもの。
男の出足の一歩目から読んでいた。
左足を一歩退き、右半身。
長脇差の切っ先を交わす。
と同時に己の剣を振るっていた。
タン、と鋭い踏み込み音が響く。
両手で構えた刀を無理なく真っ直ぐ突き出していた。
両者の体が交差した。
「無理ですよ」
ふ、と沖田は笑った。
殺し合いの最中にも関わらずである。
「そんな無茶で雑な攻撃じゃ」
自分の刀の切っ先を見る。
ぬらりと赤く濡れていた。
男の姿を目の端で追う。
ぐらりと揺れ、そして倒れた。
どう、と大きな音がした。
「新撰組一番隊組長の私には届かない」
斬殺など今更である。
沖田は次の標的へと刀を向けた。
可愛げの残る顔に薄っすらと笑みを残して。




