第十一話 予兆
「歳、そりゃ本当か」
近藤が顔をひきつらせている。
常日頃は豪胆なこの男にしては珍しい。
「疑う理由がねえよ、近藤さん。長州の連中、本気で京都に火を放つ気だ」
答える歳三も難しい顔だ。
二人の側にはいくつかの品があった。
何丁もの鉄砲−−前装式ゲベール銃だ−−、鉄砲用の弾丸、袋入りの火薬、焙烙玉などだ。
これらの物騒な品々が藁の上に丁寧に置かれていた。
無論、これらは新撰組の物ではない。
「この鉄砲などは三条通の井筒屋から押収したものだ。長州の連中は井筒屋にこの武器の保管を依頼していた。昨晩遅く、井筒屋の親父が喋ったことさ」
季節は夏。
早朝とはいえ、気温はじわと上がる頃である。
にもかかわらず、歳三の視線は冷え冷えとしていた。
切迫した事態を前に、全ての思考を動かしている。
「長州者に協力しているのは井筒屋だけではなく、他にもいるのだろうな。だが、そいつらを一個一個潰すより」
「長州の連中を捕縛してしまうことが重要だ。全員とはいかないが、この企ての主要人物を潰す」
「井筒屋から名前は引き出せたのか」
近藤がずいと顔を乗り出した。
大きな顎がぎちりと鳴る。
「ああ。四条木屋町の枡屋って商人だ。枡屋喜右衛門、薪や炭を扱ってる。商人に身をやつして、京都に潜伏していた口だろう」
「よくある手だな。分かった。枡屋が首謀者がどうかは分からんが、ともかくそいつを引っ捕らえよう。何がしかの情報は得られるだろう」
「そう来ると思って、総司と永倉さんには準備してもらっている」
「さすが抜かりないな、歳は」
ほう、と近藤は感嘆のため息をついた。
歳三は「喧嘩ってのは準備が早い者が勝つからね」と無愛想に答えた。
元治元年、六月五日。
新撰組の名を高らしめる池田屋事件はこうして幕を開けた。
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枡屋喜右衛門の確保はあっさりと成功した。
沖田らが枡屋の表と裏から同時に踏み込んだところ、喜右衛門のみが残っていたのである。
他の使用人らは既に逃げ去っていた。
喜右衛門は手紙や書類の始末のため、残っていたようである。
「持って逃げればいいのに馬鹿なやつですよ」
「でもそのおかげで捕まえることが出来たんですし、良かったじゃないですか」
屯所に帰ってから、永倉と沖田はこのように話した。
尚、枡屋の母屋を家探ししたところ、更に証拠物件が上がった。
井筒屋同様、ゲベール銃や弾丸が保管されていたのである。
井筒屋のような協力者は単なる倉庫。
枡屋のように実行犯が隠れる場所は前線基地といったところか。
「会津藩に連絡は?」
「問題ない。既に使いの者を走らせた。こいつは大規模な案件だ。新撰組だけじゃ手に余る」
「む、そうだな。長州の奴ら、思い切った手にでおった」
近藤の顔が苦々しいものになった。
細かい点はまだ分からない。
だが、京都中に火を放てば市中が大混乱するのは間違いない。
昨今の情勢から考えるに、そこから尊皇攘夷派が打つ手と言えば。
「どさくさに紛れての、佐幕派の公家の暗殺か」
「残るのは尊皇攘夷派の公家だけってわけだ。裏では長州で糸引いて操ってる」
「捨てておけんな、歳」
膝の上で近藤が拳を握る。
彼自身が根っからの幕府の志士ということもある。
だが、今回の憤りにはそれ以上の理由があった。
「京都に火災など起きれば、無関係の民に被害が出る。新撰組局長としてそのような事態は許せん。断固長州の愚挙を止める!」
ごん、と畳に拳を打ちつけた。
近藤は根本的に義侠の男である。
おだてや世辞に弱いのも、ある意味純粋だからとも言える。
歳三にはこの単純さが少し羨ましい。
「同感だ。職務としても個人的な意見としてもここは新撰組の出番だ。けどな、近藤さん。そのためには俺らは追求しなきゃならん」
言い切り、歳三は指を畳に走らせた。
ツツー、と素早く大きな四角形を描く。
「放火や暗殺には人手が必要だ。多くの人間を藩の屋敷に囲うほど、長州は馬鹿か? それは無い。まず真っ先に取り調べを受ける場所だ。別の場所に匿っていると考えるべきだろうよ。この京都市中のな」
「それはそうだな。だが、喜右衛門がその場所を知っているか? 機密保持のため、他の同士の隠れ場所は知らされていないかもしれん」
「だとしても」
歳三は指を止めた。
畳の中央あたりをトン、と強く叩いた。
「手がかりは俺達の掌中にある。引き出せるだけの情報を引き出す」
事は急を要する。
近藤を後に残し、歳三は屯所の一角へと移動した。
古ぼけた土蔵が建てられている。
土蔵なので壁も厚い。
中に入るとひんやりとした空気が漂っていた。
次いで苦痛の呻き声も。
中では新撰組の隊士達が一人の男を囲んでいた。
「ぐっ……くそっ……」
「減らずぐちが聞けるならまだまだ大丈夫そうだな」
声の主が床に這いつくばっている。
身動きは出来ない。
荒縄で縛られているためだ。
この男、枡屋喜右衛門から得られるだけの情報を得なければならない。
上半身ずぶ濡れなのは水責めのためだろう。
「副長、この男の本名は聞き出せました。古高俊太郎といいます。大物ですよ」
「古高……ほう、聞いたことがある名だ」
隊士に答え、歳三は片膝を着けた。
枡屋こと古高俊太郎のまげをがっしと掴む。
首をむりやり捻じ曲げた。
「会津藩から教えられたことがある。主な尊皇攘夷派の志士の名についてな。古高、お前の名もその一人の中にあった。長州藩士であり、尊皇攘夷運動の旗手として」
「……」
返事はない。
だが間違いない。
こいつは大物だ。
こんな大物が関わるからこそ、京都に火を放つようなだいそれたことを実行出来るのだろう。
「さて。こちらとしては手間を省きたい。お前は今回の企ての全容を知っている。違うか?」
低い声で問う。
返事は無かった。
周りの隊士が苛立ったが、歳三は片手で制した。
あっさり話してくれるとは思っていない。
「知ってるはずさ。尊皇攘夷派の中でも名高いお前ならな。だから無理にでも教えてもらう」
「しゃ、しゃべるものかよ……」
古高の声は小さい。
長時間の水責めで相当に痛めつけられているためだ。
竹刀による裂傷も体のあちこちにある。
だが、恐らくこの男の芯は強い。
心を折らねばなるまい。
「しゃべってもらうんだよ、そこを。おい、縄をこいつの足に回せ。逆さ吊りだ。あと金槌と五寸釘」
「はっ、ただちに」
平隊士達の行動は素早い。
鬼の副長の規律は隊の隅々まで行き届いている。
ほどなく古高俊太郎は吊るされた。
頭を下に、足が上にの逆さまだ。
それも土蔵の二階からぶらりぶらりとである。
二階の床の一部をぶち抜き、拷問に便利な造りにしてある。
「西洋の耶蘇教については詳しいかい。本によると、きりすとなる聖人は捕縛され、両足を釘で打たれたらしい」
独り言のように、かつ脅迫めいて言いながら。
歳三は古高を見下ろした。
上下逆の風景の中で、古高は自分をどう思うだろうか。
恐怖しろと願う。
恐怖は人の精神を蝕み、へし折る。
「聖人ばりの精神力があるかどうか、試してやるよ」
ごく無造作に。
右手に金槌、左手に五寸釘を構えた。




